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Black Mare10





 槙島聖護がに特別な感心を抱くようになった背景の一つに、彼の試験をなんなくクリアしたというエピソードがある。
 にとってそれは試験でもなんでもなく、ただ厄介ごとに巻き込まれたという認識だったが、どういうわけかその一件から槙島はに心を向けるようになった。
 二人が出会ってしばらくした頃、ドクの張った警戒網に何匹かキツネが引っかかった。
 ジャーナリズムに燃えるライターだったのか、ただのゴシップ雑誌の記者だったのかは知らない。ただ、見知らぬ男たちが妙にの周りを煩く嗅ぎ回るようになったのだ。
 の個人情報はドクによって、幾重もの嘘で塗り固められている。徹底した偽装は、もはや本物と区別できないほど精巧に出来ているのだが、まったくの偶然にキツネが鼻先を小さな隙間に突っ込んでしまう事があるのだ。
 ドクの作った虚偽のデータは、鼻先を突っ込んだキツネに、これはお前の勘違いだと安全な場所への道を示す。だが、それを無視して――――野生の勘でその中へ突き進もうとすると、仕方なくドクは猟犬を放つのである。多くはないが、どうしようもない時はそうして処分する事もある。
 今回もそのケースに似ていたが、唯一異なるのは彼らは偶発的にその情報を手に入れたのではなかった。
「なんだかなぁ」
 襲撃したキツネの巣穴の中、は彼の所持していたPCを立ち上げると、呆れたような顔でディスプレイを眺めた。
 どんなにデータをサルベージしても、そこそこのハッカーだというくらいの情報しか出てこない。このレベルの能力で、とてもの本質まで辿り着けるはずはないのだ。
 だが、最近彷徨いているキツネはどれも、似たようなレベルでの真相まで近づいた。男たちはどれも異口同音のような脅し文句で、の色相の秘密を持ち出し、彼女たちを脅そうとしたのだった。
「なあ、僕は何度も同じ質問をするのは好きじゃないんだけど」
 は振り返ると、面倒臭そうに明かりの落ちた部屋の先へと呼びかけた。
 薄暗闇の中に男がいる。椅子に座った状態で両手両足を拘束され、頭には紙袋を被せられていた。
 近づくと血と糞尿の匂いがした。触りたくないなぁ、と顔をしかめつつ、は男の太ももに刺さった刃物を上からとんと押した。
 男の荒い呼吸に悲鳴が混じる。
「大げさだなぁ。大腿骨を抉っただけだ。まだ折れちゃいないよ」
 は緩慢な口調で言いつつ、今度は刃物の尻を掴んで肉をかき混ぜる様にぐるりと捻じった。
 響く絶叫。だがは自分が与える痛みに、眉根すら動かさない。
「し、し、知らない! メール! め、めメールが届いたんだ! 知らないヤツから!」
「そいつがこのガキの秘密は金になるって? あいにく僕らの貯金は二十万ぽっちだけどな」
 は冗談を交えつつ、今度は逆回りに男の大腿部の肉を混ぜた。
 絶叫に混じって尿の臭気が酷くなる。痛みで失禁したのか。
 前を濡らした男の股間を一瞥し、不快そうに眉をしかめる。
「だいたい想像力というものが足りない。一介の学生をつかまえて一攫千金なんてありえないだろ? 保護者からむしり取るつもりでいたのか、それとも金じゃなく女の身体が目当てだったか」
 は壁一面に貼られたどぎついポルノのような写真を眺める。善良な市民であれば、見ただけでサイコパスを濁らせるかも知れない。
 見知らぬ有象無象の女たちが、犯され、切り刻まれ、狂わされ、落ちてく姿。フィクションではない。この部屋でいつか起こった出来事なのだろう。
 映っている女たちに同情も憐憫も感じないが、自分もこのうちの一つにするつもりでいたのだろうかと思うと、怒りよりも呆れが心を支配した。
 こんな風にしか心を満たせない馬鹿は哀れだ。このご時世、こんな犯罪は一番わりに合わない。合法ドラッグやバーチャルの売春婦で我慢できたなら、こんなにもサイコパスを濁らせるかも事はなかっただろう。
 どちらにしろ短絡的だ。
 今までこんな簡単な方法で美味しい餌にあり付けていたものだから、想像力を失ってしまった。まさか獲物の少女から、逆に猟犬を放たれる事になるとは。疑いもしなかったのだろう。
「ありがとう。もういいよ」
 は告げると、男の太ももから刃物を抜いた。
 十徳ナイフのような形状だが、柄は細身でナイフと呼ぶよりメスに近い形状をしている。の愛用する便利な道具だ。これ一本あれば、大抵の事は済んでしまう。
 男は荒い呼吸を繰り返しながら、安堵の吐息を漏らした。の言葉を解放する、と受け取ったらしい。
 は男の誤解に気づきながらも訂正はせず、ただ一言、言伝を残した。
「後は任せる。好きに遊んだら処分しておけ、ガン・ドッグ」




end


平凡かつ平和な日常を愛するからこそ、
それを乱そうとする者は冷徹に排除する。
そんなタイプの潜在犯です。
(もう潜在じゃなくて犯罪者だけど)