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Black Mare06





 窓の外は夕闇の雨がしとしとと降り注いでいた。
 部屋の光度をセンサーが感知して、自動的に蛍光灯が灯る。その無機質な光の下、は禽獣のような瞳で槙島を見つめていた。
 声は低い。自身のものだが、怒りを抑えているのか普段よりもアルトに聞こえる。
「なあ……ひとつお前を有頂天にさせる事を教えてやる。僕はそれほどお前が嫌いじゃない。お前は賢いし、分別がある。正直、素で話せる他人というのは初めてだから、おしゃべりするのも嫌いじゃないんだ。殺されるのは勘弁だが、僕のあずかり知らぬ所で犯罪に興じてたって気にしない。僕にとってお前はそういう人間だ」
 の言葉に、槙島は光栄だよ、と普段どおりの調子で言った。この余裕が気に入っている理由の一つだが、今はを苛立たせる。
「だから他人よりは僕の中へ入る事を許してやった。詰まらない悪魔の話をしたのもその一環だ。いつものおしゃべり。それでいい。それだけでいい」
 これは警告である。そこが境界線だと。凶器を手に伝える。
 無言で切り付けずに寸止めで警告するあたり、の自分への評価の現われでもあり、槙島は密かに気を良くしていた。
「なあ。お前は賢いからわざわざ口にする必要はないと思ってる。お前どうせ、僕の反応を見て楽しんでるんだろ? まったく嫌な奴だよ。図星だ。僕はその話題は嫌いだし、もしかしたらお前の分析どおりなのかもしれない。だが、そんな事はどうでもいい。その話を聞くと腹が立って、胃がムカムカする。だからこれ以上、それを口にするな。僕を暴こうとするな。要求はそれだけだ。オーケイ?」
 槙島は答えなかった。
 依然として表情には余裕が残っている。
 実際に槙島はまだには余裕があると考えていた。あともう一二歩、中に踏み込んでも安全だと。
 その理由には、が“耐える人格”であるという前提がある。が受け止め切れなかったストレスを引き受け、身体と精神を維持する人格。それが代理人として彼の前に現れたの役割なのだ。
 だからは、実は耐久力が高いし、滅多なことでは壊れない。だからこそは他の人格たちに代理人として選ばれ、誰よりも長く身体を支配している。そうでなければ、もっと賢い人格や、攻撃力の高い人格がをコントロールしていたはずだ。
 だから――――そのバランサーであり交渉役であるのボーダーが今ここにあるとして、それを乗り越えても、たどり着くのは他の人格のボーダーなのだ。の境界線は乗り越えるが、本当の意味での越えてはいけない線はまだ先にある。槙島はそれを知っている。
 のぎりぎりの――――怒りと焦燥に満ちた顔を、槙島は愛おしく感じた。この優しい人格は、自分たちを守ると共に槙島も守ろうとしてくれているのだ。
 そこに愛を感じた。きっとは否定するだろうが。それは槙島の心を満足させた。
 だが――――
「好きな子について知りたいと思うのは悪い事かな?」
「馬鹿……ヤロウっ!」
 が呻くように言い放った。
 次の瞬間――――槙島の頭部は教卓の上に思い切り叩きつけられ、鋭利に尖ったヘラが目の前に深々と突き刺された。
 ゆっくりと視線を巡らせると、は胡乱な瞳を向けており――――ゆっくりと焦点が集ったかと思うと、表情を動かさないまま告げた。
「初めまして、槙島先生。わたくし、ドクターと皆に呼ばれている者ですわ」
 ドクだった。




end


シリアス続き。
槙島さんは人の嫌がる事するの好きそうだし、
それが好きな子の事だったら率先してやりそうですね。
しかも、自分が嫌われないという絶対の自信を持った上でやる。