Black Mare12
「僕ももっと注意してれば良かったんだ。あんなのがきっかけで気に入られたんなら、普通の女の子の振りでもして泣きながら逃げ出せば良かった」
感覚のない脚をぶらぶらさせながら、はテーブルに頬杖をついて呟いた。
思えば――――あれがきっかけだったのだ。
あの後、槙島自身からあれが槙島なりのテストだったのだとネタバレされて、はたいそう迷惑そうな顔をしたが、その時にはこれほどまでに厄介な事態を招くとは思っていなかった。
謀られたのはムカつくが、次同じことがあれば殺せばいいやと気楽に構えていた。結局、その次は訪れず、こうして腐れ縁を続けるわけになったわけだが、今思えばそれが間違いの元である。
殺す殺さない以上に、関わったのが運のつきだ。自分の中の人格たちも大概破綻者たちだと思うが、そういうのとは全く異なる。少なくともには行動が読めず、いつもいつも振り回されてばかりだと思う。
「僕の前任者は調律師と呼ばれてたんだよ。だから僕も、自然とそういう才能があるんだと思ってた。だけど、お前と関わると僕はてんで駄目だ。ドクの方がよっぽど上手くやってて、自信を失うよ」
あーあ、と溜息を呟きながら、は紅茶に浸したマドレーヌをほお張る。そういう習慣はなかったが、槙島の真似して食べてみるとなかなかいけた。
「それは嬉しい感想だね。僕が原因で君を変える事が出来るなら、嬉しい限りだ」
「厭味か。まあ、お前の喜ぶ事ばかりにはならないよ。代理人として役に立たなくなったら僕もお払い箱だ」
「と言うと?」
槙島は興味深そうに尋ねた。は槙島の方を一瞥してから、まあいいかと呟いて続きを語る。
「僕たちはの秩序を重んじる。そのための役割で、そのために選ばれたって事だよ。顔役の僕が表に出る事で、それが上手くできると信頼されてるから、僕はこうして他の人格より多くの時間を許されているんだよ」
「では、僕とこうしているのも、秩序を保つための必要プロセスとして認められているという事かな?」
は顔をしかめて、ホントお前ムカつくな、と呟いた。
「喜べ、お察しの通りだ。他の人格も、お前に変に目をつけられると厄介だというところで、僕と共通認識だ。認識が異なるのは、その代償に僕を犠牲にする事だけどな」
「つまり、公認の仲と言うわけだ」
はますます顔をしかめ、五月蝿いと言わんばかりに手を振った。無理やりに話の方向を軌道修正する。
「とにかく僕たちは僕たちの秩序を重んじるって事だよ。それを脅かすものは、外だろうと内だろうと在ってはならない。もし僕が代理人として力不足であったり不適合とされたら、それに代わる者が新しい代理人となり、この身体を指揮するって事だ」
槙島は少しだけ目を細め、怪訝そうに顔をしかめた。
「その判断は一体誰が?」
「僕たちの総意によって定められる。意見が食い違った場合は、より上位の人格が決める」
なるほど、と槙島は小さく呟いた。
の人格たちは無秩序のように見え、実は現実世界よりも秩序だった社会を築いている。その事に槙島は興味を覚えつつも、皮肉のように感じていた。
現実でシビュラに相手にされなかった彼女たちが、それに代わるシステムを己の中に作った。一昔前の民主主義のようでありながら、実は絶対主義で独裁主義。
目的はただ、シビュラに許されなかったという存在を、普通の人間のように生かすこと。曖昧で単純な目的でありつつ、それが絶対の教義であり、信仰。
もしその信仰に背く人格が現れたら、彼女たちは迷いなくそれを潰すのだろうか。イレギュラー、禁忌、在ってはならない存在として、シビュラが彼女たちにそうしたように。
「やはり君たちはどこか、正気を失っているのかもしれないね」
槙島の言葉には少しだけ苦笑を見せた。
「そうじゃなきゃ、こんな事にはならないよ。強い意志がなきゃ、僕たちはこの世界に生きる事すら許されない。他人にはひどく奇妙に見えるかもしれないけれど、僕はそれが間違っていると思わないんだ」
は――――少なくとも代理人であるは、その信仰を享受したのだった。ただ生きたい、としてこの世界に在りたい。それを強く求めるからこそ、人格たちの奇妙な合理性を受け入れられるのだろう。
「僕はこの脳によって生み出された。ならばそれの求める理想に殉じるのが使命だと思う」
「まるで殉教者の言葉だ」
「宗教ではないよ。僕らに神はいない。だが、シビュラが神のように振舞うなら、僕らは悪魔のように振舞おう」
聞きながら、槙島はガンドッグの描いた大淫婦バビロンの画を思い出していた。
悪魔に落とされた彼女の前身は、キリスト教が広まる以前のバビロニア神話に出てくる女神イシュタルとする説もある。異教の女神は別の教義を持つ者にとって、即ち悪魔となるのだろう。
シビュラが生まれる以前は、もしかしたらのような強烈な個性は、深く世界に受け入れられていたものだったのかもしれない。
「ともかく、僕も代理人として役立たずになったら、その役を降ろされてしまうんだよ。そうなったら僕だって残念だし、他の人格に申し訳なく思う。もしお前が多少なりとも僕に好意的な感情を抱いてるなら、僕を困らせるような事はしないでくれ」
いつか消えちゃうかもしれないからさ――――
真面目な顔で告げると、槙島は微笑みながら、
「心得たよ」
と、頷いた。その微笑に胡散臭いものを感じていると、
「の総意に反する事は極力避けよう。総意に反しない限りは、君を困らせる事もあるかもしれないがね」
「お前……なんでそういう風になるかなぁ」
は呆れ顔で溜息を漏らす。言っている事は的を得ているが、としては僕の気持ちも汲んでくれよと言いたいところだ。
「そろそろ僕の脚を元に戻してくれると助かるんだが。猛獣の檻の中に、丸裸で放り込まれたような気分だ」
は間接の外れた脚をテーブルの下でぶらぶらと揺らす。
こんな脚では自由に動く事も、立ち上がる事すらままならない。それは即ち、槙島の手の内から逃げ出す手段を失ったという事。
こうして暢気に話していても、いつ彼が変な行動に出るのかと、実は気が気じゃないのである。
だが、槙島はにこにこと微笑みながら、こう言った。
「それは総意に反する事ではないね。今この場にドクも猟犬も現れないという事は、君以外の人格たちは問題ないらしいよ?」
end
槙島さんに好かれるというのは、
当人である代理人以外は特に影響がないので問題ないのです。
むしろ便利な知り合いが出来たくらいにしか思ってない。
代理人一人の犠牲で、槙島の庇護が得られるなら得じゃん、という考え。