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犯罪係数666
The Doctor





 荘厳な神殿の中を一匹の黒いヘビが、身体をうねらせ進む。まるでギリシャ神話に出てくるオリュンポスを模したような造りだが、過剰な高峻さが逆にそれを安っぽく見せる。
 所詮バーチャルだ。神話を3Dで構築すると、こうも白々しくなるのかと呆れてしまう。
 神殿の奥の祭壇には、一人の少年が居た。カートンのキャラクターのように平べったい顔をしている。短い金髪に、ベルベットのような輝きのガウン。まるで王子様だ。そう、サン・テグジュペリの『星の王子様』の挿絵にこんな男の子が描かれていたのを思い出す。
 星の王子様はヘビの姿を見つけると、嬉しそうに微笑んだ。
「よく来てくれたね」
 王子が手をかざすと、何もない空間にすっと大理石の椅子が現れる。
 黒ヘビは椅子の足に巻き付くようにしてそれによじ登ると、椅子の上にとぐろを巻いた。バーチャル以前に足のないヘビに椅子を勧めるなど、なんとも馬鹿げた話だ。
「藤間さんと仰いましたか。私に何の用ですの? 用件ならメールで事足りるでしょう」
 黒ヘビを操るドクは星の王子様の方を向き、ヘビnの首を傾げて見せた。
 藤間は微笑みを浮かべたまま、ドクに勧めたように椅子に座るのではなく、祭壇の上に腰掛けた。
「そんな悲しい事を言わないでおくれよ。せっかく君が身体を支配できる時間なんだ、会ってゆっくり話をしたいじゃないか」
 こちらがその貴重で自由な時間を藤間に邪魔されている、という思考に至っての皮肉なのか、ドクは胸中で溜息をつく。
「では、手短に。あの子が起きてしまう前に」
 オーケーと手を振って、藤間は切り出した。
「聖護君とはどうかな? 恋人役はうまく出来ているかい?」
「概ね良好だと思いますわ。あの子は嫌がっていますけれど、本気で抵抗はしていないでしょう」
「なら結構。聖護君から好意を寄せてくれるなんて僥倖だね。天使と悪魔の恋だなんて、とてもロマンチックだと思わないかい?」
「ええ、とても」
 ドクは機械的に藤間の望む答えを返す。藤間は満足げに頷いた。
「この恋が成就すれば、きっと何もかも上手く行くよ。彼は堕天を許され、君たちも神の祝福を受けるだろう。その不名誉な悪魔の姿を、天使に変える事が出来る」
 ドクは頷きながら、思考の端でもし目の前の藤間が実体であるなら、脳蓋を穿ってブリキの王冠でもくくりつけてやるのになと思っていた。いや、手ずからオペを行う必要もあるまい。こんな奴は犬に噛ませれば済む話だ。
 そもそもたかだか美人局を、堕天だとか祝福だとか表現するのが間違いだ。そんな高尚なものなど、どこにも存在しない。ただちょっと変わった少女を使って槙島の興味を引き、そのままこちらに引き入れようという計画だ。
 その餌役に選ばれた代理人の事を哀れに思わなくもないが、シビュラシステムと取引を行う羽目になった自分よりはまだマシだろう。この後この輩の仲間に引き込まれるのだと思うと、本当にそう思う。
 だが、ドクに選択肢はなかった。
 あの冒涜的で背徳的な実験を繰り返していた研究施設で、ドクに逃走の知恵を授けたのはシビュラだったからだ。神託の巫女というより、イヴを唆したヘビの方が似合いだと思う。確かに逃げ出す事に成功しは世界を偽る事に成功したが、その反面シビュラシステムの監視と支配を受ける事になったからだ。
 そしてドクは、あの日から誰にも明かせぬ罪悪感に苛まれ続けた。大切な仲間を裏切り続けている。その事を悩まぬ日はなかった。
「しかし、少し意外だったよ。聖護君は賢い子が好きだから、てっきり君に興味を持つと思ったんだ」
 藤間の言葉にドクは少しだけ笑った。お世辞ではなく本心だが、笑い声にはわずかに嘲りが混じってしまったかもしれない。
「買いかぶりすぎですわ。私なんてあの子に比べたら平凡ですもの」
「そうかな? 僕には代理人の方が低能に思えるよ。感情的で無知で恥知らず、何をするか分からない癇癪を起こす子供みたいだと思った」
 ドクはうふふと笑いながら、藤間の脳髄にドリルを刺す光景を思い浮かべた。バーチャルでもいいからやってしまおうかしら、そんな悪い考えが頭をよぎる。
 ドクには槙島が自分を気に入らなかった理由が何となくわかる。おそらくドクの嘘を内容は分からずとも感じ取ったのだろう。自分の持つ知識も技術も所詮誰かに与えられたものに過ぎないのだと、彼はその事を見透かしたのだ。
「その先が見えない所が、槙島先生はお気に入りなんじゃないかしら。先が見えるものなど詰まらないもの」
「そうかな。まあ、痘痕も笑窪と古い言い回しで言うからね」
 ドクは再びうふふと笑いつつ、藤間の脳味噌をヘビの舌で突き刺す光景を思い浮かべた。
 そういえば、と藤間は話題を変える。
「意外と言えば君も意外だ。今まで僕たちの誘いにずっとノーといい続けていたらしいのに、一体どんな心境の変化が?」
 ああ、と藤間の振った話題にドクは思い当たる。ドクがシビュラシステムの構成員となるのを最近承諾した件だ。確かにドクは研究施設を逃走したあの日から、ずっとそれを断り続けていた。
 心境の変化があったのは、槙島が彼女たちの前に現れてからだ。データの上で知る人物像よりも、槙島聖護はずっと魅力的で、彼の好意を後押しする気になったのもドクが彼を気に入ったからだった。
 代理人のが、嫌がったり、使命だなんだと言いながら徐々に姿を変えていくのを、喜ぶと共に少しだけ寂しく感じた。子供の成長を見守る親の気分だった。
 そして、槙島がいるなら自分の役割は必要ないのかもしれないと思った。ドクターとしての役割がここにないのなら、別の場所で自分にしか出来ない事をしよう。それがシビュラの一員となる事を決意させた理由だった。
 もし、槙島もシビュラシステムの一員になってしまったら、それはそれでを悲しませる事になってしまうが、それは彼が決める事だ。それに万が一槙島を失っても、自分を護る術は幾つも伝授してある。
 身体の心配はない。なら、自分はシビュラの中から彼女たちを護る存在になろう。そう決めた。
 自分がシビュラの一部になってしまえば、もうあの子たちに子供だましのリミッターなど要らない。正しい犯罪係数を計測する前に、瞬時にその演算を内側から狂わせてやろう。それにが自然死を遂げるまで、シビュラシステムが脳を欲しがらないよう抑制にもなる。
「それがあの子たちのためですもの」
 ドクは母親のような顔で微笑んだ。それはヘビのアバターには反映されなかったが、どうせ藤間には理解できまい。案の定、藤間は不可解そうに、
「それほどは大切なのかな?」
 と尋ねるのだ。
「ええ、もちろん」
「主人格の物だから?」
 まさか、とドクは首を横に振る。
は私達にとって世界であり、大切な家ですわ。私はただあの子たちを悲しませたくない、それだけ」
 藤間は分かったのか分かっていないのか、ふうんと曖昧な相槌を打った。
 べつに理解など求めていない。この男だって、人格たちの事を亡霊のようにしか思っていないのだろうから。
 だが、ドクはそれで構わない。誰の理解が得られずとも、それが独り遊びの延長だとしても、それを信じて幸せを感じることが出来るなら、その事以外に必要なものなどないのだ。
「お話が済んだのでしたら、私はこれで」
 ドクはぺこりとヘビの頭を下げ、登った時と逆の要領で地面に降りた。
 帰っていいよ、とでも言うように藤間がそっけなく手を振る。最後の回答が気に入らなかったのだろう。
 ドクは内心ほくそ笑んで、くるりと背を向けた。
 と ――――
「ところで、そのアバターは皮肉のつもりかな?」
 少し離れたところで、藤間がドクの背に声をかける。
 ドクは首だけを後ろに向けて、
「ふふっ、気付いていただけて嬉しいわ」
 軽く会釈を返し、ネットワークを切断した。




end


ヘビはイヴを唆した悪魔の化身。