心配なんです
いくら武芸に秀でた名将、叡智溢れる名軍師といえど、常に必勝と行くはずがない。どれほど多くの兵を持ち、地の利を得ても、相手がそれを凌駕すれば戦況は瞬く間に覆る。
先が見えぬことなど当たり前。結局勝ち負け引き分けは、じゃんけんと同じで確率なのだ。ただそれがぴったり三等分ではなく、常に戦況と共に変動しているということ。
つまり、必勝です! と自信満々のドヤ顔で出陣したが、身体中に傷を作って負け帰ってきた事実というのは、それほど稀有な事ではなくむしろ起こり得た出来事。危ない場面は多々あったがこうして生きて帰って来たのだから、まあ良いではないかと本人は軽く思っているのだが ――――
どうやら目の前の人物はそうは思っていないらしい。
むっつりと黙り込んだ、静けさが耳に痛い。が恐る恐る視線を上げると、三成の激しい怒りを湛えた瞳がじっとの顔に注がれていた。
「あの……三成さん?」
「………」
「うん、反省してるよ? ちゃんと反省してる。ちょっと相手を見くびりすぎたっていうか……うん、これからは『見くびりません、勝つまでは』をうちの部隊の標語にするからさ」
「………」
「や、でも、今回は仕方ない所もあったんだって。まさかあんな所に伏兵しかけて、しかも用意周到に火攻めまでしてくるなんて。あれはきっと名軍師の策に違いない。うん、きっと両兵衛に匹敵する知恵者が敵側にいたんだと思う」
「………」
「だから私も気を引き締めて、次の戦は絶対勝つ。勝ちます。勝ちます……から、怖いのでそろそろその顔やめてイタダケマセンカ」
怒りと侮蔑とその他もろもろの負の感情を込めた三成の視線に、の心はもはや耐えられなかった。この沈黙にもそろそろ限界だ。普段、一言二言ことある度に煩い三成が、こうも静かに、だが有り有りと怒りを顔に貼り付けて座っていると本当に怖いのだ。
三成は漸く、一文字に結んでいた唇を開く。
「貴様は馬鹿か」
仮にも軍師に向かって馬鹿とは失敬な。よっぽど言い返して遣りたかったが、反論するともっと怒られそうなのでここは黙って殊勝な顔を作る。
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまで馬鹿だと呆れてモノも言えんな。貴様、それでも軍師か。それでも両兵衛に次ぐ秀吉様の軍師を名乗っているつもりか」
膝の上に作った拳をぐぐっと握りしめる。はひくひくと頬をひきつらせつつ、反省してます、と小さく返す。
「馬鹿が。前回もそう言ったのを覚えていないのか? 貴様の脳は何だ。酒粕でも詰まっているのか。無能の自覚がないのなら軍師など辞めて、家に篭っていろ。たいして力もないくせに戦場になどしゃしゃり出て、はっきり言って迷惑なのだよ。自分が敗走すると、軍にどういう影響が出るのかそもそも貴様は自覚が足り、」
「ああ、もう、わかってるってば!」
最初は大人しく聞くつもりでいただったが、流石にそこまでこけにされ辛抱が続かなかった。声を荒らげてからしまったと思ったが、こうなっては後には引けない。三成もまた説教を途中で遮られ、語調が鋭くなる。
「わかってないからこうなるのだろう、この馬鹿! お前が敗走しておねね様がどれだけ心配したか、秀吉様は全軍お前の救援に回すだとか戯けた事を言い出すし、両兵衛は使い物にならなくなるし、俺がどれだけ、」
「だからその件は反省してるってば! 戦の失態は次の戦で挽回する! それでいいでしょ?」
「良くない! 貴様、俺の話を聞いていたのか!」
「聞いてたってば! 馬鹿馬鹿ひとの事を馬鹿にして!」
「事実だろうが! お前は賢いくせに頭が悪い!」
「迷惑かけたのは謝るってば!」
「謝罪などいらん!」
「なら、なんで怒ってるの? わけ分かんない!」
もういい! と言い放って、は三成の部屋から飛び出した。仕返しとばかりに飛び出すときに、三成に向かってバーカバーカと言い返すのも忘れなかった。そんな子供のような報復に三成は肩を怒らせるものの、怒ったところではとっくのとうに飛び出してしまっている。
三成は乱暴に障子戸を片手で閉めると、苛々しながらどかりと胡座をかいた。そしてしばらく独りで苛立ちを持て余してから、深い深いため息を漏らしたのだった。
「……左近、どうしてこうなってしまうのだ」
独り事のようにぼそりと呟く。
と、ずっとそこに控えていたのか、隣の部屋とのふすまをそっと開き、正座した左近が姿を現す。左近は渋い顔をしつつ、やれやれと頭を掻く。
「どうして俺も心配したと、素直に言えないんですか」
「……言ったつもりだ」
どこが、と思わず口に出しそうになるが、三成の”馬鹿”に様々な意味が込められている事を熟知している左近は、黙って苦笑を浮かべた。とりわけに向ける”馬鹿”にどれだけの想いがこもっているのか、おそらく本人よりも正しく理解しているだろう。
「素直に心配で死にそうだった。戻ってくるまで気が気じゃなかったし、思わず救援に飛び出しそうになった、と言えばいいんです。さんの救出を巡って清正さんと正則さんと殴り合いのケンカになったり、両兵衛と一緒に暴走しかけたりしたとか、それはそれは醜態を晒しまくったと白状すればいいでしょう」
「出来るかそんなこと!」
「だから誤解されるんですよ」
左近の言葉に三成は頭上に岩でも落ちてきたように項垂れる。三成が素直さを覚えたらそれは三成ではないように思うが、しかしに対してもこんな態度を取り続けてしまうのはやはり難儀だ。
やれやれと肩をすくめると、左近は小さな薬の筒を三成の前に差し出す。
「妙齢のお嬢さんの身体に傷跡なんて残っちゃいけない。さ、さっさと行って仲直りして来てくださいよ」
三成はしかめっ面のまま左近と薬を見やって、わずかの逡巡の後、それを握りしめて部屋を出て行った。
やれやれと左近は笑いながら肩をすくめる。
「まったく。何時になったら、素直に心配かけないでくれと言えるんでしょうかね」
end
リハビリ短編。
でも薬渡す時に、またツンツンしちゃう殿。