世界が終わる04
一体、自分は何のために生きたのだろうと、疑問に感じることがある。
かつてはの家のために暗い部屋に閉じ込められ、そして今は泰平の世のために親しかった人達を冥土へと誘う。
官兵衛の示してくれた道は光だった。
その道だけを進んでいれば、迷う事はなかった。
なのに……何故、今際の時になって、心が揺れてしまうのだろう。
この手はもう幾人も殺めているというのに、今更、人を殺すことに躊躇いを持つのか。
「清正……ここまでよ」
天守閣に登った兵はおよそ豊臣の三倍。最後に残った清正を取り囲むようにして、それぞれに武器を向けている。
は形ばかりの武器を、清正に向けていた。本当はそれを振るう力すら、もう残っていなかった。
倒れながら刀を突き刺すくらいなら出来るかも知れない。もし、清正が抵抗するようなら、そうやって果てよう。そんな事を思っていた。
「……どうして正則を殺った」
意外にも清正はそんな事を問いかけてきた。
そんな事を聞いてどうするのだろう。納得する答えでもあるというのか。
「清正が……三成を討ったのと同じ理由だよ」
守りたいものがあったから、それに従ったまでだ。
だが、清正はそんな言葉を馬鹿にするように、はっと鼻で笑う。
「嘘をつけ。お前は泰平の世なんてどうでもいいくせに。この世が乱世だろうが泰平だろうが、お前の生き様になんの関係がある」
それはあまりにも意外な言葉で――――の瞳が動揺して揺れた。
「お前はただ……生きたかっただけじゃねえか。泰平の世とかのために生かされたから、それを守る事でしか生きられないと勘違いしただけだ」
そうだったのだろうか?
は答えを探すように、官兵衛を見やった。当然、官兵衛の無表情から得られる答えはなく、またも今更その真実を知りたいとも思わなかった。
「そうかもね……。でも、もうどっちでもいい」
はゆっくりと飛刀を構えた。
清正を討てば全てが終わる。念願の泰平の世が訪れ、やっとに安穏が訪れるのだ。
安穏が訪れたら……自分はどうなる?
ふと、そんな疑問が脳裏をかすった。
泰平の世のために生かされた命。では、泰平の実現が成されたら、自分は必要なくなるのだろうか……
ずっと無意識に避けてきた疑問に直面し、は足元がすうと溶けていくような錯覚を覚えた。
その違和感を振りほどくように、は力いっぱい飛刀を投げつけた。無数の刃が、清正を襲う。だが、そのどれもが届かない。
「てめぇが……てめぇが俺たちの家を、を、壊しやがったのか!」
清正の鎌が官兵衛を襲う。は間に割って入ろうと身体を伸ばし――――突如、身体がふわりと浮くような感覚を得た。
「なっ……」
鬼の手がの身体を盾にするように、清正の鎌を受け止めていた。
胸当てを砕き、の柔らかな胸に、尖った刃が深々と突き刺さる。の真っ赤な血が鎌の柄を伝って、清正の手を汚した。
互いに目を見開いたまま、視線がかちりと合わさった。お互いにどうして、とその光景に戸惑い、そして無慈悲な現実の前に力なく崩れ落ちる。
は清正の刃によって倒れ、そして清正もまた官兵衛の一撃に致命傷を負った。
ずるりと落ちた片鎌槍が、カランと空しい音を鳴らした。
「よくやった。これで泰平の世が導き出せる」
官兵衛の声が聞こえる。距離感が掴めず、自分がどこに居るのか分からなくなる。
「泰平の世はお前という火種が潰えてようやく成しえる。今までよく尽くしてくれた」
労いの言葉など、官兵衛らしくない……
視線を巡らせると、真上から覗き込むように官兵衛の顔が現れた。手を伸ばそうとするのに、指先すら動かす事ができなかった。
声も、出ない。
胸に穿たれた隙間から、どくどくと血が流れて、身体が徐々に冷えていく。
「お前は私を恨むだろうが、悔しければ化けて出てくるがいい。いつでも私の命を差し出そう。それで贖えるものでもないがな」
ああ、そうか……
乱世に生まれしの常世姫。本来であれば一生囲い閨に閉じ込められ、秘された存在であるべきものが、こうして表の世界に出てきてしまった。
そんな人間を、生かしておけるはずがない。
常世姫の目を巡って、また争乱が起きてしまう。
だったら――――豊臣という家と共に、潰してしまった方がいい。
は笑いたかったが、唇に笑みを浮かべることすらできなかった。
そんな簡単な事を、どうして今まで気づかない振りをしていたのだろう。
官兵衛は泰平の世のために生きろと言った。それはつまり……泰平の世のために死ねと同じ事だ。
笑みは作れないのに、涙は零れ落ちた。
悔しいのでも、悲しいのでもない。官兵衛に裏切られたとも、酷いとも思わない。
ただ……切なかった。
本当は――――私、生きたかった。
あなたと、みんなと、戦乱の世であっても――――生きたかったんだ。
清正を討ち主を亡くした天守閣には、官兵衛と、と清正の屍だけが残された。
光を失ったの眼窩には、輝きのない翡翠がはめ込まれたように、碧の瞳が残った。
官兵衛はそっと手をかざすと、その目を閉ざす。
「眠れ……」
涙はまだ温かく、頬は紅をさしたように桜色をしている。
官兵衛は力なく倒れたの身体を抱き起こした。
温かい――――
だが、急速に失われていく体温は、の身体から何もかも奪っていってしまうだろう。
共に居て何年も経つというのに、の身体を抱きしめたのはこれが初めてだった。頼りない、小さな身体だ。この身に一体幾つもの傷を受けてきたのだろうか。
不平も、苦痛も、恨み言すらも、何も言わずに逝ってしまった。
なぜ最後までが自分に仕えたのか、その明確な理由を知らない。かつて官兵衛がに命じた生きよという言葉が、なぜを戦場に駆り立てるほどの力になったのか、やはり官兵衛には分からなかった。
情など下らぬと思う。志や絆などで、天下泰平が成ると思っているのは愚物である証拠だ。
だが、それは官兵衛の考えであって、が同じ事を思っていたとは考えにくい。
幼い頃は泣き虫で、育ってからは偉そうなことばかりを口にする、くるくると表情が変わり、時に突拍子もない事をしでかし、情に脆いかと思えば、時折人形のような顔をし、手が汚れるのも厭わず官兵衛の命に従った。そして――――いつでも傍らに居た。
情などやはり下らない。だが、胸にぽっかりと空いたような虚無感を、説明する事ができない。
官兵衛はの体温をもう一度感じようと、きつくその身体を抱きしめた。
そして――――
「俺たちの家……壊させるかよ!」
清正が今際の時に振りかざした刃が、と同じ傷をその胸に穿ち。
折り重なった身体から流れる血は、もはやどちらのものなのか分からなくなっていた。
体温が徐々に奪われて――――
そして静かに、世界が終わる。
end
やはり最後はこんな終わりに……
これにて「世界が終わる」シリーズ完結です。
お付き合いありがとうございました!
こんな話読んだら寝覚めが悪いわ!という方のために、
すべてをなかったことにできる夢オチの続編。
官兵衛はやっぱ過保護な保護者じゃなきゃ! という方はどうぞ。