呼び名
「さあ、礼儀と言うより……癖のようなものでしょうか?」
と、は子供のような顔で答えた。
なぜ自分に様を付けるのか尋ねたその返答だった。
先日の戦にて、高虎はの軍師としての手腕――――と言っても、半分以上は両兵衛による力添えあってのものだろうが――――を認め、世間知らずの姫のように扱った非礼を詫びたのだった。
来歴は異様だがは一軍において単なる軍師に過ぎず、また出自が不明と言う事もあり、高虎は己と同等に扱った。心を開いたわけではないが、それなりに認め、親しみを込めて名を呼ぶようにしたつもりである。
だが、一方はと言うと、名を呼びはするもののその後ろに依然として“様”がついているのである。
「俺にはそんなものは不要だ」
「そう……かも知れないけど癖なので」
「いくら癖だとは言え、自分と同等以下の者には不要だ。舐められるぞ」
そう告げると、は複雑そうな顔をした。舐められるのは嫌だが、一朝一夕で直るものでもないらしい。そういう風に躾けられてきた育ちの良さの表れのようでもあるが、上品に振舞うほど陰口を叩く輩はいるわけで、目下の者への態度ははっきりさせておいた方がいい。
「でも、高虎様は私の事を馬鹿にしたりなさらないでしょう?」
「しない。が、お前が様付けをやめないなら、考えを改めるかもしれんな」
「ええっ、どうして」
「賢い軍師殿なら分かると思うが? それとも俺にまた様と呼ばせたいか?」
にやり、と不適な笑みを浮かべると、はますます困ったような顔になった。
と違って、高虎の様付けには尊敬の念など込められていない。単に表面をつくろっているだけで、むしろ実力も伴わず人の上に立つ者への侮蔑が込められているような響きがある。
だからこそ初めて出会った時、は馬鹿にされたと察し高虎を怒ったわけだが、またその手順を繰り返すというのも何とも面倒な話である。それどころか、目下や対等の者に上下関係を示せぬ愚か者と新たな蔑みを向けるかもしれない。
もっとも一人前の軍師と認めたからには、がそんな事も分からぬ暗愚だとは思っていないし、も高虎がそう思っている事を理解している。だが、それを知っているからこそ、高虎の提案への抵抗する手段を失ってしまうのだ。
は卑怯だとか、ずるいとか、ぶつぶつ言いながらも、しぶしぶとそれを承諾した。
「わかりました。これからは高虎と呼ぶようにします」
「敬語」
「………。呼ぶようにする、これでいい?」
悔しそうな顔をするに、高虎は笑みに成りきらぬ、だが柔らかな空気を顔に浮かべた。
こんな顔もするのかとは意外に思う。この顔を見れたのなら、慣れない呼び名も悪くないかもしれない。
<おまけ>
少し離れたところで一部始終を目にしていた、正則が高虎の方へと近づいていた。
「おい。お前、ちょっとなれなれしくないか?」
「なにがだ」
「新参者のくせにを呼び捨てで呼ぶんじゃねーよ」
「くだらん。互いに対等だと認めたからこそ、名で呼び合う事にしただけだ。そんな事よりもお前たちのような輩がいるせいで、迷惑を蒙るのが自身なのだと自覚しているのか?」
「ん、んなっ!?」
「わかったなら、詰まらん独占欲など捨てろ。心配せずともお前たちの大切な姉御を奪ったりはしない」
「べ、べつにそんなんじゃねーし! ってか、奪うとかわけわかんねーし!」
「(分かりやすい奴だな)」
end
高虎さんは認めた相手には、対等である事を望むと思います。