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Black Mare17





 その一件から、は極端に槙島を避けるようになった。美術室へも近寄らず、セーフ・ハウスに足を向けることはなかった。
 槙島からの接触がないまま一週間が過ぎた頃、女学生の姿に擬態したチェ・グソンがの前に現れた。
 お話があります、とチェ・グソンは人気のない地下坑道へを導いた。
 安全な場所まで来たのか、チェ・グソンは本来の姿に戻ると、の前にメモを差し出した。
「なんだ?」
 は苛立たしげな表情でそれを眺めただけで、受け取らなかった。
「見ていただければ分かります。その場所で、あなたの可愛いペットが待っている」
 はより表情を険しくさせた。かつて猟犬と呼ばれた人格の一つの事だった。
「不要だ。あいつの居場所なら僕らも把握している。僕らの秘密を知る者を、自由にさせておくとでも?」
 チェ・グソンは唇に笑みを浮かべ、メモを自分の懐に仕舞う。
「流石に抜け目ありませんね。しかし、彼が公安局に目を付けられている事はご存知で?」
「なに?」
「首輪が外れたのが嬉しくて、自由に振舞いすぎたのでしょう。今は逃げながら居場所を転々としているようだが、捕まるのも時間の問題です」
 は不可解そうに顔をしかめた。ぱちぱちと、瞬きを繰り返す。他の人格に確認を取っているのだろう。
「そんな……まさか」
 は驚嘆の言葉を漏らす。
「やはり貴方には知らされていなかったようだ。槙島の旦那の読みどおりですね」
「あいつが絡んでいるのか?」
「おっと、そう怖い顔をせずに。貴方の事を思ってですよ。このままお別れでは、寂しいでしょう?」
 は目を見開いて絶句した。
 瞬きを繰り返す。なぜ自分に黙っていたのか、他の人格たちを責めているのかもしれない。
 くそっ、と苦々しく吐き捨てる。
 悔しそうに唇を噛むの前に、先ほどのメモが差し出されていた。ドクがチェ・グソンの言葉を肯定した事、肯定した上で居場所をに伝えなかった事を悟ったのだろう。
 はチェ・グソンを睨みつけると、突如その膝を彼の腹部にめり込ませた。
「ぐっ!?」
 呻きバランスを崩したところでは彼の背後に回りこむと、チェ・グソンの腕をねじり上げ身体の自由を奪った。
「いい気になるなよ」
 頭部をコンクリートの壁に叩きつけると、チェ・グソンの口からうめき声が漏れた。
「僕は怒ってるんだよ。お前にも……槙島にも、ドクにも、あのバカ犬にもだ。勝手にお前たちだけで決めて、僕はいつも蚊帳の外か? なあ、お前も……少し痛い目を見てみるか?」
 の足がチェ・グソンの背を蹴り飛ばすと、身体を低くしたその背をしたたかに踏みつけた。少女のものとは思えない圧力に、チェ・グソンは背骨が悲鳴をあげるのを感じた。
 ミシリ、ミシリと不穏な音がする。その背後で、は冷徹な声を投げかける。
「なあ? 僕の犯罪係数は知っているな? なら、何をされるかくらい予想がついて然るべきだよな?」
 お前を殺したって――――僕のサイコパスは曇らないぞ?
 は苛立ちの全てをぶつけるように、チェ・グソンの背を蹴り飛ばすとやがて詰まらなそうに舌打ちを漏らした。そして彼の後頭部を蹴り飛ばし、卒倒させてその場を去った。



 しばらく後――――チェ・グソンはむせ返りながら起き上がり、携帯電話を耳に当てた。
「……旦那、こんな仕事はもう勘弁してくださいよ。え、嫌ですよ。だってあのお嬢さん、怖いんですもん。一瞬でも可愛いなんて思ったのが間違い……いえ、そういう意味ではなくて。それよりあなたの代わりに存分に蹴られてやったんだ。後はうまくやってくださいよ」
「しかし……そう言えば似た話を、昔読んだことがあるな。機械の身体を得るために少年が旅をする……。ああ、最後どうなるんでしたっけ? 限りある命の尊さを……ね。そうですね。真逆ですが、同じ答えに行き着いたのかもしれない。しかし、こちらは悲しい旅の終わりになりそうです」




end


JKに踏みつけられるグソンさん。
この業界ではご褒美です……なんて事は別にない。
ごめんね。チェ・グソン。