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 遠い海の向こうの極東に、日本という島国があるらしい。
 鎖国という国策で今まで国を閉ざしていたが、最近他国からの圧力を受けて開国したと聞いていた。
 遠い海の向こうのお話。統一運動で忙しかった自分たちには、その時は関係のない話とばかり思っていた。ヨーロッパの各国が日本に向けて船を送るのを、みんな頑張るなぁ、と他人ごとにしか感じていなかった。
 あの写真を見るまで。
「すっごい美人の外交官がいるんだよねー」
 と、日本帰りのフランシスが鼻を伸ばして話していたのを小耳に挟んだ。
 外交官と言っても国の相手は国と決まっている。貿易港か何かだろうとあまり関心を抱かなかったが、美人という言葉には心惹かれた。
 写真嫌いだが、一枚だけ特別に許してもらったというそれを隣りから覗きこみ ―――― 言葉を失う。
 モロクロの写真の中で色鮮やかに咲く。その姿にひと目で心を奪われた。



泥濘の海08





「それでね、それでね、フランシス兄ちゃんにすっごくお願いしてその写真譲ってもらったんだ〜」
「それは……すみません」
「ヴェ、なんで謝るの?」
「いえ……実物を見て、がっかりされたんじゃないかって」
 彼の想像していた自分と、きっと実物の自分は大きく乖離しているに違いない。
 実際の自分はモノクロの色合いで表せないような、くすんだ色をしている。そんな色に染まるような事をし続けてきた。後悔はないが、潔癖を名乗れるほど厚かましくもない。そして、逃避はしないが、全てを抱える込めるほど強くもない。
 だが、フェリシアーノはの両手を強く握り締めると、大きな声でそれを否定した。
「そんな事ないよ! は俺の想像通りの可愛い女の子だったよ!」
「かわ……いい?」
 己の描く自画像には決して当てはまらない言葉。そんな風に言ってくれるのは社交辞令だとばかり思っていた。
 だが、フェリシアーノの言葉ならば、少なくとも彼が本心からそう思ってくれていると信じる事が出来る。
「最初はあんまり喋らないし、表情も硬いし、俺嫌われてるのかなって不安だったんだよ? でも、少しずつ俺に笑いかけてくれるようになって、ああ、やっぱり俺、のこと好きだって。きっとひと目見た時から、君のことがスキ」
 ちゅっと頬にくちづけて、フェリシアーノはふにゃりと笑った。
 普段はヘタレでどうしようもないのに、どうしてこういうだけ簡単にそんな言葉を口に出来てしまうのだろう。
 強引に口説かれれば、いくらでも対処の仕様は思いつくのに、こんな風に柔らかく口説かれるのには慣れていない。
 キスもするし、抱きしめ合うのに、着物の下には決して触れない。幾晩も何事もなく、ただ抱き合って眠る。その気にさせようとから唇を寄せると、恥ずかしがってそれを拒む。
 俺はの事が大好きだからキスしてもいいけど、はまだ俺のことそんなに好きじゃないんだからそんな事しちゃダメ!
 それが彼の言い分。はっきり言って理解不能だ。
 理解不能なまま流されかけて、これではいけないと自分に活を入れる。
「あの……フェリシアーノ様。ご承知いただいていると思いますが、私は国際港なのです。これでも日本国の、外交の担い手なのです。だから」
 フェリシアーノの指先がの唇に触れて、それ以上の言葉を拒む。
「わかってるよ。でも、言わないで?」
 柔らかな微笑みに、それ以上言葉を紡げなくなる。
 立場をはっきりと、明確にすべきことなのに。自分はあくまで条約の締結のために国と寝る。そこに感情などなく、ただの現象としてそれを受け入れる。
 だから特定の誰かを選ぶことをしない。選ぶことは出来ない。自分が特別な感情を抱いてしまったら、この国の外交バランスはおかしくなってしまうから。
 否 ――――
 は柔らかな布団に顔を埋め、唇をぎゅっと噛み締めた。
 そんな事は言い訳だ。かつて自分が条約を結んだ国々に感じたのと同じ、自分勝手な言い訳。
 自分はそうやって自分の気持ちに蓋をして、自分だけが無機質な達観した何かになったつもりで、そうやって世を儚んでいただけだ。
 彼らは国という立場でありながら、精一杯私の心を開かせようとしてくれたのに。私は ―――― それをすべて踏みにじった。
 利権や国益だけのために、彼らがそんな関心をわざわざに向けていたのではない事に、彼女自身気づかないはずがなかった。だが、それを理解してしまった瞬間、自分は感情に振り回されて使命を全う出来なくなってしまうかもしれない。国のために捧げると誓ったこの身体を、誰か一人に捧げたいと祈ってしまうかもしれない。
 そんな事をすれば、また誰かが傷つくかもしれないのに。
「ヴェ。ご、ごめん、! 俺なにか悪いことした?」
「え……?」
「だって、泣いてるよ……?」
 涙が零れているのにも気づかず、頬に触れてようやく自分が泣いているのだと気づいた。
 こんな風に感じる心を、自分はまだ残していたのかとぼんやりと思った。
「すみません……大丈夫です。ご心配おかけしました」
 ぐしぐしと無造作に涙を拭い上げる。だが、フェリシアーノの心配気な顔は直らない。
「大丈夫じゃないよ」
「いえ、本当に……」
「俺が大丈夫じゃないんだって!」
 強引に肩を掴まれ、少しだけ驚いた。次の瞬間、あっ、ごめんと慌ててすぐに離すのが彼らしいが、少しだけ気持ちが楽になった。
 こんな風に気を使われて、黙っているのも失礼だろう。本当になんでもないのです、と前置きし、は言葉少なに語った。
「開国の頃、私たちの家でも少しごたごたがありまして……内乱があったのです。時代の移り変わりには、よくある事なのですけれど、しばらく平和ボケしていたせいか争いというものをすっかり忘れていて」
 攘夷派と開国派。そんな風に呼び合いながら、同じ国民が争い合う現実がには耐えられなかった。
 ただ国を守りたいと、誰もが同じ理想を追っているだけなのに、なぜ血が流れなければならないのだろう。自分が強ければ、自分に力があれば、こんな風に守るべき国民が傷つくこともないはずなのに。
 だが、鎖国を続けていた自分はあまりにも虚弱で、開国すらアメリカの圧力を受けて決められた事だった。
 欧米諸国と対等に渡り合うことなど出来なくて、次々と不利な条約を自国に強いる羽目になった。その度に失望の眼差しがに注がれて、攘夷の声が強くなる。外交による利益を少しでも示すことが出来たのなら、彼らも考えを変えてくれたのかもしれない。だが、にはそれが出来ず、戦争が始まり、そして多くの若い命が戦場に散った。彼らのくぼんだ眼窩がまるで自分を責めているようで、今も忘れられない。
「本当は私……怖いんです。また失敗したらどうしよう。また誰かが傷ついたらどうしようって。でも、今はどうしようもなくて、言われた通りに開港して、言われた通りに条約を結んで……少しでも列強に近づかなくちゃって……」
 それは懺悔の言葉のようにフェリシアーノの耳に届いた。
 そして言葉の裏に、貴方の気持ちは受け取れませんとやんわりと拒絶されているように感じた。
「そっか……辛かったね、苦しかったね……」
 フェリシアーノはの身体を抱きしめ、強張った背を撫でさすった。
 多くの言葉は語らない。国であるならば一度や二度体験する、つらい出来事だからだ。
 ねぇ、俺は……君のこと困らせてる? が誰も選べないのを知ってて、それでも好きになってほしいなんて言うのは我儘なのかな?
 言葉に出来ない気持ちが、強い抱擁になってを包み込んだ。










「でも、それでも退かないお前のそういう所、お兄さんちょっと怖いと思うの」
 フランシスはやれやれと言った顔で、フェリシアーノを眺める。
 日本から帰るや否や惚気話を話に来たのかと思いきや、それに加えて宣戦布告である。国としてなら国際問題だが、本人曰く個人的に、らしい。
「ヴェ、だって俺、のことすっごく好きなんだもん」
「なんだもんじゃないでしょ、このKY。人のトラウマスイッチ、ガスガス押しまくってるくせに」
 さらに言うならば、今まで皆があえて触れないようにして来たのトラウマスイッチだ。二百年も引き篭っていたのを突如開国して、何も起こらないはずがない。他国の情勢に疎くともあれだけ気を張っているのだから想像くらいつきそうなものだが、本当に空気が読めないのか、それとも読めない振りなのか。
「お前、昔っから本気出すと怖いもんねぇ」
 揶揄するように言ってやると、えー、そうかなー、と照れたように頬を緩める。褒めてねぇよ、と毒付いてもフェリシアーノのふにゃりと緩い顔はそのままで。
「だって俺、みんなと一緒とか絶対いやだから。みんなで仲良く一緒とか……アッハ、胸クソ悪い」
 フランシスはため息を飲み込んで目を細める。天使のような顔をしながら、どうしてこう悪い言葉が口をつくのか。こうしていると兄のロヴィーノそっくりだが、あちらはスレた雰囲気を端からまとっている分、いくらか分かりやすい。
「ねえ、フランシス兄ちゃん。俺ほんとうにの事が大好きなんだよ? 真剣に。一人の女の子として愛したいなって思ってる。こんな気持初めてなんだよ?」
 きっと本人に自覚はない。本人はきっとただひたすらに、純粋に情熱を燃やしているだけなのだから。
「大切にしたいし、だから絶対に条約相手としてとエッチなんてしちゃダメだよね。それじゃ他の奴らと一緒だし。俺、それだけの男になっちゃうよ」
 ただ、矛先がブレている。自分でも補正が効かないほど、何かが大きく。
「だから必死に耐えて、魔法をかけたんだ。キスした分だけ、が俺を好きになる魔法。まだまだ全然効いてないけど、きっとも俺のこと好きになってくれるはずだよ。俺が好きなのと同じくらい」
 可愛らしく純粋に見えるのは、病的で、独善的で、嗜虐的な何かの裏返し。
「だから……が自分の気持ちに気づくまで、もっとずっと俺のことで悩めばいいと思う。自分は国だから、港湾だから、人の死ぬ所を見たくないから、これ以上傷つきたくないから。そんな事で……俺を拒むなんて絶対に赦さない」
 がフェリシアーノの本質に気づけなかったのは、二百年の鎖国時代に拠るものなどではなく、単に年季が足りないからだ。ヨーロッパの国々を知らなさすぎる。ローマに纏わる歴史に疎すぎる。
「お前、ほんと引くくらい怖いわ」
 フランシスがぽつりと呟くと、フェリシアーノは満面の笑みで微笑んだ。
「だって俺、国だもん。好きな子を支配したくなるの、仕方ないよね?」





end


結局は黒い顔を隠しきれないイカスミパスタ。

変な連載順序になってしまいましたが、
ひとまずこれにて「泥濘の海」完結です。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
この後の歴史を見るに、果たしてどの国が勝者だったのか。
また機会があれば、世界夢を書いてみたいと思います!