そして槙島の姿を見つけると、勝手に待っていたにもかかわらず、遅いと開口一番文句を言った。
Black Mare20
「てっきり怒って帰ってしまったのだと思ったよ」
運転席に座ると、槙島はハンドルを握った。とはいえ運転するのはAIだ。車に人間の生体反応を認識させているにすぎない。
助手席に座るは、詰まらなそうな顔でむすっと顔をしかめている。
「帰ろうかと思ったけど、足がないのを思い出した。こんな辺鄙な場所から歩いて帰るわけにもいかないだろ」
「だったらチェ・グソンを呼べば良かったのに。少しばかり嫌な顔をされるかもしれないがね」
冗談めかして言うと、はますます顔を不機嫌にさせたが、思い当たる節があるのかそれ以上言い返してはこなかった。
「どうだった?」
二人を乗せた車は、街灯の灯る道を緩やかに走る。過ぎていく街灯の光を眺めながら、はべつに、とそっけなく答えた。
「ニュースで見た人物像と大差ないと思った。特に興味はない」
「それは可哀想に。あちらは君の事を気に入ったみたいだったよ」
「うぇ」
は心底嫌そうに顔をしかめる。こういう変な輩に好かれる呪いでもかかっているのではないかと、己の身を哀れんだ。
「でも……面白い話は聞けたな」
窓ガラスの方へ顔を向けたまま、呟く。自分の顔が映り込んだそれを眺め、はぱちぱちと瞬きを繰り返す。他の人格と会話しているのだろう。
「良かったら僕も混ぜてくれないかな? 仲間外れは寂しい」
「どの口が言う」
僕を除け者にしたくせにとは厭味を口にしたが、次の会話からそれは脳内の声ではなく実際の声となって車内に響いていた。
それは奇妙な会話だった。
「だからどうして僕に黙ってたんだ。僕だけ仲間外れだなんて傷つく」
「そうではないのよ。でも、あなた、あの時そんな事を聞いたら反対しなかった?」
「そりゃ……したかもしれないよ。でも、それが総意なら……納得できなくても従ったかもしれない」
「あの場面であなたに出来ることは何もないわ。それに変な例外は作りたくなかったの。こんな事が何度も続いたら私は私たちを保てなくなる。だから私一人で処理すべきだと思った」
同じ声帯から発せられるにも関わらず、二人の声はまったくの別人のように異なる。姿を見なければ、本当にそこに二人の人物がいるように錯覚するだろう。
「ドクを責めてはいけないよ。彼女は猟犬の最期に君を立ち会わせるつもりはなかった。あれは僕の意思だよ」
口を挟んで来た槙島に、は睨むような視線を向け、ドクは曖昧な微笑を送った。
でも……、とが悔しそうに呟く。
「なあ、ドク。これ以上僕に隠し事はないんだろうな?」
窓ガラスに映った自分へ、疑いの眼差しを向ける。
ドクはうふふ、と笑みを零すと、
「さあ、どうかしらね?」
と、感情の読めない微笑で応えたのだった。
は裏切られた子供のような顔で唇をかみ締め、寝る、と宣言して目を閉じてしまった。カクン、との上半身が折れ、すぐに顔を上げたかと思うと、そこにはもう居なかった。
「あらあら、我侭で困ってしまいますわね」
保護者のような口調で、ドクが槙島に同意を求めた。
「ここ数週間で立て続けに色々あったからね。には少しショックが大きかったのかもしれない」
「あら、私も心を痛めていますわ。大切な犬が死んでしまったんですもの」
ドクはそう言いながら、芝居がかった仕草で胸の前で両手を組み合わせた。
「そう言えば君が飼い主だったね」
と、槙島は見透かすような目でドクの整った顔を見やる。
「僕は今でも少し意外に感じているよ。なぜ、人格の複製を助けるような気になったのかな? 僕はてっきり……」
「猟犬を始末すると?」
「ああ。その方がよっぽど合理的だ」
ドクはうふふと笑って、窓の外の夜景を恍惚の表情で眺めた。綺麗ですわね、とうっとりとした顔で呟く。
「あの光の一つ一つに、人の営みがあるのだと思うと素敵じゃありません? 自動化されたシステムによって光を灯す事は出来ても、光を灯す必要性は生身の人間がいなくては生まれない」
「………」
「システム自体に良し悪しなどありませんわ。あるのはただ人間のために在るという目的だけ。それはシビュラも同じです」
「……そして君たちも、かな?」
ドクは答えず、うふふ、と意味深に笑った。
「ところで、槙島先生」
「なにかな?」
「一つ間違いを訂正させていただけます? あの物語の終わりについてですけれど……」
「うん?」
槙島はハンドルを握ったまま、ちらりとドクの方を見やった。長い睫毛で縁取られた瞳が、深淵の闇を湛え、槙島を見ている。
「最後はたしか悪の女王として君臨していた母親を、少年と共に旅していた女性が倒すのではなかったかしら? 少年を生きたネジに変えることが出来ず、ついに母親を裏切るのです」
ドクの表情の変わらない顔を見つめながら、槙島はいつかのチェ・グソンとの会話を思い出していた。電話越しのあの会話を聞かれていたのだろうか。
もしかしたらシビュラの張り巡らせた情報網より深く、彼女はあらゆる事を知っているのかもしれない。
「そうだったね」
槙島が笑むと、ドクもまたにっこりと微笑を返した。
end
ドクのいうあの物語とは、言わずと知れた銀河を鉄道に乗って旅するあの話。
公式設定で槙島は漫画も愛読しているようなので、
きっと読んでるだろうなと勝手に加えてみました。