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 戦のあと、奥方があれを叱りつけるのは、いつも日課のようなものだった。
 今回はどこそこを傷つけて来た、軍師は本陣で策を練るものじゃないの? 女の子なんだから傷なんてつけちゃダメでしょう――――等々。
 幾たびそんな戯言を繰り返せば気が済むのか、私は呆れながら横でそれを聞いていたが、機嫌が悪いと奥方の怒りはこちらへも飛び火した。
 ダメじゃないの、官兵衛! もっとしっかりしなさい。官兵衛も自分を大切にしなきゃダメよ、ほら、こんなに怪我をして――――と。
 戦に出て、無傷で帰れると思うほうがおかしい。自分とて秀吉様の妻でありながら、家で亭主を待つどころか忍の真似事をして戦場を走り回っているではないか。
 だが、この人に正論を説いても詮無き事と、すでに私は知っていて、私は黙って奥方の“お説教”をあれと一緒に受けていた。
 あれも同じ事を思っていただろうに、困ったような笑みを浮かべながら黙って聞いていた。少しだけ嬉しそうな顔をしていたのは、勘違いだったか――――




昔語り





「奥方にとって私はさしずめ死神でしょうな」
 官兵衛の言葉にねねはわずかに笑んだようだった。
 その寂しげな笑みを眺めながら、官兵衛は言葉を続ける。
「戦にあれを伴ったのも、あれに兵法を教えたのも私だ」
 そして、言葉にはしなかったが、豊臣を没落させ、一家をばらばらになるよう仕向けたのも――――自分だ。
 さぞかしねねは自分のことを恨んでいるだろう。恨まれて当然だと思いやって来たのだが、しかし、ねねの向けて来たのはその寂しげな笑みだけだった。
 秀吉が死に、尼となったねねに昔の覇気はない。高台院の名を名乗るようになってから、慈母というより観音のような印象を人に与える。
 もういいの――――と、ねねは視線を庭先に移し、遠い目をした。まるでその先に、在りし日の家族の姿があるような顔だ。あの視線の先に探すのは、いつでもわが子の姿なのだろう。そして彼女は、その半生以上を、わが子の成長を見つめ生きて来たのだから。
「あれから何年経つんだろうね。昨日の事のようにも思うし、ずっと昔の事のようにも思うよ」
 無言の官兵衛に向かって、あの子ね、とねねは独り昔語りを始める。
「あたしの事、全然お母さんって呼んでくれなかったでしょ?」
 実家のある子飼いたちと違い、は天涯孤独だった。実の両親から死ぬように命じられたは、官兵衛の機転で生きながらえたが、親の元に戻る事も出来ずそのまま秀吉夫婦に育てられたのである。
 だが、それでもは二人の実の娘ではなかった。そして、自身も二人を慕い、忠誠を尽くしていたが、実の親のように接する事はなかった。
「でもね、一度だけ呼んでくれた事があるんだよ」
 と、ねねはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
 寝ぼけ眼のが母上と名を呼び、自分が間違えた事に気づいて恥ずかしそうな顔をしたのを、今でも思い出すのだそうだ。
「そのままずっと呼んでくれればいいのに、あの子ったら変な所で固いから」
 くすくす、と少女のような顔で笑う。
「でも、あたしはすごく嬉しかったんだよ。この子にとってあたしは実のお母さんと間違えるくらい、近い存在になれたんだって、すっごくね。だからね、」
 そして言葉を切って、視線を落とす。
 その先に続く言葉を、官兵衛は知っていた。ねねが何を思っているのかも、何を思い出しているのかも、同じ情景を官兵衛は思い出す事が出来るのだ。
 あの日ねねは半狂乱になって官兵衛の頬を打った。ねねが官兵衛に手をあげたのは、後にも先にもその一度きりである。
『どうして……!? どうしてなの、官兵衛!?』
 ねねはただそれだけを繰り返した。
 どうしても何もない。これが結果だ。
 理由など問わずともそれがすべてを物語っている。理由など、あなたの隣に横たわっているではないか、と。
 ある日、いつものように戦地向かったは、冷たい躯になって戻ってきた。
 いつかは来ると分かっていたこと。いずれ起こると予期していたこと。それが、起こっただけなのだ、と。
 誰の責任でもない。が望んで兵法を学び、戦に赴いたのだ。
 皆の力になりたいと、ねねの反対を押し切って出陣した。身体も弱く、武芸に秀でたわけでもなく、ただ不幸と言うならば――――人とは違う特殊な力を持っていた。それだけなのだ。
「いったい……どれだけ経つんだろうね、あれから」
 ねねの視線がの姿を探すように、庭先を行き交う。
 ねねには見えているのだろう。在りし日のわが子の姿が。
「そろそろお暇を」
 官兵衛は視線を戻さないねねに向かって一礼すると、徐に立ち上がった。
 自分を恨んでいるかもしれない。そう思いつつも、足繁くここへ通う官兵衛も律義者と言えるだろう。
「ねえ、官兵衛」
 背中に投げかけられたねねの声に官兵衛は振り返る。
「貴方は自分のこと死神と言うかもしれないけれど……あたしは感謝してるんだよ。あの子をあたし達に引き合わせてくれた。あたし達の娘にしてくれた。だから、」
 ねえ、そんなに自分を責めないで――――
 ねねの寂しげな笑みに、やはり官兵衛は無表情だった。
「……コウノトリの羽は白いと存じます。奥方の勘違いでしょう」
 そう言って辞去する官兵衛の背に、ねねは苦笑を向ける。
「なに言ってるの。コウノトリの羽には黒も混ざってるじゃないの」




end


コウノトリ=子供を運んでくる鳥、ということで。
こじつけくさいですね(笑)