モノクロ03
差し出された掌が女人のように柔らかくて、少しだけ驚いた。
かの偉大なローマ帝国の末裔と耳に聞き及んでいたイタリア。予想に反し中性的な容貌は、貿易や芸術に巧みな男と聞いていたためそれほど驚く事はなかったが、男の柔軟を通り越して間の抜けた様な態度に虚を突かれたのは事実だった。
出会い頭に抱きしめられて、可愛いね、ちっちゃいね、と外交相手を口説きまくる。
身振り手振りが大げさで、こちらが黙っていれば一日中でもしゃべり倒すようなおしゃべり。
色恋にだらしがないのか女人を見れば声をかけるし、隙を見せれば抱きつこうとするし、挨拶と称して接吻を迫るし全くもって理解できない。
何度、あなたは本当にローマ帝国の孫なのですか、と問い質したくなってしまった。本当に我が日本は、こんな男と条約を交わして利があるのかと。
そこまで考えて、自分の浅はかな疑問に思わず自嘲を零す。
利権どうこうではない。こちらは条約を突き付けられているのだ。それを拒むという選択肢など、端から与えられていない。
この気の抜けたラテン男とて、今までの男とどう違う。
皆、謝りながら、あるいは当然だと言うような顔をしながら、結局は同じ事をに強いた。条約の内容が緩んだわけではないし、条約を取り消す事もしなかった。
上司が命じたから、国民が飢えているから、他国に遅れを取るわけにはいかないから。
その全てが言い訳めいている。言い訳などそもそも、は聞きたいわけでもないし、する必要があると思っているわけでもない。
そんな事を口にするのは多少なれ後ろめたいからだ。それを見透かした上で、は黙ってそれを聞く。愚かだと思いながら。
なぜ国というものに、人と同じ形が与えられたのか知らない。だが、それ故に本質を見誤る。すべてはただの事象に過ぎないのだ。雨や雪が降るのと同じ、ただの現象。
喋り、表情を作り、感情のようなものを吐露しても、そこに意味などはない。
人間と同じように呼吸をし、血が流れ、痛みを感じても、国に生物と同じような命があるわけではないのだ。
だから、物を食すのも、夢を見るのも、情事に耽るのも、人間の寝食や生殖とはまったくの別物。そういう風に見えている、それだけの事象。その事に何かを感じる必要などない。
どうせ一晩も経てば、何事もなかったように忘れてしまう。
きっとこの男だって。
「ヴェー、俺もうくたくただよー。どうして式典ってああ堅苦しいんだろうねー」
フェリシアーノは用意された寝室へ向かうと、歩きながら上着を脱ぎ捨て、靴も脱がぬまま頭からベッドへと突っ伏した。脱ぎ散らかされた服を丁寧に畳みながら、そうですね、とは苦笑を漏らした。
くたくたなのはこちらも同じだが、まだの仕事は終わっていない。明日のスケジュールを簡潔に伝えながら、サイドテーブルのランプの明かりを弱める。
怪訝に思って顔を上げたフェリシアーノの視線の先で、はしゅるりと自分の帯を紐解いた。
「ヴェ」
完全に固まっているフェリシアーノを他所に、はしゅるしゅると衣服を解くと襦袢姿で彼の足元の膝をついた。
「東洋の小娘などお国の女性に比べれば粗末なものでしょうが、どうぞ今宵は同衾をお許し下さい」
指先を揃え深々と頭を下げる。
と、フェリシアーノはヴェと鳴いたまま、耳の先まで顔を真赤にしてしまった。
「フェリシアーノ様?」
「え、ええええええええ、ダメだよ、そんなの! お、俺、童貞だしうまくできるか分からないしまだ告白もしてないし、と、とにかく服着てー!」
今なにか重大な国家機密が飛び出したような気もするが、フェリシアーノの混乱ぶりには慌てて着物を羽織った。
「あの……」
「お、俺、そういうのが目当てで日本に来たんじゃなくって、もちろん可愛いし下心とかないわけじゃないけど、でもやっぱりそういうの大切にしたいし、ちゃんと告白してそういう関係になってキスとかたくさんしてから甘々になってからそういうのしたいっていうか」
混乱のあまりえぐえぐと泣きじゃくり始めたフェリシアーノを前に、は盛大に肩透かしを食らった。
この男は何を言っている?
まるで人間の、しかも乙女のような物言いに、自分は悪い冗談を聞かされているのではないかとすら思えて来る。
「あ、あの、とにかく落ち着いて下さい。貴方は……私と条約を結びに来たのですよね?」
「ヴェ、そうだよ〜」
「では、貴方の国の上司の方に、こういう事を命じられているのではないのですか?」
「う、うん。でも、俺やだって言ったし、だってきっと嫌がると思ってたから……そしたら上司も、まあお前じゃなーって言ってくれたし」
はずるりと肩に羽織った上着が落ちるのを感じた。
なんだこのヘタレた国は。
これが一国の命運を背負う男の言動なのか。と言うか、上司も上司でそこで諦めるな。こんなのでこれからの時代生き残れるのか。むしろうちが侵攻すれば征服できちゃうんじゃないか。
ぐるぐるとそれらが頭の中を飛び交い、はっと自分の使命を思い出す。
「待って下さい。私は私の上司から貴方の夜伽をするよう言い遣っているのです。それに、貴方の上司の方からもくれぐれもよろしく頼むと言われておりますし……」
そこでははたと気づいた。
自分はイタリアの上司の言葉を外交的な意味で受け取っていたが、実はそうではなくこのヘタレを男にしてやってくれという意味だったのではないか。
思わぬ事実に気づき、は愕然とした。
何と言う他力本願!
上司も国も状況が分かっているのだろうか。自分で戦艦並べて条約を迫って来たくせに、肝心な所で初心だとか全くもって訳がわからない。
「では……条約の締結は見送ると言うことですか?」
そう尋ねれば、それは無理だよーと首を横にふる。
「では、私と条約を結ぶのですね?」
と尋ねれば、顔を真赤にしてゆっくりお互いを知ってからなどと抜かす。
イラッと擬音語が音に出てしまうほどに、は顔をしかめた。大変不本意だがこのまま投げ飛ばして、既成事実を作ってやろうかとさえ考えた。そちらのぬるい上司と違って、こちらはもし手ぶらで帰ろうものなら手厳しい仕置が待っているのだ。
「ねえ、〜」
「なんですか」
あまりの苛立ちに思わず返事が刺々しくなってしまった。
「あ、あの、ごめんね?」
「そう思われるのなら責任とって下さい。それか艦隊引き連れてお国にお帰りください」
「う、うん、それは出来ないんだけど」
「じゃあ、私にどうしろと……」
苛立たしく言いかけた瞬間、突然うでを引かれては顔面からベッドの上に突っ伏した。
「な、なにす……」
驚いて顔を上げたその隣に、ごろりとフェリシアーノが横になる。端正な顔が突如至近距離に近づいて、思わずは顔を赤らめた。
「あのね、代わりに一晩中こうしてるのじゃダメかなぁ?」
「は……」
フェリシアーノの手がの肩を抱き寄せ、もう一方の手が彼女の手を包み込む。
ワケがもうワカラナイ。
「貴方は……一体なにを、したいんですか……」
「ヴェ? ともっともっと仲良くなりたいよ?」
「私を苛めて、楽しがっているわけじゃないのですよね……?」
「ええっ、そんな事しないよぉ」
「結局……好きなのですか、嫌いなのですか」
自分は何を聞いているのだろうと、自己嫌悪でいっぱいになった。好きだとか、嫌いだろか、そんな物は意味などないのに。
「ヴェ? 好きに決まってるよ!」
「じゃあ、どうして」
言いかけた瞬間、ちゅっとフェリシアーノの唇がの頬に口付けた。
目を丸くするに、えへへとフェリシアーノははにかんで見せる。
「俺、もっとのこと好きになりたい。にも俺のこと好きになってもらいたい」
「私、が……?」
「うん。だって俺、たくさんの中の一人なんて、いくら儀礼的なことでも、嫌だもん」
「あ……、」
は驚愕に目を見開いた。
気の抜けたラテン男と侮っていた己を戒める。
多くの国と条約を結んでいるのだから知っていて当然。だが、その事をこんな風に意識していたなんて思いもよらなかった。
ローマ帝国の末裔の名は伊達ではないのか。
ふふっとは笑みを零す。
「私は一筋縄ではいきませんよ?」
「知ってるよ。菊を守るために、強くするために、一生懸命なんでしょ?」
「私が条約を結んだ国の中には、怖いお兄様もいらっしゃるのでは?」
「負けないよ。俺、女の子の前では本気出しちゃうから」
「ふふっ、さっきまで泣いていらしたのに。……その、キスをすると本当に、その方のことをもっと好きになるのですか?」
馬鹿な事を聞いている、そう自覚しながらもその馬鹿な事に乗ってしまいたい自分がいる。
所詮、事象。所詮、無意味な。所詮、ただの。
潤みかけた瞳に誘われるように、フェリシアーノは瞼にキスを落とした。額に。頬に。耳に。鼻先に甘く花弁に触れるように口付け、問う。
「ねぇ、キスしてもいい?」
とっくに許しも得ずしているくせに。
苦言を呈しつつ頷くと、フェリシアーノは最後に言った。
「今までのは挨拶。これからのは本当のキスだよ」
end
珍しく甘め回。出会いと最初の条約編です。
どっかにも書いたかもしれませんが、
同盟を結ぶ=結婚みたいに、国交を持つ=国同士が身体を結ぶという表現を用いてます。
開国直後の日本はえらいことになりますね!