異国の者の手によって、自国の民の手によって、両手足を縛られ未開の地を無理やりにこじ開けられ。
陵辱されたとでも ―――― 人間に喩えるのなら言うのでしょう。
それを何度も、何カ国も、受けるのです。
屈辱的な条約を飲まされ、港湾としての尊厳も誇りもなく、ただその身に異国の艦艇を受け入れる私は淫らな女なのでしょう。
開国したての私は身体も小さく、強張ってしまって、おぼこのように血を流しました。でもそれが、一国、二国と条約が増えるたび、しだいに痛みすら感じなくなるのです。支配される事に慣れてしまったこの身体を恨みます。
何カ国とも条約を結んだ私を、ある人は罵りました。何カ国にも開港した私を、ある人は蔑みました。
売国奴。弱腰外交。日本の恥め、と。
どうぞ飽くるまで罵りください。
私はそれで構わぬのです。この身が重油で汚れようと、異国の軍靴に踏みつけられようと、それで我が祖国に光明が注ぐのならば喜んでこの身を差し出しましょう。
さあ、煮るなり焼くなりお気の召すまま ――――
泥濘の海02
この国の娼婦が赤い襦袢を好んで着ると知ったのは、赤襦袢を纏ったを幾度か抱いた後だった。
初めての夜は白い襦袢を着ていた。今思えばそれは白無垢の代わりだったのだろうかと思う。結婚の夜だけは純潔を、一夜だけは貞淑な妻であろうとしたのだろうか。
国と国の婚姻など、もはや意味を成さない時代が来ているのに。そんな事に義理だてしているのかと、国力の乏しい日本という国を少しだけ哀れに感じた。
国同士の調印や同盟など、数年で切れて白紙に戻る。重婚も、離婚も、再婚も、誰も恥じぬし、それで民を富ませる事が出来るなら上出来だ。
自分たちは人間じゃない。人間のように永遠の愛を誓う必要もなければ、誓う振りさえ出来ない。国の永遠は永く、長く ――――
果てのない孤独なのだから。
船が夫で港が妻である時代は終わった。港は世界に広く開かれ、昔とは比べものにならないほど多くの国と国交が結ばれた。その一つ一つを人間の結ぶ結婚のように受け止めていたら、とても身が持たない。
国と国が結ぶ約束に、見掛け倒しの誠実さなどもはや何の意味も持たないのだから。
「そう思うなら帰ったらどうだい?」
だいぶん酔いの回ったアーサーのぼやきに、アルフレッドはうんざりしつつ口を挟んだ。
「そんな同情は彼女に失礼だよ。菊のために頑張ってんじゃないか」
「頑張ってる? これがか?」
はっとアーサーは鼻を鳴らして笑う。皮肉屋の彼にとってこの鹿鳴館は、滑稽で仕方が無い。涙ぐましい努力によって近代化を目指したのだろうが、反物でしつらえたドレスのようにこの館は違和感で満ちている。
「俺たちに合わせようと必死なんだぞ。それを笑うなんて、君は本当に紳士なのかい?」
「あいつを笑ったわけじゃない。ただ上司に恵まれなくて不憫に思う」
「アーサー、君ってやつは……」
「事実だろう? そうじゃなきゃ……がどうして赤い着物を着るんだ?」
アルフレッドは不愉快そうに眉根をしかめた。が多くの国と条約を結ぶはめになったその発端を、遠回しに責められているように感じた。
そのわずかな仕草をアーサーは更に嘲る。
「そんな顔をするなよ、アル。あいつの初めてはお前なんだろう?」
「……違うよ。というか、その名前で呼ばないでくれ」
「隠すことないだろ。お前が日本を開国させた。ひどい条約で、下田や箱館を無理やり開かせた。違うか? 俺はそれに倣っただけだ。他の奴らもそうした。俺たちはみんな共犯者だ」
「違う。ただ条約を交わしただけじゃないか。俺たちは人間じゃないんだ。下世話な想像はやめてくれ」
話を切り上げようと、アルフレッドは椅子から立ち上がった。だが、アーサーは黙らない。まるでアルフレッドが条約締結を命じた彼の上司であるかのように、アメリカの横暴を責めたてる。
「デカブツで乗り込んでおいて、和姦だとでも言うつもりか? お前の調印の跡を見たよ。あんな処にキスしやがって、それで下心がないとでも?」
「やめろよ、アーサー……俺たちは国じゃないか。セックスもキスも意味のない行為だよ。人型をしてるからって、変な表現をしないでくれ」
「なら愛もないな? だったらどうして何度も寄港するんだ? お前の家は太平洋の向こうだろう」
アルフレッドは苛立ちながらため息をついた。いつの間にか酔っ払いのペースに飲みこまれていると知り、冷静になれと自分に言い聞かせる。
どうせこの人は、嫉妬しているだけだ。日本を先に開国させ、を手に入れた事を妬いているのだ。
自分だって彼女にキスをしたくせに。他のどの国よりも真っ先に。紳士の振りをして手の甲に口付けつつ、しっかりと彼女を口説いたくせに。アーサー風の口汚い言葉を借りるなら、出すもの出したくせに何を上品ぶってやがる、だ。
「アーサー、こんな話に意味はないよ」
「そうだな。俺たちはどっちも間男だ。菊に切られる前に帰った方がいいかもな」
「アーサー……」
今日何度目かになるか分からぬため息を、アルフレッドは漏らす。
「国に貞淑さは必要ないんだろう? 俺も君もも、みんな自分のためにこうしてる。君はその赤い襦袢とやらに、何をそんなに腹を立ててるんだよ」
「立ててねぇよ」
「いいや、立ててるね。子供みたいに駄々をこねて、みっともないったらありゃしないよ。いいかい、君は自分を間男だとか言うくせに、が芸者ガールの振りをするのが嫌で堪らないんだ」
「黙れよ、バカ」
「黙らないよ! 芸者ガールは本当の恋をしない。指切りも約束もみんなニセモノなんだ。だから君はの恋人にはなれない。が君に微笑むのは日本を強くするためだ。彼女は特別な誰かを選ばない。僕たちはみんなハニートラップにハマった間抜けな間男で、共犯者なんだろ!?」
「黙れよ!」
飛びかかるようにアーサーに肩をつかまれ、壁に叩きつけられた。至近距離で睨みつけるアーサーの顔は、とっくに紳士の仮面がはずれ海賊時代に逆戻りしていた。
「お前が開国なんてさせなければ」
「無駄だよ。いつかは必ずこうなってた」
仮にアメリカでなくても、誰かが日本に開国を迫ったらやがてはこうなっていただろう。条約を結ぶ順序が変わるだけで、きっと何も変わらなかった。
アーサーは舌打ちを打つと、アルフレッドの肩を離した。
壁際の椅子にすとんと腰を下ろすと、サイドテーブルの上のグラスを手に取り一気に煽る。ほうっと酒気と共に吐息を漏らし、
「あー、くそ、日本中の港街を英領にしてやりてぇ」
「俺が許さないよ、このエロ紳士」
end
条約=情事みたいな感じで、
締結した第一国と第二国の会話。
不平等条約って事は、つまりそういう事ですね!?