他人の目からはおおよそ俗物とはかけ離れた場所に位置するように見えても、彼もまたただの一人の男だった。
特別な事など何もない。
好きな女を抱きたいと性的な欲を覚えるのと同じように、この唯一のものを手放したくないと独占欲が働いた。
おそらくそれはごく自然な男のさがのようなもの。
それだけだ。
犯罪係数666 The Agent
シーツに包まって眠りこけるの寝顔を、槙島は枕の上に頬杖をついて眺めていた。
眼鏡を外し髪を解いた、の素の顔だと言うのに、どこか年齢の測れない曖昧さを持つ。こういう二十代もいるといわれれば納得するし、実は中学生以下だと言われても驚かないだろう。
の改ざんされた経歴に、本当の年齢は載っていない。
槙島は手を伸ばし、顔の輪郭を確かめるようにそっと触れた。
額が狭いとか、意外と睫毛は長いとか、一つ一つのパーツを確かめるように撫でていく。情事の後、こんな風にの身体を観察するのが、なんとなく習慣になっていた。
何度と無く繰り返したそれにより、槙島の頭の中には小さなほくろの位置まで記録されている。だが、情報をすべて把握していても、掴みきれない不安定さがにはあった。
所詮、槙島が触れられるのはという外側だけなのだ。
これはであってではない。人格たちの共有物で、以外のものも混じってしまっている。
槙島の指先は顎の先を這い、ゆっくりと首筋を辿って肩にたどり着く。左肩にうっすらと傷が残っている。誰かとの諍いの痕なのか、事故によるものなのかは知らないが、これがの作ったものかどうかも定かではなかった。
この身体には、以外の人格の残した痕も多く刻まれているのだ。
槙島の残した愛した痕よりも、という集合体の生きた歴史の方が多く残されている。一部はの残したもの。だが大多数はそれ以外の人格のもの。もしかしたら過去に他の人格たちと関わった、誰かの痕も残っているのかもしれない。
それが槙島には、どことなく不快だった。
着脱可能な制服や改ざん可能な電子情報よりも、如実にを表すそれを何度ばらばらにし、の部分だけ持ち運べたらいいだろうと思った事だろう。
欲しいのは唯一つ。それ以外は要らない。他の不純物など、邪魔なだけだ。
の維持する秩序を軽んずるわけではないが、槙島にとってそれは認めはすれども、愛すべきものではない。喩えるなら恋人の家族のようなもの。抱き合う時には邪魔なだけだ。
傷跡をかき消すように上からキスマークをつけながら、槙島は考える。幾度も脳裏に上がり、その度に思考を諦めること。
だけを手に入れる方法。
それを考える。
人格の殺害は、実質不可能だろう。人格の分析と電子化が可能ならば、外部から意図的に狙って殺す事は出来るかもしれないが、の多重人格という性質を直すものではない。今いる以外の人格を殺しつくしたとしても、新しい人格がまた生まれるかもしれないし、他の人格を失う事によっての人格が変化してしまうかもしれない。
では、複製はどうか。猟犬の一件ですでに実践済みだ。の人格だけを抽出し、他の身体に複製を残し、元の身体の人格を消す。コピー&デリート。
これも駄目だ。可能ではあるが、意味のない事のように思う。複製は所詮、複製に過ぎない。のクローンを作っても、愛せないのと同じ理由だ。
なら、どうすればだけを手に入れることが出来るだろう。
だけを抱きしめ、口付け、誰にも覗き見される事なく愛するには、何を殺し何を生かせばいい?
思考がここに至ると、槙島はほぼ考える事を諦めてしまう。いつも同じ結論に達するからだ。
おそらくそれが答えであり、槙島が取るであろう未来の選択肢。
その他の選択を模索してみるが、この結論以上に槙島を納得させる答えはまだない。
「君を手に入れる方法」
槙島は微笑を浮かべて、の白い肌に唇をあてた。キスよりも強く、荒々しく鬱血の痕を残し、歯を立ててみる。
痛みでが軽く呻く。が、まだ夢の中にいることを確認し、行為を続ける。槙島の残した痕で体中が埋まればいいとでもいうように、いくつも痕を残していく。出来ればサイコパスも変化してくれるといいな、そんな事を考えながら。
「いつか君を迎えに行くよ。必ず」
そのために今はたっぷりとこの身体を愛し、何度も愛の言葉を繰り返そう。
君を迎えに行ったその時、君が僕の手を取ってくれるよう ――――
「独占欲だなんて、意外と普通の男だったんですね」
少女は狡噛のバイクの後ろに跨り、ふとそんな言葉を漏らした。
狡噛はちらりと後ろを一瞥してから、無言でヘルメットを少女に渡した。少女はそれを受け取り、頭にかぶると、狡噛の腰に両腕を回した。
キーを捻ると共に、エンジンが唸り声を上げる。その唸り声に混ざって、少女が言葉を続ける。
「私は槙島聖護というのは、もっと俗物を嫌う淡白な男なのだと思っていました」
代理人と呼ばれた少女よりも、硬質な印象を与える声。喜怒哀楽に乏しい顔はアンドロイドみたいだと、狡噛は思う。
「あんたが特別視するほどあいつは特別な人間じゃなかった。……それに普通で十分だろ。ただの女の前なら」
狡噛は独り言のように言うと、ハンドルを回した。猛獣のような唸り声を上げ、二人を乗せたそれは発進する。
狡噛がバックミラーを覗くと、少女は少し驚いた顔をしていた。をただの女と評した事を驚いているのか。
だが、疑問を口にしないという事は納得したのかもしれない。
確かにもまた普通の女だった、と。潜在犯や多重人格者である前に、一人の男と出会ったただの女だった。
何も特別な事などない。
好きな男に抱かれたいと性的な欲を覚えるのと同じように、唯一のものを運命と感じ共に在りたいと願った。
おそらくそれはごく自然な女のさがのようなもの。
それだけだ。
end
ごくありふれた男女のお話。
経緯はどうであれけっこう早い段階から、
槙島はあの結末を考えていたんだと思います。