Text

白の反転





 の初陣がいつだったのか良く覚えていない。だが、自分たちのそれより早く、官兵衛に伴って従軍したのは記憶にある。
 まだほんの少女だった。
 細い身体に重そうな肩当をつけて、そんな姿がひどく頼りなさげに見えた。
 ねねがおろおろと心配そうに世話を焼いていたのを覚えている。
「生水には気をつけなさいね、いくら本陣に待機だからって気を抜いちゃダメ、ああ官兵衛ほんとうにあの子に無茶はさせないで、身体が弱いの、いくら武芸の心得があるからって人を傷つけたこともないのに……」
 そうして自分の配下の忍びの者を、何人も護衛につけようとしたが、それでは身動きが取れぬと官兵衛に拒まれ、独りしょんぼりしていた。
 心配なら、戦なんかに行かせなければいいのに、と思った。
 実際、ねねは最後まで反対したらしいが、本人たっての願いであり、官兵衛もそれを許可したため止められなかったのだと聞く。
 まるでおひい様の出陣だ。
 おねね様はに甘いと、密かに嫉妬した。
「お前、どうして戦に行くんだよ」
 出陣の前日、武器の手入れをしていたにそう投げかけた。細身の短刀と、鋭利な飛刀。大降りの武器はない。の腕力では扱えないからだ。
 は泰平の世のため、と模範的な回答をした。
「官兵衛様の目指す泰平の世が私の目標なの。そのためなら、少しでも力になりたい」
「……死ぬかもしれないんだぞ。殺されなくても、女が戦場で捕虜になったらどうなるかわかってんだろ?」
 官兵衛の名が出てきたのが癪に障って、わざと意地悪な物言いをした。
 はわかってるよ、と無感動に返す。
「でも、役に立たなくちゃ、官兵衛様に恩返しできない」
 は子供の頃、官兵衛に拾われた。官兵衛によれば戦争孤児だと言うことだが、その出自は清正にははっきりと教えられてはいなかった。
 たかがそんな事のために、と清正は思ったが、があまりに真面目な顔をするので何も言い出せなかった。
 そして清正たちはの出陣を見送り、数日後、は体中に傷を作って帰って来た。





「本陣にいるから安心じゃなかったの!?」
 半狂乱になるねねに官兵衛はに進軍を命じたことを告げた。
「なんでそんな事を……あの子はまだ十三なんだよ!?」
「男児ならば元服を済ませ、初陣を飾るには申し分ない歳です。女児だからと言って、戦に出る以上例外は認められませぬな」
 それは正論のようだったが、ねねはそれでもまだ言い足りないようだった。
 次は私も出るからね、と官兵衛に念を押し、の看病に向かった。
「どうしてを戦に連れて行ったりしたんだ?」
 清正の怒気をはらんだ問いに、官兵衛はすうと目を細めた。
「あれが望んだ事だ」
 簡潔な答え。幾度となく、ねねが官兵衛に食って掛かるのを聞いたのだ。その度に官兵衛の口から返される答えは、すでに聞き飽きていた。
「だが、お前ならを止められたんじゃないのか……?」
「止める? 何のためにだ?」
は戦なんかに出れる身体じゃない。軍略の師なら、そのくらい分かるだろう」
 冷静に話していたつもりだったが、いつの間にか語気が荒くなっていた。官兵衛にあたっても仕方がない。すべてはが己で決め、望んでそうした事なのだ。
 だが、どこかで思い悩んで戦に赴くを、止めて欲しいという望みがあったのは否めない。それが唯一できるのは、この目の前に立つ冷徹無比の軍師だけなのだ。
「どう思おうが卿の勝手だが……、見当違いな思い込みは罪悪だ。卿は何故、あれが軍師になり、従軍を願い出たのか知らぬのか」
「なに?」
 泰平の世のため。全てはその一言に込められているのではないのか。
 眉根をしかめた清正に、官兵衛はますます呆れたような顔を見せた。侮蔑とも取れる眼差しで清正を見下ろすと、
「それも知らぬくせに、小僧が知った口を利くな」
 と。官兵衛にしては珍しく嫌悪の感情をあらわにした言葉だった。
 囁くような、だがはっきりと清正の心を穿つ言葉を吐いて、官兵衛は去っていった。の寝所とは別の方角。
 傷ついた弟子の心配もしないのか、とただ憤りが胸を襲った。





 心を和らげる効能があるという、甘い香がの寝所を満たしていた。
 ねねも看病の下女の姿もない。勝手に寝所に忍びこんだ事がばれれば、きっと叱られるだろう。だが、清正は官兵衛の残した言葉の意味が気になり、の元を訪れていた。
 褥に横たわるの顔はまるで人形のように白かった。所々に巻かれた包帯が痛々しい。傷がまだ塞がっていないのか、白い包帯を中からじんわりと鮮血が汚す。
 浅い呼吸を繰り返す唇は、苦しげに息を吐き出し、痛みに苦悩する顔には玉のような汗が浮かんでいた。
「今にも死にそうじゃねぇか……」
 その姿に衝撃を受け、清正は思わず毒づいた。
 泰平のためだとか綺麗ごとを抜かして戦に出たくせに、なんだこの体たらくは。
 清正の声が夢際に届いたのか、がゆっくりと瞼を開いた。
「きよ……ま……」
 唇がわずかに清正の名を形作る。
 声も出ないのか――――
 心臓をぎゅうと鷲掴みにするような、意味不明な不安感が清正を襲う。
「なんだ……、なんだこのザマは」
 清正の呟きに、がわずかに笑みをこぼしたようだった。眉根を寄せた苦笑。
「私……カッコわるいね」
 本当はもっと華麗な初陣を飾るはずだったのに、と恥ずかしそうに言う。
 本当は――――幾多の武功を挙げ、奇策を弄し、一人前に兵を束ねてみせるつもりだった。
 だが現実は、戦場では足手まといになり、策を立てるような活躍もなく、将兵には小娘と侮られる始末。そして乱戦の最中、格好の獲物となった自分は、この怪我だ。
 とても名誉ある負傷とは呼べない。
「当たり前だろ。お前……俺より弱いじゃねぇか。力だって強くないし、武器の扱いだって慣れてない。人を殺す度胸だってないくせに――――何故、俺を置いて勝手に初陣なんかに出たりした」
 思わず。本音が口を付いていた。
 置いていかれるのが悔しくて、側にいないのが不安で――――それで帰ってくればこの大怪我。
「俺がいたら……怪我なんてっ」
 ぎゅっと膝の上に丸めた拳を握り締める。
 少し早く生まれただけで、自分よりも早く大人になっていくのが赦せなかった。知らない世界へ勝手に向い、勝手に傷ついて――――もしかしたら、勝手に死んでいた。
「ありがとう、清正……」
 はゆっくりと身体を起こし、その身体を清正に委ねた。
 が顔を摺り寄せた胸の辺りがしっとりと冷たい。泣いている。声もなく泣くを、清正は黙って抱きしめた。
「怖かった……たくさんの人が死んで、私も、死んじゃうのかと思った……。もう皆に会えないと思ったら、すごく……すごく、怖かった……」
「だったら……なんで、戦に出るんだよ。俺が戦に出るまで……俺が守ってやれるようになるまで、どうして待たないんだよ」
 守りたい者が手の中にいないもどかしさ。この手ならを守れると、根拠のない自信が身体を満たす。
 だが、は身体を引き、ふるふるとかぶりを振った。
「それじゃあ、ダメなの」
「なにが」
「私は清正と同じ所に立っていたい。だから……守ってもらうのは、まだダメなの」
 私は弱いから――――まだ、誰かに命を賭して守ってもらう価値なんてない。
 はごしごしと夜着の袖で涙を拭いて、無理やりに笑った。
「私が一人前の軍師になって、清正が立派な武士になったら……そしたら守って。どんな敵からも」



 その約束を果たすように、それからしばらく後、清正は初陣へ赴くことになる。
 まだ同じ戦場には立てない見習い軍師と若武者だが、いずれ同じ目的のために戦場で邂逅すると信じて――――



end


『赤の朔望』に続き、幼少時代の話でした。
ところでうちのヒロインって、なんかいっつも寝込んでいる気がするんだけど……
気のせいじゃないですね。