今回はどこそこで傷をつけて来た、軍師は本陣で策を練るものじゃないの? 女の子なんだから傷なんてつけちゃダメでしょう――――等々。
機嫌が悪いと官兵衛殿にも飛び火するから、それを傍から見ているのが面白かった。
あんまりあからさまに笑っていると、半兵衛もこっちに来なさい! なんて一緒に怒られたりしちゃうけれど。
でも、そんな光景を見るたびに、愛されているんだなあ、とぼんやりと思った。
“お説教”を受けながらが困ったような笑みを浮かべているのが、なんだか微笑ましく感じて、そういう出来事が日課として繰り返されるのを、どことなくが喜んでいるように感じたのは、きっと勘違いなんかじゃない――――
昔語り02
「呼んであげればいいのに」
ぽつり、と。
屋敷の屋根の上で腕を頭の後ろに組んで寝転がっていた半兵衛が、何気なく口にする。
何を、と尋ねるより早く、半兵衛が続けた。
「母上様ってさ。呼んであげればいいじゃない。気づいてるんでしょう?」
そうしてちらり、とを見やると、は顔を俯かせて黙ってしまう。
触れられたくない事ならば知らない振りでもすればいいのに。それすら出来ないの事をらしいと思いつつ、軍師としては致命的だと思った。
そんな簡単に弱さを露呈しては、そこに付け入られてしまう。もっとも、半兵衛の前だからこそ素直な顔を見せたというのなら、それはそれで嬉しいのだけれど。
「それは……駄目です」
搾り出すような声でが答える。
「どうして?」
「どうしても」
「理由になってないよ。の気兼ねする相手がいるとも思えないけど? 実の子供がいるなら遠慮もするかもしれないけれど、二人には……」
子が生まれなかった。
その愛情のすべてをや子飼いたちに注いでくれた。
ねねや秀吉が自分たちの事を実の親のように思って欲しいと思っているのを、は知っていた。
二人には感謝してもしたりない。本当の子供のようにを育ててくれたのだから、二人のために働こうと愛情を忠心で返す事に決めた。
「俺にはわからないよ。愛情を愛情で返しちゃ駄目なの? 好きに大好きって返しちゃいけない?」
そう言って問いただされるとは何も言えなくなってしまう。
自身、なぜ自分がそれほど禁忌のように感じているのか、うまく言葉にする事が出来ないのだ。
ただ何となく――――それはいけない事のように思っている。
これ以上強いつながりを二人と結んでしまう事を恐れている。
それが切れてしまう時の事を、恐れている。
「私は……自分の死ぬ時のことを考えているんだと思います」
半兵衛が顔をしかめたが、は反論の隙を与えず後を続けた。
「もし私がお二人の事を実の父母のように呼んでしまったら、お二人はきっと……悲しむから。だから呼べません。私からは。お二人がたくさんの愛情を与えてくださったこと、すごく感謝しています。でも、私からは……臣下の一人でいる事をやめたくありません」
言い切った瞬間、半兵衛は盛大なため息をついた。
馬鹿だなぁ、と言いたげな視線がの顔に注がれる。
「そんなの。が呼んだって呼ばなくったって、が死んじゃったら悲しむに決まってるじゃん」
「でも! どちらが重いと言ったら、子を失う方が重いのではないですか」
「そりゃあさぁ……」
言いかけて、半兵衛ははぁっと溜息をついた。
言わんとしている事は分からなくもない。臣下の死と、子供の死。比べるなら後者の方が心に大きな傷を残すだろう。
だがは大きな勘違いをしている。二人にとって最初からはただの臣下ではない。すでに大切なうちの子なのだ。が呼ぼうが呼ぶまいが、それはもはや揺らぐものではない。
確かに母や父と呼んだら、さらに二人のへの執着は重くなるに違いない。悲しみも増すかもしれない。だがそんないつか来るかもしれない悲しみよりも、今その名を呼んで上げる事の方がよっぽど大切なのではないか。
愛情に忠義で応えるというのなら、仮にも軍師を名乗るならば、喩え演技だとしてもそのくらいの事はやってのけるべきなのだ。
だが、それが出来ないのは、きっと――――
「俺はやっぱり……単に言葉にしてないだけだと思うけどな」
ぼそり、と呟いた半兵衛の言葉は、に真意を伝えることなく虚しく虚空に消えていった。
「じゃあ、こうしよう」
パチンと指を鳴らし、半兵衛が悪戯っぽい笑みをに向けたのはしばらく後の事だった。
「俺がまず二人の養子になります。で、が俺と結婚します。そしたら二人は義理のおかーさんとおとーさん。自然に呼べるようになるよ。ね、いい考えじゃない?」
は呆れたような顔をしながらも、くすくすと笑みを零した。
「半兵衛様は……お優しいですね」
「えっ? さっそく惚れちゃった? どうしよう。結婚しちゃう? 夫婦になっちゃう?」
「それとこれとは別です」
えー、と非難めいた顔をしつつも、おどけた仕草で嘘を流してくれるのは彼が本質的に優しい人物だからだろう。
本人にそんな事を言えば、照れ隠しににだけだよう、と冗談を言うかもしれないが。
「でも、半兵衛様。もしも……もしも、私が先に逝くような事があったら、どうか――――」
end
昔語りの昔のお話。