Text

泥濘の海04





 初めてと引き合わされた時、こんな幼い少女が条約の相手だと知り大いに困惑した。まるでティーンズのような顔。アルフレッドより遥かに年上であるにもかかわらず、長い鎖国生活のせいか港湾として育ち切っていない。
 いくら国同士の取り決めとは言え、未成熟な少女とそういう関係を結ぶことに、彼は罪悪感と後ろめたさを感じていた。
「……っ」
 結んだ唇から痛みを堪えたような声が漏れた。慌てて身体を引こうとすると、の手がアルフレッドの腕に触れそれを制す。
「どうか……このまま……」
「平気かい?」
「はい、お願いします……」
 涙に溶けそうな黒い瞳が、アルフレッドをまっすぐに見つめる。こんな顔をされては国としても、男としても引く事は出来ない。せめて彼女が痛くありませんように、と祈りつつアルフレッドはゆるゆると腰を動かす。
 荒い吐息と、くぐもった声、寄せられた眉根と、目尻に浮かぶ涙。
 誠実で親愛なる行為であるべきはずなのに、彼の心はずっと罪悪感に支配されている。なぜ自分は子供にこんな無体を、犯罪を働いているのだと錯覚しそうになる。
 自分は国で、彼女は異国の港街で、お互いの上司は了承済みで、これは条約を結ぶのに必要な行為で ――――
 ひたすらに自分に言い聞かせ、ようやく男としての役割を保つことが出来る。
 慈しみを込めてそっと抱きしめ、アルフレッドは調印の痕をなぞるように再び唇をの頬に寄せた。



 灰色の空から降り注ぐ雨を、アルフレッドは分厚い羽布団に身体を預けたまま眺めていた。時雨と言うのだと言う。timeと rainを表す漢字を組み合わせて書く、美しい言葉。幾度目かの訪日がちょうど今頃の時期で、その時に教えてもらったのだ。
 あれから何年がすぎただろう。
 アメリカに続きイギリスが日本と条約を結び、その他の国も競うように日本と国交を求めた。極東の小国は瞬く間に国際舞台にひきづり込まれ、覚束ないながらも列強諸国の輪に加わり肩を並べつつある。あの時、子供のような顔で懇願した少女は、今や立派なレディになり、こうして訪れるたびに甲斐甲斐しく迎えてくれる。
「アルフレッド様、お目覚めですか?」
 声と共にすっと襖が開くと、軽食を盆に載せたが顔を覗かせた。
「うん、起きているよ。やあいい匂いだね」
 は微笑むと盆に載せた器を膳に移し替え、恭しい仕草でアルフレッドへ勧めた。繊細な技巧で誂えた小さな碗が、いくつも膳の上に並んでいるのをアルフレッドは目を細めて見やる。
 自分の国だったら、大きなプレートの上に山盛りにするところだが、この国では小さく盛り分けて幾つもの味を楽しめるようにする。見目も美しく、煮物ひとつ取ってもわざわざ人参をもみじ型に切り抜き客人を楽しませる気遣いが窺えた。
「お腹ぺこぺこだったところだよ」
 布団から這い出し膳の前にあぐらをかくと、裸の肩にそっと男物の着物がかけられた。
「お風邪を召されます」
 肩越しに振り返ると、が後ろに膝をついて微笑んでいる。
「ありがとう」
 礼と共に頬にキスをすると、は恥ずかしげに俯き頬を染めた。
 こうしていると、まるで結婚生活を送っているような錯覚に陥る。彼女は甲斐甲斐しく、健気で、男を立てる事を忘れない、貞淑な妻のようだ。
 訪れるたびに情熱を覚え、分かち難くなる。このまま本物の夫婦になれたらいいのに、と幾度叶わぬ願いを胸に抱いただろう。
 だがそれは叶わない。これは彼女のオモテナシに過ぎないのだから。
 国際港である彼女は最愛の夫が戻ったように船を迎え入れ、甲斐甲斐しく仕えるべきだと思い込んでいる。それが調印を交わした自分の役割で、国賓への態度であるべきだと使命のように感じているのだ。
 だがその健気さが嬉しくもあり、寂しくもある。
 今晩、君は誰の妻になるんだい ――――
 もどかしい想いでの顔を眺めると、何かを察したのか空の茶碗にが茶をそそいだ。
 お代わりを欲しがっている勘違いしたのか、アルフレッドはそうじゃないんだよと言いかけて、結局はもう一杯茶を受けてしまった。
 口にしてもを困らせるだけだ。それに他の男の名前なんて、彼女の口から聞きたくない。
 このお茶を飲んだら、今日はもうオイトマしよう ――――



end


人のように寄り添うことはない。
喩え人間の持つそれと同じ感情を覚えたとしても。