愛しい、愛しい03
こんな格好をこいつにだけは見られたくなかった、と。
そう思った瞬間、プロイセンはすぐさまいつもの冷静を取り戻していた。
「悪い、時間か?」
シーツに包まってる女を押しのけて、ベッドから足を下ろす。下穿きだけだった体に放っておいた軍服を着込んで、ベルトをしめて、ブーツを履けばそれで完璧だ。
もはや女に未練はないといった顔でドイツの横に立ち、行くぜ、と促すようにその肩を軽く叩いた。
「あ、ああ…」
少しだけ驚いた顔のドイツに率先しドアを開くと、弟もまた素直にそれに従った。
夜明け間近の灯りの落ちた廊下を二対の軍靴がカツカツと音を響かせる。兄も弟も始終無口だったが、先に弟の方が耐えられなくなり背後から声をかけた。
「良かったのか?」
問わずとも何の事かは分かっていたが、あえて素知らぬ顔で何がと問い返した。
「彼女のことだ」
「んあ?」
「こんな所に一人にして。兄さんがいなかったら……その、満足に出歩く事も出来ないだろう?」
そんな事かとプロイセンは素直に安堵した。弟がアレに変な興味を持ってしまわないかと懸念していたが、どうやら杞憂だったらしい。
「あー、かまわねぇよ。起きたら勝手に帰るだろ。あそこにはロクに食いもんもねぇからな」
彼女の祖国同様に食にうるさいあの娘が、空腹に耐えられるはずがない。起きて自分がいない事に気づいたらさっさと服を着て、帰路につくに違いない。
「いいのか……そんな事で」
「いいんだよ」
「せめて食事の用意くらい……そうだ、朝飯を一緒に取ればいいじゃないか」
「いいんだってよ」
ドイツの変な気の回し方に苛ついて、プロイセンは思わず声を尖らせた。思った以上にキツい声になってしまい、ドイツの小さな瞳が丸まる。二人の事に口出しされるのを兄は嫌ったのだと勘違いし、すまない、と謝罪の言葉を口にしていた。
「あー、いや……俺こそ悪かった。でも本当にいいんだよ、そんな気遣いは。アイツはそういうアレじゃねぇ」
アイツの名前をあえて口にしなかったのに、ドイツの口から彼女の名が発せられる。
「がか?」
弟に出来るだけその名を読んで欲しくなかったが、それを説明するのも一苦労だ。直接そう伝えれば、やっぱり兄さんは嫉妬してるんじゃないか、と見当違いな指摘を受けそうだった。
「そういうのじゃねぇんだ、そういうのじゃ」
プロイセンは子供へ言い聞かせるように繰り返す。
「前も言ったが、俺たちは恋人とかそういうのじゃねぇからな。俺も、他の奴らもみんなそういう甘ったるい関係じゃねぇんだよ」
他の奴ら、の言葉にドイツは顔を引き締める。そういうものなのだと、頭では理解しているつもりだった。
「あれは儀式なんだ」
プロイセンはいつかドイツにした説明と同じ言葉を繰り返す。
誰のためというならば、それは人間のためだ。自分たちは名実ともに深き仲で条約を違わないと、人間たちに分かりやすい行為で示しているに過ぎない。だから抱き慣れたあの柔肌に誰かのキスマークや噛み跡が残っていたとしても、決してそれは嫉妬を覚えるようなものではない。
なぜなら、すべての行為は儀式でしかないのだ。
「だが、すべての国が同衾を義務化しているわけじゃない」
聞き分けの良かった子供の頃とは違って、ドイツは生意気にも反論して来た。そうだな、と返して、お前とかな、と心の中で呟く。
「だから形骸化した、意味のない儀式だ。悪しき風習、そういうのが残ってる所は今もしてるってだけで、特にアイツん所はその最たるものだ」
なにせ国がそうする事を看過している。不平等条約をつきつけられた大昔ならいざ知らず、現代になってもまるで様式美とでも言うようにアレを寝床に送り届けて来るのだ。
良いとか悪いとかの前に、そうあるべきだと国も本人も思い込んでいる、それがあの国の哀れな所だ。
「船と港が夫婦だった時代なんざ、とっくのとうに終わってんのにな」
ともかくも、だからお前が気にする必要はないと伝えたつもりだった。だが弟の口から零れたのは思わぬ言葉で、
「なら……どうして兄さんは拒まないんだ?」
プロイセンは彼らしからぬ余裕のない顔を、弟に向けていた。
「おい、そりゃお前……」
「悪しき風習なんだろう? だったらそんなもの止めてしまえばいい」
「そりゃ、俺たちに……いや、にそれを止められちゃ都合の悪い奴がいるんだよ」
「だとしても兄さんまでそれに加担する必要はない」
「そう簡単な話でもなくてだな、」
「上司が煩いなら俺からも話そう。こんな事に兄さんや彼女を巻き込まないでくれ。腹の探り合いならあなた達が直接すればいい、と」
今すぐ言いに行こうとでも言いたげに、ドイツは歩を早める。隣を通り過ぎて行く弟の背中に、プロイセンは焦った声を向ける。
「おいおい、待てよ。それで話を聞くような奴らじゃねぇだろ? っつうか、お前には何も、」
「関係ある」
ぴしゃりと、言葉を遮られた。ドイツの冷え冷えとした青い瞳がプロイセンを見据える。
「貴方は何も分かっていない」
「ああ? そりゃどういう意味だ。分かってないのはお前だろ?」
「いいや、分かっていないのは貴方だ。形骸化しただけの儀式ならば、なぜ本当に行為に至る必要があるんだ」
「は、」
「どんなに弁解しても……貴方は彼女を抱いたじゃないか」
責めるような恨みがましいドイツの目を前にして、ようやくプロイセンは己が言葉の選択を誤った事に気づいた。そして、自分の迂闊さも呪いたくなった。
ああ、何てことだ。弟は自分の想像以上にアレに心を蝕まれていたのだ。
「貴方は昔、俺にこう言った。俺が初めて彼女に出会った日に、アイツは魔女だ、と言ったんだ」
「それは……」
事実だろうがよ、と言い放ちたかったが、その言葉は喉に絡み付いて出て来なかった。まさか百年近く昔の出来事を、こんな形で責められる事になるとは。
分かってくれていると思っていた。あの時は子供だったからそう言い含めたが、大人になってこの下らない儀式の意味を知り弟は自分の言わんとした事の意味を理解してくれたのだと。
だが、あの言葉がこんな風に捻れて、弟を苦しめる事になるとは。
「アイツは魔女だからお前は近づくなよ、と貴方は俺にそう言った。だから子供の頃の俺は彼女の事を東の黒い魔女だと恐れていたんだ。だが、徐々に俺は分からなくなていった。あんなに素敵な人をなぜ兄さんは魔女と嘘をついたのか……俺は貴方が俺に彼女を奪われたくないからだと、思おうとしてたんだ」
「違う! 俺はお前がアイツに食いものにされると思って、プロイセンが喰われればドイツは無事だろうって!」
「だが、肉を食むのは貴方じゃないか」
くっと皮肉げな笑みがドイツの口角を吊り上げる瞬間を、プロイセンは見たくなかった。守って来たと思っていた相手を、そにために傷つけてきたなんて知りたくなかった。
プロイセンは顔を俯かせて、ゆるゆると首を横に振った。
「アイツは……アイツを操ってるのは化物だぞ」
「知っている。昔、同盟国だったからな」
「兄ちゃんは……お前が毒牙にかかるなんて耐えられねぇよ」
「俺だって、貴方がそんな気持ちで彼女を抱くのは耐えられないんだ」
そこで互いにすまない、と口にし合った。
窓から燃えるような朝日が静かに差し込んで、兄弟は互いに笑い合う。
「せめて貴方が彼女を愛してくれていたら、俺は潔く身を引けたんだがな」
「無理いうなよ。あんなんでも……一時期は弟子だったんだぜ? ベッドに入る前に俺が毎回、十字を切ってるなんて知らないだろう」
それは知らなかった、いいや知らなくて良かったんだ、そんな言葉を言い合って、二人は揃って踵を返した。
朝食は何がいい?
ホットケーキ。
そんな会話を続けながら。
end
三角関係なのか何なのか……