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Black Mare26





 「嘘とは……なんでしょう?」
 ドクは上品な顔で小首を傾げて見せた。その顔にはどこか余裕のある笑みが浮かんでいる。
「こんな場面でまでとぼけるものじゃないよ。これ以上の言い逃れは、意味がないと気付いていると思うが?」
 ドクはふふっと笑みを零すと、月光を背にソファの椅子に腰を下した。それに倣って槙島もその対面に腰を下す。
「なぜチェ・グソンが出し抜かれるのか、いつも不思議だったのだがね。これで得心がいったよ。なるほど、巫女の信託を盗み聞きしていたのか」
 そう言うと、槙島はドクの方へと小さな金属片を投げた。テーブルの上を滑り、ドクの目の前で止まる。それは壊れた眼鏡のフレームのように見えた。
「禾生壌宗のものだ。知っているだろう?」
 槙島が問いかけると、ドクは小首を傾げて答えた。
「さあ、直接お目にかかった事はありませんもの」
「では……電気信号だけでやり取りしていたのかね?」
 ドクは答えず、ただ笑っていた。
「アクレイピオスの知識に、ヘパイストスの技術。それ以外にも君は多くの驚くべき能力を披露した。まさに人知を超える能力だ。僕は当初それに惹かれたが、やがて興味を失ったよ。何故かわかるかね?」
「さあ」
「所詮それは借り物の知識でしかない。いつでもネットに四散した知識をかき集め、君はさも自分の力であるかのようにそれを披露しただけだ」
 ドクの微笑は揺るがない。
 月光に映し出された彼女の顔は、能面のように白い。その偽りの面を剥ぐように、槙島は言葉を続ける。研ぎ澄まされたナイフのような鋭さで、
「君は裏切り者ユダだ。君は……シビュラシステムの部品なのだろう?」


 どこか遠くて、男女が口論している声が聞こえた。
 いや――――口論と呼ぶには声が穏やかだ。だが、その穏やかな声音の裏にどこか得体の知れない硬質な冷たさを感じる。
 誰だろう?
 は目を開こうとする。その声はどちらもよく知っているものな気がする。
 起きようとするのに、まるで金縛りにあったように瞼が開かない。もがいて腕を伸ばそうとするが、力を込めても指先はぴくりとも動かなかった。
 何を――――何を言っているんだ?
 僕も……



「眠りが浅いのね。大丈夫、また眠りの淵へ降りていきましたわ」
 ドクはこめかみの辺りを指先で軽く押さえ、トントンと押した。
 かちかちとドクの片目が青緑の蛍光色に輝く。もはや言い逃れをするつもりはないようだった。それは以前槙島が指摘した金属片を埋め込まれた方の目だった。
 どのみち、とドクは言葉を続けた。
「永くこの身体に留まる事は出来ないと思い始めておりましたの。なら、確かにこの結末は私の予期する所なのでしょう」
 ドクは蛍光色の目を細め、槙島を見やった。その表情に邪気は感じられない。どこまでもいつも通りの、ドクの感情を読ませない微笑だった。
「槙島先生、いくつか訂正をお許し下さい」
「聞こうか」
 ドクは静かに語り始める。
「あの子たちがリミッターと呼んだこのペンダントは、ただの機械仕掛けのガラス玉ですわ。シビュラの演算を狂わすようなものではなく、これはただの割符」
「さしずめ免罪符と言ったところか。君は金いくらでそれを買ったのだね?」
 ドクはふっと笑みを浮かべた。
「このガラス玉での存在が許されているのなら、それは決して金では買えない。誰かが生きるという事は、その分、誰かを蔑ろにするという事。何かを得るには、それと同等の何かを失うという事です」
「その代償とは?」
「私の脳」
 槙島がわずかに驚いた顔を見せた瞬間、ドクの瞳がひときわ眩く輝いた。シビュラシステムの一部として、神託の巫女の輝きをその双眸に宿す。
「とは言え、の脳はたった一つ。あの子たちのために、あげられない。だから私は私を差し出す事にしました。自らを電子化する方法をシビュラより授かり、いつでも脳と電脳の世界を行き来できるようにしたのです」
 その技が猟犬を機械の身体へ移し変える際に応用されたのだろう。
 そしてどこからでも世界のネットワークに繋がり、その膨大な情報を受け取っていた。その知識はたちが生きていくために大いに活用され、役立ち、助けとなった。
「どうしてそんな事を?」
 槙島の問いに、ドクはしばし思案顔で口を噤んだ。
 どうしてかしら、と呟くように答える。
「シビュラにとって私たちのようなイレギュラーな人間は、システムの拡大のために必要だったのでしょう。だから……それ以外に、選びようがなかたからでしょうか……私でなくとも、それを知っていたら、きっと別の人格たちも同じことをしたかもしれない」
「それほどという存在は、君達にとって偉大かね?」
 ドクはさあ、と小首を傾げた。
「本当のところは……どうなのかしら。言い訳だったのかもしれない。そう言い続けていれば、何故だかみんな一緒にいられる気がしたの」
 ドクはその時初めて、年相応の少女のような顔をした。その顔は代理人を名乗ると、まったく瓜二つだった。
「最後に一つ聞きたい。はどこへ消えた?」
 槙島の問いに、ドクは少しだけ笑んだ。
「まだご存知じゃありませんの?」
 種明かしは済んだとばかりに、何も握られていない両手を開いて見せる。
「消えたのか、消されたのか、はたまた別の誰かを名乗っているか……あるいは初めから、存在しなかったのかもしれないね」
 うふふ、とドクの独特の笑みが零れる。ドクはソファの背もたれに頭を預け、視線を虚空に送った。壁に立てかけられた大バビロンと七つ首の獣の絵を眺め、微笑む。
 そして、ゆるゆると眠るように瞼を閉じ、
「それがきっと幸福な結末ですわ」
 彼女は電子の波に消えた。




end


そして、25話の別れの朝へ……
さて、これにて「Black Mare」完結でございます。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!

とは言え、全然謎も伏線も回収してねぇよ! な状態なので、
エピローグ的な何かと零れ話などを続けさせていただきます。
良ければ引き続きお楽しみいただけると嬉しいです。