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コノハナサクヤ





 目の奥を突き刺すような痛みに咄嗟に瞼を閉じると、睫毛の合間から大粒の涙が零れ落ちた。
 ここ数ヶ月悩まされ続けている痛みだ。
 懐に携えた手鏡で己の顔を見やる。
 幽鬼のように白い肌に、色素の薄い髪、そして茶と碧の合間のような黄朽葉色の瞳が輝いている。
 また、色が薄くなったような気がする。
 数ヶ月前、初めて目の痛みを感じた時から、徐々にこの瞳は色素を奪われている。
 否、変貌していっているのだ。
 青緑の輝きを放つ常世の瞳へと、徐々に変わりつつある。
 本来であれば、常世姫は人間の鳶色の瞳と、千里眼である翡翠色の瞳を使い分ける事ができる。それがどうした事か、いつの頃からかその境目が曖昧になって、現を見ながら幻視をする事が度々あった。
 世界が二重に見え、重なるそれは、どこか幻想的な世界に見えた。
 ああ、これが常世かと。
 名の所以を今更ながら知った。
 そして、瞳の色が失われると共に、の身体から生の気まで共に流れ落ちてしまっている気がする。初めは眩暈。次に高熱を起こし、最近では少し動いただけで身体がへばってしまう。
 寿命なのかとぼんやりと思った。
 そもそも、歴代の常世姫は皆例外なく夭逝している。二十になるかそこらで命を散らしていったのは、この奇病にかかったせいではないのか。
 だが、長く生きられないことを、自分はどこかで知っていたのだと思う。
 元より身体が丈夫なほうではない。戦の度に熱を出して寝込んでいたのだから、こうなる事は必然を通り越して運命のようにすら思えた。
 ただ、知っているのと覚悟があるのは別だ。
 ずっと昔から死の足音を知っていたはずなのに、今はその音が怖くて仕方がない。遠くからゆっくりと、だが着実な足取りで近づいてくるそれが恐ろしい。逃げ場のない自分を、取り囲み、縛りつけ、呑み込もうとしているそれが。
 本当はもうずっと、夜に眠る事が出来なくなっていた。
 怖くて、このまま目が覚めなかったらと思うと、恐ろしくて眠る事ができなかった。




……」
 うとうととまどろんでいると、名を呼ばれた。ひんやりとした手が、額の上に添えられる。
「半兵衛様」
 うっすらと目を開くと、想い人の優しい顔がすぐ側にあった。
「ごめん、起こした?」
「いえ、起きていました」
 嘯いて、顔に微笑を浮かべる。半兵衛の手を借りて身体を起こすと、至近距離からじっと見つめられる。
 と、
「目、痛いの?」
 涙の跡をぬぐうように半兵衛の指先が頬をこすった。
 そして、頬に手をあて、その色を確かめるように瞳を覗き込まれる。
「金色だね、の目」
「枯れ葉の色みたいです」
 茶化したつもりだったが、半兵衛は笑わなかった。顔を包み込み、労わる様な口付けを目元に落とす。
「これがきっと新緑に変わって、次第に翡翠の羽みたいになるんだろうね。まるで石が宝石に変わるみたいに」
 きっと綺麗だろうなぁ――――
 半兵衛はの碧の瞳を虚空に思い描いた。煌々と瞬くそれはまるで星の輝きのように美しく、見るものを魅了する光だった。今まで何度か見てきたが、それを目にするたびに、心を奪われて、ただ見蕩れてしまった。
「半兵衛様、私っ」
 が半兵衛の羽織をぎゅっと掴んだ。切羽詰ったの顔は、ともすれば泣き出しそうで――――
「大丈夫だよ、。怖くない。怖くないから、変わる事を恐れないで」
 普段、見せることのない慈しむような柔らかな笑みがそこにはあった。
「俺はの目が好きだよ。だから嫌わないで。もしその目が、現を失ってしまったとしても」
 は半兵衛の胸に縋り付き泣いた。この目が完全に千里眼に変わってしまったら、この目は眼前の光景を失うのだろうか。
 千里の彼方を望むようにしか見ることは叶わず、愛しいこの人の顔も間近で見つめることは出来なくなってしまうのか。
「大丈夫だよ。俺はずっと側にいるから」
 抱きしめる腕は温かく、降り注ぐ言葉は優しく。
 は堰を切ったように滂沱の涙を流した。
 その涙さえ呑み込むかのように、半兵衛は幾度も口付けを繰り返す。





 虫の声さえ聞こえない静寂の中で、互いの吐息だけが暗闇に溶ける。
「祝言を挙げようか」
 気だるい空気を纏いながら、おもむろに半兵衛がそう告げた。
「でも、私の身体は……」
 きっと長くは共にいれない。
 それが十年後の未来なのか、明日のことなのかようと知れないが、確かにの身体は天寿を全うすることはできないだろう。
 だが、半兵衛はそれを一笑に付した。
「先の事なんて誰にも分からないよ。こんな時代なんだし、俺が先に逝っちゃうかもしれないし」
「それは……嫌です」
 力なく呟いたを、半兵衛はぎゅうと抱きしめた。
「俺もがいなくなっちゃうのは嫌だ。だけど、それがいつか来る別れなら、一分一秒でも長くと一緒にいたい」
「半兵衛様……」
「ねえ、はコノハナサクヤ姫の伝説を知ってる?」
 おもむろに問われ、はいえと首を振った。
「古事記の中の女神の一人だよ。ニニギノミコトに求婚されて、彼女は姉のイワナガヒメと一緒に嫁ぐんだ。でも、ニニギノミコトは美しいコノハナサクヤ姫とだけ結婚して、醜いイワナガヒメは返してしまう。すると姉妹の父親のオオヤマツミが怒ってこう言うんだ」
『イワナガヒメを妻にすればその命は岩のような長く永久のものとなるが、コノハナサクヤを妻にすればその命は花のように散る、だから私は二人を嫁がせたのだ。コノハナサクヤのみ妻にしたあなたの子孫は、神々のように永くなく花の如くすぐ散ってしまうだろう』
 そして、その血脈は神武天皇へと繋がる。所謂、天孫降臨の一篇である。
「イナガワヒメも妻にしていたら、ヒトはもっと強かったのでしょうか……」
 の問いに、半兵衛はさあと肩をすくめて見せる。
「寿命は延びたかもしれないけど、それが吉となったか凶となったか分からない。ま、でも、死なないのなら後継者なんて必要ないし、絶対の統治者がいるなら争いなんて起こらないのかもしれない」
 でもさ――――と、半兵衛はそれを否定する。
「俺はニニギノミコトは美醜以前に、コノハナサクヤ姫だけを妻にしたかったんだと思う。どんなにか弱くて儚くても、一目で好きになった人なら、一緒になりたいと思ったんじゃないかな」
 たとえ、いずれ別れが来ると分かっていても。
 もう一度、祝言を挙げようかと囁くと、は涙で濡れた顔で静かに頷いた。



end


日本神話ってロマン溢れますよね。好きです。
神様の名前、最初漢字で書いてたんですが、読みづらいのでカタカナで。
「瓊瓊杵尊」とか読めんよ。