Black Mare14
槙島が隠れ家に女を連れ込んだのは初めてではない。連れ込まれた女たちが無事に家に帰ることが出来たかはさておき、遊びの延長として彼が性的な衝動を覚える事は健常な成人男子として普通にある事だった。
だが、今回のケースはずいぶんと珍しい。こんな風に長い間、誰か一人に固執する事などチェ・グソンが知るうちでも初めての事だった。
の事を語る時、槙島は本当に嬉しそうな顔をする。まるで大好きな玩具を手に入れた子供のようだ。
「どうですかね。俺にはちょっと分かりませんが。何せ顔を合わせる度に、人格が入れ替わるんでね」
「もっと彼女と会話をするといい。個々の人格にも癖と言うものがあるし、中でも代理人の彼女は一番外へ出てくる頻度が高い」
はあ、とチェ・グソンは曖昧な返事を返しつつ、風呂上りの熱気を立ち上らせた槙島を見上げた。の姿はないが、微かに開いたベッドルームのドアの先を覗く気にはなれなかった。
「旦那の一番のお気に入りですか」
「面白いよ、あの子は。生身の人間より人間らしいと思う。それでいてシビュラの庇護にある人間より、よっぽど意思が強い。自分の望み、目指すものが決してぶれない。葛藤や障害に行き当たっても、軌道修正が出来る柔軟性もある」
「望み、ですか。確か平和に平凡に生きるのが夢だとか?」
「そう。彼女以外の者にはごく当たり前に与えられているもの。彼女には決して手に入らないもの」
偽らなければはこの世界で当たり前のように生きることは出来ない。
彼女の高すぎる犯罪係数が、普通の暮らしを決して許さないのだ。犯罪に手を染めるのでも、テロに加担するのでもない。ただは普通の学園生活を望んでいるにもかかわらず、姿を偽るために多くの電子情報を改ざんし、余計な存在を処分して来たのだった。
「どこか彼女には僕らと似たものを感じるよ」
「真逆の存在なのに?」
「本質的にありきたりな普通の人間という事さ」
チェ・グソンの問いに槙島はふっと唇に笑みを浮かべた。
槙島を白とするならば、は黒だった。槙島のサイコパスがただの一度も曇った事がないように、のサイコパスはただの一度も晴れた事がない。
「母親の腹の中にいる時から、彼女の犯罪係数はずっと異常な値を発していたという。通常、赤子のサイコパスは計測不可能とされているが、なぜか彼女は生まれる前から心を濁らせていた」
母体からの影響であるならば、まだ良かったのだろう。だが、は誰よりも深い闇を抱いて、この世に産み落とされた。産声と共に医療ドローンたちがアラートを鳴り響かせる光景を、槙島はまぶたの上に思い描いた。
「先天的色相障害なんて、なかった頃の話でしょ。そりゃあ悪魔と蔑んだ医者の気持ちも分かります。はっきり言って異常ですよ」
「敬虔なカトリック信者じゃなくても、666のあざでも探したんじゃないかな。現代においては黙示録に出てくる悪魔の名前より、畏怖を覚える存在だろう」
生まれながらに大罪を抱えたに、この世界に居場所はなかった。
不思議だね、と槙島は呟く。
「一体なにが彼女のサイコパスをそこまで曇らせるのか。彼女自身も分からないんだよ」
何があっても色相は晴れなかった。楽しい事も、辛い事も、何があっても揺るがない黒。
「楽しい時の方が辛いらしいよ。こんなにも心が躍るのに、自分の色相はずっと真っ暗なんだって」
本当は自分はこの人も、この光景も、この瞬間も、実は大して好きでも何でもなく、めちゃくちゃに壊してやりたいと思ってるんじゃないか――――
「ずっと自分を疑い続けている。それが少し、疲れる」
の言葉なのかもしれないが、槙島の漏らした苦笑を見て、チェ・グソンはなんだか槙島自身もそう呟いた事があるのではないかと思った。少しだけ寂しそうな顔を、彼もしたのではないか。
「だから彼女はシビュラに叛旗を翻し、自らの心に従う事にした」
良い事も、悪い事も、すべて心が決める。
自らの欲する願いのためならば、誰かの死でさえ受け入れる。
「だって生きていたいからね」
ただ生きるために、何かの命を食らわなければならなかった一昔前の人間のように、は他者を犠牲にして生きるのだろう。もしかしたら、それこそが彼女の抱える大罪なのかもしれない。
だが、ずっと昔は当たり前のように皆が行っていたその行為は、果たして悪であるのか。生き物を口にする事自体がおぞましい行為となってしまった現代において、その答えを知るものがいるはずがないのだ。
と、その時だった。
「槙島ァー!」
ベッドルームのドアが勢い良く放たれたかと思いきや、ベビードール姿のが唐突に飛び出してきた。
レースをあしらったシルク100%のそれを掴み、が盛大に吼える。
「なんだなんだよ、これは! こ、こ、こんなハレンチな下着……お前が着せたのか!?」
「何も着ないのも寒いと思ってね。お気に召さないかな?」
「召すか、このバカッ! こ、こんな、ス、スケスケで寒さなんて……!」
言いかけて、はたとの目がチェ・グソンの姿を捉えた。何も見ていませんよとアピールするように、チェ・グソンはすばやく両目を手で覆い隠した――――が、の耳先が羞恥に一気に赤くなる。
「な、なん、な……チェ・グソン。お前、どうしてこんな所に……」
「いえ、俺は何も見てません。どうぞ気にしないでください」
「何もって……何もって、お前……」
呆然とした顔で自分の纏った黒いベビードールを見下ろす。ゴシック調のレース仕立てのそれはシースルーになっていて、へそのくぼみが見えるほどに頼りない。ガーターベルトの先には衣類というより布と表現した方が良いほどに、面積の狭いショーツが。
「小悪魔をイメージしたんだが、どうかな?」
「お前は黙ってろ、ばかァー!」
は槙島に向かって冷めた紅茶の入ったティーカップを投げつけると、目を覆って縮こまっているチェ・グソンの肩をぽんと叩いた。
「仕方ない。壊そう」
「ええ、それはとばっちりというやつじゃ!?」
「大丈夫だ、義眼だけ狙って殴る!!」
「いやいや、大丈夫じゃないでしょう!?」
「いや……大丈夫だ。たぶん! っていうか、こっち見るなぁぁ!!」
は右手をチョキの形を作ると、勢い良くチェ・グソンの両目を狙って突き出したのだった。
「やれやれ。とんだ災難だったね」
「まったくです。でも旦那、こうなるのを予想して俺をここに呼んだんじゃ?」
「まあね。おかげで良いものを見れた」
「ああ、まあ……槙島さんと関わるようになって、ずいぶん女の顔をするようになったなと」
「いいだろう? あげないよ」
「別にとりゃしませんよ、そんな命知らずな。それより本題を」
「用意してもらいたいものがある。泉宮寺さんの助力が必要かな。犬と……機械の身体が欲しい」
「構いませんが、そんなものを何に?」
「少しばかり面白い趣向を思いついてね。彼女たちの信じる信仰が果たして本当に崇高なものなのかどうか、問いかけてみる事にしよう」
end
実はムッツリ槙島先生。
そして巻き込まれポジションになりつつあるグソン。