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 怪物の絵を描くのが好きな子供がいた。
 彼は自分たちのことをよく怪物になぞらえて話した。
 中でも彼が愛したのが欲望の象徴マザーハーロット。
『僕たちは獣の首なんだ』
 彼は画用紙に描いた赤い獣を手にそう話した。それぞれの首に、人格たちが割り与えられる。高慢ちきの博士 ドクター、減らず口の代理人エージェント。だが、獣に座した女には人格が与えられない。
 尋ねると、彼は首を横に振った。
『誰でもないよ。こいつはただのハリボテだよ』
 彼女こそマザーハーロット本体ではないのかと尋ねると、彼は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
『違うね。こいつはただの死体だよ。もう息もしちゃいない。僕たちはただの死体を運ぶ怪物だ』




Black Mare09





 どうだ思い知ったかとばかりに、は開口一番に吐き捨てた。自身も身体中擦り傷やら切り傷だらけだと言うのに、である。
 代理人のが目覚めた時、は見知らぬマンションの一室にいた。気絶したの身体を、槙島が仮宿としているセーフハウスに運んだらしい。
 日付にして、すでに一日が経っていた。
「詰まらない詮索をするからだ」
 と、は槙島の腕に残った、狂犬に噛み付かれた痕を見やった。自分と同じ歯型にもかかわらず、僕はあいつの飼い主じゃないからな、と早々に責任を放棄した。
「僕も怒っていたけど、お前、ドクを怒らせたってことだからな。だから犬をけしかけられたんだよ。わかったらこれで少しは懲りろよ」
 先日の詮索の件である。脅しの文句を残し舞台を降りたように思えたが、ドクはしっかりと牽制の準備をしていたという事だった。代理人であるを中へ押し込み、猟犬の首輪を外したという事は、人格たちの中でもドクは権力者であるという証である。
 そのドクを怒らせて噛み付かれた程度で済んだのなら、むしろ歓迎すべき結果なのか。もちろんドクも槙島の反撃を恐れ、甘噛み程度に済ませたというのもあるだろう。
 しかし、一方でドクが槙島を懲らしめるためだけに犬を放ったとも思えなかった。仕置をしたいのなら、に直接手を下させれば十分だ。わざわざ別の人格を呼び、槙島に猟犬ガン・ドッグという人格を認識させる必要はない。
 わずかな邂逅だったが、ガン・ドッグは肉体ほど精神が強靭ではない印象を受ける。色々な事に苛立っており、胸の中に不満をくすぶらせている。つまり、槙島にとっては強固な意思を持つや、頭の良いドクに比べ、何倍もやり易い相手という事だった。甘い言葉で惑わすのは容易い、今まで彼が力を貸した潜在犯たちのように。
 ドクがその可能性を思慮に入れなかったという事はないだろう。考慮に入れた上で猟犬をし向けたのならば、ドクの狙いは何か。
 懐柔? 誘発?
 槙島はわずかな瞬間にそこまで思考を広げると、口先では肝に命じるよ、と肩をすくませてに応えた。
「しかし、僕は意外と彼女には好意的に受け止められていると思うんだがね」
 思考を保ちつつそう口にすると、は呆れ顔を向けた。
「お前……本当にそのうち死ぬんじゃないか?」
「簡単に殺されるつもりはない」
「なら、僕も死ぬ気でお前を殺しにかかるとするよ。ともかくドクにそこまでの意図なんかないよ、きっと。あれだって、別に僕たちとそう変わるものじゃない」
 あれと呼ばれた猟犬の姿を、槙島は脳裏に思い浮かべる。確かに言動に品はなかったが、言っていることは至極まともだったかもしれない。
 あの人格はただ、自分として生きたいと言っていただけだ。顔も肉体も共有物で、個々を区別するのは役割だけで名前はない。そう、ガン・ドッグは名前ではない。代理人や博士も、走るとか、喋るとかの機能を複合的に表した言葉でしかない。
 理由は知らないが、彼らは以外の名前を持たないのだ。
「僕たちは……普通に生きたいだけなんだけれどな」
 は溜息と共に呟いた。
「ともあれ、エージェント博士ドクターは、あれより協調性と調和に重きを置いている。だから、集団の脅威は率先して排除するし、極力外部の人間とも波風を立てたくない」
「ああ。そういう君の理知的なところは良いと思う」
「なら、槙島。僕らにとって、今一番の危険人物はお前だ。理解してくれたのなら、良き友人としての距離を心がけるべきだと思わないかな?」
 は大仰な素振りで腕組みをすると、きっぱりと言い放った。
 槙島は微笑む。そして、
「断る」
「なんでだよ!」
 は声を張り上げると、テーブルを強く叩いた。
「人の嫌なことはするなって習わなかったのか? 免罪体質なら何でも許されると思うなよ?」
「そうじゃない。だが、君の理屈には二つ穴がある。第一に君たちにとっての危険人物とは、君たちの秘密を暴く人間の事であり僕個人を指すものではない。第二に友人の距離を保たなければならない根拠がない。少なくとも僕は他の人格たちに、君の伴侶となる事を許されたと自負しているが?」
「いや! いやいやいや、それおかしいだろっ!」
 は盛大に突っ込みを入れたが、槙島の鉄壁の微笑を崩すことは出来なかった。どんなトンでも理論だよ! と噛み付くが、槙島はしれっとした顔で僕の告白を君たちは拒まなかった、と答える。
「そりゃ他の人格は他人事じゃないか! むしろあいつら、僕をイケニエにお前を懐柔するつもりで……って、ああ、そういう事じゃなくって!」
 とにかく困る! とはびしり、と伸ばした人差し指を、槙島の鼻先に突きつけた。
「変な期待を持つな! 僕に近づくな! また猟犬が暴れたらどうするんだ!」
 そう訴えかけるが、槙島はの指先をやんわりと包み込み、じりじりと間合いをつめて来る。その顔には勝ち誇った笑み。
 もしドクがお気に召さないのなら、とっくのとうに猟犬が飛び出しているはずだと知っての笑みなのだろう。つまり逆を返せば、ドクにとって大切なのは集団の安全であり、槙島の懐柔および取引。エージェントの身柄は二の次――――むしろ、イケニエにどうぞという腹積もりだ。
「話が早くて助かる。やはり僕は彼女と上手くやっていけると思うよ」
「そ、そんな事があるはずあるかっ!」
 はひぃっと小さい悲鳴をあげると、こんな所に居られるかとばかりに逃げ出した。否、逃げ出したつもりでいた。
「は……」
 立ち上がりかけて、カクンとすくんだ自分の身体に、は一瞬思考を停止させた。
 足が……片足がぶらぶらと揺れている。力が入らない。まるで木偶のようだ。
「なっ、な、なっ、おい! 足の関節が外れてるじゃないか! なんだよ、これ!? お前か? お前の仕業なのか!?」
 ぶらぶらと揺れる思い通りにならない片足。槙島は嬉しそうに微笑むと、猟犬に噛み付かれた痕をの前に掲げた。
 お相子だとでも言いたいのか、どう考えても等号で結ぶ事が出来るとは思えない。
 だが、こんな仕打ちを受けつつもドクも猟犬も出てこないという事は――――導き出される答えは一つである。
「さて。時間はあるんだ、話でもしよう。紅茶はアールグレイで良かったかな?」
 ティーポットを掲げた槙島に、はひっと小さく悲鳴をあげた。




end


先生、ダージリンでお願いします。
それにしても関節なんて外したら痛くて仕方ないだろうに。
そこはご都合主義で言っちゃいます(笑)