宵の戯言02
は畳の上に転がった佐吉を一瞥すると、怒りに肩を震わせながら座敷の中へと一歩入った。
「その手を佐吉から離してください」
怒りを込めた双眸で僧雲の顔を見据える。
突如現れたの存在に男は明らかに動揺していた。
いや、これは違うのだよ、この子が私の言う事を聞かぬものだから少し灸をすえていたのだ、と取り繕うように笑いながら何やら言い並べ立てている。
だが、には通じなかった。
無駄です、と娘が言い放つ。
「この目であなたが佐吉に何をしようとしたのか、ちゃんと見させてもらいました。この事は、秀吉様にもご報告させてもらいます」
煌々と輝く碧の双眸が、男の顔を睨みつける。
その瞳が何を意味するのか男は正しく理解していなかっただろうが、弁解が聞かぬと感じ取ったのだろう。うぐう、と呻いて佐吉の側から数歩退いた。
は倒れた佐吉の側に駆け寄ると、袖口から飛刀を取り出した。
「待っててね。すぐに縄を解いてあげるから」
そうして、が佐吉の両手に触れた時だった。
背後に立った僧雲が、思い切りの頭部を殴り飛ばした。
「きゃぁっ!」
ガツッと鈍い音がして、が畳みの上に崩れ落ちた。
「!」
後ろ手に縛られた格好のまま、佐吉は這うように身体を移動させた。
の細い髪の合間から真っ赤な鮮血がぽたりぽたりと零れ落ちている。男を見上げると、僧雲はふうふうと荒い息をしながら、片手にべったりと血のついたすずりを手にしていた。
佐吉の中で、体中の血が沸騰しそうなほどに熱くなった。
「貴様……! こんな事をしてただで済むと思っているのか!?」
自分だけではなくにまで手を出した。しかも、傷を負わせた。
識者だか何だか知らぬ。秀吉の客人だとて知った事か。
殺してやる……、佐吉は夜叉の形相でそう呟いた。
「ふんっ、わしを殺すだと……?」
男はにやりと――――善人の仮面をかなぐり捨てた顔でいやらしく嗤うと、開け放たれた障子をゆっくりと閉じた。
月の灯りを閉ざされて、座敷の中に薄暗闇が広がる。
だが、暗闇に慣れた佐吉の目には妙にはっきりとそれが見えた。
男は――――の身体を仰向けに転がすと、その上に馬乗りになり、袴の帯を緩めた。
「ははは、見れば上玉ではないか。秀吉め、まだこんな娘を隠していたか」
熱くなる身体に反し、まるで氷を飲み込んだようにすうっと肝が冷えていった。
男が何をしようとしているのか――――何を佐吉に見せようとしているのか理解したのだ。
「いやっ……離して!」
は男の呪縛から逃れようと身体をよじったが、大人の腕力に敵うはずがなかった。
小袖の裾からすらりと伸びた白い足に、男の手の平が爬虫類のように這って、がひっと短い悲鳴を上げる。
「おぼこいのう。まだ生娘か」
好色な顔を寄せて、男の手がするすると足を辿っていく。
「いやっ、やだ、やだぁ!」
は恐怖に顔を引きつらせ、がむしゃらに暴れたが、それでも男の手を止めることは出来なかった。ゆっくり、ゆっくりと、誰も触れたことのない深淵へと指先が伸びていく。
「やめろっ! お前の狙いは俺なのだろう!? に手を出すな!」
噛み付かんばかりの勢いで叫んだが、男の勢いをすぐ事は出来なかった。
男はにやりと笑みを浮かべて佐吉を振り返ると、
「佐吉ぃ。お前、女を抱いた事などないのだろう。今日の講義は女の善がらせ方だ。とくと師の技を見ているが良い」
嗤った――――
悪魔のような顔で嗤ったのだ。
「うわあああああああああああ!」
その時、自分がどうやって動いたかは覚えていない。
が取り落とした飛刀で指ごと切ってしまいそうなほどに、ざっくりと縄を切ると、佐吉は男の背中に向って飛刀を突き立てた。
一突き、二突き、三突き、四突きと――――
叫び声をあげながら無我夢中で刃を振るった。
そして気がついた時には――――
「佐吉! もう止めて! 止めて! 死んじゃう!」
血まみれになったに背後から抱きすくめられて、血溜まりに浮かんだ汚らしい男の四肢を見下ろしていたのだった。
後の事は良く覚えていない。
血こそ派手に噴出したが、そもそも短い飛刀で子供の腕力で致命傷など負わせられるはずがなく、僧雲は無事だったらしい。
秀吉は恩義のある人間の乱行に衝撃を受けていたようだったが、あの顔色の悪い軍師は弟子を傷物にされたのに腹を据えかねたらしく、あの変わる事のない無表情で男を断罪したのだと言う。
死んだのか、それとも罪を抱えて生かされたのかは知らない。
ただ、すべてが済んだ後、その顔色の悪い軍師が彼には珍しく、佐吉に礼らしき物を言いに来たのは覚えている。
はすぐに快復したが、男に対して恐怖心が芽生えたのか、人見知りがさらに強くなったように思う。
どちらにしろ、厭な思い出だ。記憶の中に塞いで、そのまま忘れてしまった方が良いと思う。
だが、こんな風のない夜は――――
「三成」
声をかけられて振り返ると、月明かりを背にが立っていた。
あの日と同じように、両目が煌々と碧色に輝いている。千里眼で三成がここにいるのを探し当てたのだろう。
「こんな所で何してるの?」
こんな所――――惨劇の現場となった離れの縁台で、三成はぼんやりと月を眺めていたのだ。
「なんでもない」
と素っ気無く返すと、はふうんと相槌を打って三成の隣に腰を下ろした。
「綺麗な月だねぇ」
と、一言。
綺麗という言葉は、好きではない。
そんな風に褒められたとて、だから何だと思うしかないのだ。人と違うことは容易く妬みや嫉み、良からぬ欲望へと結びつく。自分もも人並みの容貌であったなら、あのようなおかしな男の目に留まらなかったかも知れぬのに。
「三成。また、女の子を振ったでしょう。噂になってるよ?」
昼間、文を届けに来た女の事を言っているのだろう。
知らんな、と一蹴して、三成はふんと鼻を鳴らした。
「またそんなこと言って……。振るにしても、もう少し言い方ってものを考えなよ。迷惑だとか、下らんとかって言われたら、かわいそうじゃない」
説教めいた事を言って来たに、余計なお世話だと胸中で返す。
男であろうと女であろうと、愛情や好意を求めた瞬間、それは欲望でしかないではないか。何故、優しい顔をしてその欲望を受け取ってやる事が出来る。受け取らぬまでも、なぜ気遣ってやらねばならんのだ。
搾取されるのは――――俺なのだぞ。
「俺は男も女も嫌いだ。特に好意を寄せて来る人間など、虫唾が走る」
そう呟くと、は困ったような呆れたような顔で、ぽんぽんと三成の頭を叩いた。
まるで幼い頃に戻ったように、三成はの肩に顔を押し当ててその身体を抱きしめた。
は何も言わなかった。
好きとも嫌いとも、欲しいとも、厭だとも――――
それでいいと三成は思う。
自分達の関係は求め合わない物でいいと。求めた瞬間、愛情などどれも陳腐に成り下がってしまうのだから。
お互いに与えるだけでいい。
これがたとえ、俗に言う恋慕や慕情や情愛ではなかったとしても。
三成は静かに、の唇に唇を寄せた。
end
なんとなく三成って自分に好意を向けてくる人間が苦手そう。