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 最も強い者が生き残るのではなく、
 最も賢い者が生き延びるでもない。
 唯一生き残るのは、変化できる者である

 チャールズ・ダーウィン『進化論』



Black Mare19





 季節が一つ、巡っていた。
 美術教師として赴任していた槙島は、王陵璃華子の一件を境に学園から姿を消した。
 これで奴との接点はなくなると安堵していただったが、定期的に届く電子メールがをいつも憂鬱にさせた。
 大抵用件は短く、どこどこへ来いという指示のみである。
 新しい隠れ家なのかもしれないが、至る所に場所は変わり、その先々で槙島はいつも違う本を手にを招き入れた。普通の恋人のように抱き合ったり、冷徹な支配者の顔で一方的に犯したり、ただ本をめくりながら何気ない会話をしたり。
 いい加減腐れ縁と呼ぶに相応しい時間を共有したと思うが、それでも槙島はにとって不可解な生き物だった。そして疑問を感じるたびに、べつに理解しなくてもいいけどな、と負け惜しみのように胸中で付け足すのだった。
 その日、珍しく指定された場所には槙島とチェ・グソン以外の人物がいた。泉宮寺と名乗ったその男は、全身が機械化されたサイボーグだった。男の連れた猟犬ドローンを一瞥し、この男が猟犬ガンドッグの身体を用意したのだと理解した。
「やあ、君があの! 話は槙島君から聞いているよ。さあ、座って」
 男はの姿を確認すると、興奮気味に立ち上がりに槙島の隣りの椅子を勧めた。まるで自分がホストのような態度だ。もしかしたらここは槙島の隠れ家ではなく、この男の屋敷なのかもしれないと認識を改める。
「いや、話を聞いた時は冗談だと思ったのだがね。まさか君のように希少な存在に出会えるとは。その中には一体あと何人いるのかね? まるで心の数だけ魂を持っているようじゃないか!」
 無遠慮な物言いに、は顔をしかめた。
 多重人格者を別の何かと勘違いしている。魂なんて一つだ。心の数だけあるのではない。ただ個々が認識できる自分という存在が区別され、別れてしまっただけだ。
 は槙島のシャツをくいくいと引っ張ると、声を潜める。
「なんだこの頭の幸せそうなオッサンは?」
「泉宮寺豊久さんだよ。帝都ネットワーク建設の会長にして、人体におけるサイボーグ化のパイオニアだ」
「そんな事を聞いてるんじゃない。僕はこいつを殺してもいいのか?」
 の不遜な物言いに、泉宮寺は嬉しそうに手を叩いて笑った。
「なるほど、面白いお嬢さんだ。しかし、私は君とこうして言葉を交わすのを楽しみにしていたのだよ。その時間を無駄にしないでくれ」
 泉宮寺の笑い声に、機械の犬たちのうなり声が混ざる。何らかの指令を送ったのか、は警戒を強めつつも交戦は得策とせず、素直に泉宮寺の話し相手になる事にした。
「まあいい。僕の犬がお前には世話になったらしいからな。その事には感謝するよ」
「君の猟犬かね。彼の事は残念だったよ。もう少し長く生かしてやりたかったんだがね」
 はふん、と鼻を鳴らすと、椅子のひじ置きに腕をあて頬杖をついた。
「それより……丁度いいから、あんたに聞きたいことがある。どうやって猟犬を機械の身体に移したんだ? あいつには……脳みそなんてなかった」
 人格はいわば亡霊のようなものだ。それには実体がなく、唯一の脳はの肉体が持つ皆の共有物である。
 にはまるで手品のように感じられた。ある日、頭の中から猟犬が消え、その一週間後にまったく見知らぬ顔で目の前に現れた。
 すると泉宮寺は私も知りたいくらいだよ、と機械の目をぱしぱしと瞬かせた。
「まったく君らの女史はすごい。アスクレピオスの知識と、ヘパイストスの技術を併せ持つまさに神の御業だ」
「女史?」
 は一瞬疑問符を浮かび上がらせ、すぐにそれがドクを指すものだと察した。
「おい……あれはドクがやったのか?」
 驚いて槙島を振り返るが、彼は我関せずとばかりに人当たりの良い無関心な笑みを浮かべているだけである。
 は悔しそうに唇を噛んだ。
「お前たちはまた僕をのけ者にして……」
「なんだ、君は知らなかったのかね? 人格を電気信号に変換し、複製する方法を考えたのは彼女だよ。私はそれを機械の身体にインストールしただけに過ぎない」
 まるでソフトウェアだ、とは不機嫌そうに顔をしかめた。
 にとって人格とは、心であり魂の欠片だ。科学が立ち入れない場所にある神聖なものだった。なのに、それを無遠慮に暴き、簡単にコピー&ペーストするなど、冒涜もいいところである。
「私は不死の一遍をこの目に見た! あの技術さえあれば、もはや脳など朽ちるだけの箱に過ぎない」
「……それで、お前は機械人間にでもなるつもりか?」
 が尋ねると泉宮寺は残念そうにかぶりを振った。
「あいにく彼女の技術は生身の人間には利かないのだよ。要領が大きすぎるからね。だがこれを応用する事は出来るはずだ。この脳が腐り堕ちる前に、私はきっとその方法を確立してみせよう」
 は目を細め、深く溜息をつくと、静かに立ち上がった。
 勝手にやってろ、胸中で呟く。
「どこへ行くのかね?」
 泉宮寺が怪訝そうな顔を向ける。サイボーグでもそういう表情は出来るのだな、とは更に呆れた。
「帰るんだ。これ以上、お前と言葉を交わすことに価値を見出せない」
 そう告げて、出入り口へと足を向ける。
 と、の目の前に機械仕掛けの獣たちが立ちはだかった。うなり声を上げ、赤く光る目を向ける。
「そう言わずにもう少し居てくれないかな? 君に見せたいものもある」
 泉宮寺の声が背後から響く。だが、は振り返りもせず、獣をじっと睨み据えていた。
 無数の目に、長く伸びた鋼鉄の尾。ラヴクラフトの小説に出てくるティンダロスの猟犬の描写に酷似している。
 もしこの犬たちが神話生物ならば、猟犬は時間も空間も超えてをおってくるだろう。だが、こいつは所詮機械だ。命よりも遥かに脆いバッテリーで生かされている。
「五月蝿い犬だな。躾けが足りないのか?」
 呟く。
 と――――
 それは一瞬だった。は袖下から十徳ナイフのような細い刃物を抜き出すと、手の内でそれを回しドライバーのような形状に変化させた。
 そして、犬の首の付け根へとそれを思い切りつきたてた。犬は牙を剥き、鋭い尾をに向けて振りかざしたが、は難なく尾の先を掴むとそれを踏みつけ、顎に指をかけ逆側に開いた。固い装甲をこじ開け、鋼鉄の毛皮を剥ぐ。そして脳の位置する場所をめくると、その中央に光る精密機器をもぎ取り、手の平で粉々に砕いた。
 機械仕掛けの犬は死んだ。手の平で粉々になったそれを、絨毯の上に撒き捨てながらは唇を歪ませて笑う。
「なあ、サイボークのじいさん。あんたの身体もこういう部品で繋がってるなら気をつけるといい。機械なんて、人間の身体よりよっぽど脆いねじで繋がってるだけだ。刃物一つで簡単に壊せる」
 そう言い放つと、は悠々とした足取りでその場を後にした。
 残された犬の死骸を前に泉宮寺は呆然と立ちすくみ、
「くっ……くく、はははは! これは傑作だ! 彼女は最高だな! なあ、槙島君!」
 心底嬉しそうに声を上げて笑った。
「ええ。気に入っていただけて何よりです」
「いや、最初は疑わしく思っていたのだがね。なにせ見た目はただの小娘じゃないか。変な喋り方をするのも、ごっこ遊びだと思ったのだよ」
「そういうキャラクターを演じているだけだと?」
「そうとも。夢見がちな少女にありがちな、人形遊びなのかと思っていたのだよ。それがどうだね! 女史は私の目の前でいとも容易く機械に魂を与え、彼女は機械の猛獣を一瞬で殺して見せた! なんなのかな、あの少女は。本当に悪魔なんじゃないかね!」
「それが彼女の魅力の一つです」
 槙島の応答に泉宮寺はまたも嬉しそうに笑みを零した。
「一つか。ではまだ、私の知らない魅力があるのだね?」
「勿論。僕はね、彼女の強かな所が気に入っているんです。強い意思を持ちながら、状況に応じて自らを変えて行ける。そういう者こそ唯一生き残る事が出来るのだと思います」
「ダーウィンかね? では君は女史より、彼女の方が種として優秀だと?」
 槙島は微笑んだ。彼女の話をする時、本当にこの男は楽しそうだと泉宮寺は思う。こんな顔をするのは、か狡噛慎也の名を口にするその時だけだと。
「ポテンシャルの問題ですよ。分野がまるで違うのでどちらが秀でていると甲乙つけるのは難しいが、成長性を見込むならはドクターの上でしょう。彼女はまるで生まれたての赤子のようだ。事実、交代人格の一人として確立したのはほんの数年前の事です。だからこそなんでも吸収し、形を変え、糧にしようとする。その成長を見るのが、僕は楽しくて仕方がないんです」
 槙島の答えに泉宮寺は目を細めた。
「ご馳走様。これではまるで惚気話を聞かされている気分だよ」




end


公式設定の猟犬ドローンの名前とかたまりません。
ラヴクラフトとかまんまじゃないか! と(笑)
でもティンダロスの猟犬をモチーフにしてるなら、
両方ラヴクラフト関連でも良かったんじゃないかなとか思ったり思わなかったり。