Black Mare11
「……じゃあ、もう行くから」
夢際にそんな自分の声を聞いた気がした。が目を覚ますと、は簡素な白い寝台の上に仰向けに寝そべっていた。
寝台の隣に銀髪の男が座っている。槙島。の通う学園に美術教師として赴任してきた男。
槙島はに微笑みを向けると、体調を尋ねた。
状況が掴めない。だが何故か気分は最悪だった。
「薬がまだ効いているんだろう。しばらくは安静にしているといい」
は顔をしかめ、精一杯不快感を露わにした。
状況が掴めない――――が、猟犬にキツネの始末を任せた後から、槙島へ繋がる経路はそう多くないように思う。あの不出来なハッカーたちの出所の一つに、槙島の存在を予想していたからだ。
白く簡素な部屋は医療施設の一室だろうか。身体に白いシーツがかけられているが、その下は裸体だ。
調べられたのか。なんとなく把握する。
詳細は知れないが、何らかのアクシデントで連れ去られ、どこかの医療施設でスキャンでもされたと考えるのが妥当だった。
「あいにくよく分からなかったよ」
の理解を待っていたのか、ゆっくりと槙島が言った。
「そりゃそうだ」
が応える。
「通常の人間より僕らのサイコパスは複雑怪奇だ。だから時代遅れのプロファイリングや臨床心理なんかが実験に使われてた」
素人が分かるものではないよ、したり顔では言う。だが槙島はいつでも余裕の笑みだ。
「左目と脳に金属片が埋め込まれているね? 君は知っていたかな?」
は胸中で舌打ちをしつつ、義眼は初耳だ、と返した。
だが、驚くべき事ではない。それすらも、予測がつく。
「ドクが記憶を記録するのに少し身体を弄ったと言っていたから、その時やったのかも。脳のやつは昔の名残だ」
「君が望むなら取ってあげてもいいけれど?」
槙島は微笑みながら尋ねた。
「いい。いつか自分で出来るようになったらやるよ。お前に任せたら剃刀で頭を真っ二つにされかねない」
が胡散臭いものを見るような顔で首を振ると、槙島は嬉しそうに微笑んだ。最初から変な奴だと思っていたが、やっぱり変だとは認識を新たにした。
「それより君は驚かないのだね」
「なにが?」
「この状況に。さっきここにいた子は、ひどく怯えていたようだったが」
ああ、とは合点がいったように呟いた。
先ほどまでいたのは、交代人格の中でも最も幼い少女の人格だった。ドクがリミッターを作るまでは、彼女が色相検査をクリアする役だった。
役割は
最近、表に出ていなかったが、他の人格が覚醒しなかったので代わりに出て来てしまったのだろう。寝起きに槙島とご対面とは可哀想に。これでまた引きこもってしまうな、とは少女を哀れに思った。
「僕は何と無く理解しているから。そっちこそシステムがほぼ食われたのに悠長にしているな」
そう返して、はにやりと笑ってやった。
実はここにもドクのトラップが仕掛けられている。スキャナーでも何でも、何らかの機器にが捉えられると、ネットを介して悪質な電子ウイルスが流れ込むようになっている。
もちろんウイルスの流し込みようのないスタンドアローンの機材ではそうはいかないが、大抵の機械は生体力場からの認証をおこなうためネットワークに繋がっているのだ。
経路があるのなら、そこへ毒の水を流し込むのは容易い。機械がの存在を捉え、システムが照合へ向かった瞬間、系列のすべての機器をほぼ同時に壊すよう仕組まれている。
二度目は通じない技だが、一度きりでも十分な威力を発揮する。
「ああ、参ったよ。君のおかげで病院はいま混乱の最中だ。医療ドローンのサポートなしに、オペを行えるか医師たちの力が問われている事だろう」
「お前の携帯端末は?」
「幸い僕は大切な事は紙に残すたちでね。お気に入りの音楽が消えてしまったくらいかな」
「なんだ詰まらない」
は詰まらなそうに呟いたが、まあこんなものだろうと同時に諦めも付けていた。警告としてなら十分だろうし、どうやら槙島には凄腕のハッカーが付いているらしいから、そいつへも良い牽制になったと思う。
槙島へは大したダメージにならなかったが、そっちは今頃頭を抱えているはずだ。どんなに凄腕だろうと復旧に数日はかかる。その間しっかり後悔しろと、は内心ほくそ笑んだ。罠に鼻先を突っ込むと痛い目を見るのだと。
「それで、僕はもう帰っていいのか?」
何事も無かったような素振りでが槙島に尋ねると、彼も何もなかったような口調でどうぞと応えた。
その時、槙島はすでにへの興味を募らせており、勝手に秘密を盗み見るよりも、の前でそれを暴いてやりたいと思っていた。
そしてはで、もし槙島がを殺すつもりならとっくにそうしていたであろうし、そのつもりがあるならその瞬間ドクが対抗すると確信していた。つまり今は互いにその必要はなく、もしこれ以上真相に近づこうとするならば、その時始末すればいいやと悠長に構えていた。
互いに相手の懐への距離を測りつつ、二人は平和的に別れる事にした。
「じゃあ、僕のセーラー服を返してくれるか?」
人が何人か死んだ次の日とは思えない、間抜けな問いかけだった。
end
Agent,Doctor,Gundog,Dollが今判明している交代人格。