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 暖かな突風が春の香りを乗せて吹き荒れた。春一番である。
 屋敷の屋根の上に登った半兵衛は、帽子が吹き飛ばされないように片手で押さえつけて追い風に目を細めた。
 甘酸っぱい春の香りは、優しさと安らぎを与えるが少しだけその明るさが怖くなる。雪解けと共に訪れた春の息吹は、生命を祝福すると共に、何かをそのまま連れ去ってしまうような無邪気な残酷さを孕んでいるように思う。
 新しい季節の訪れを、少しだけ怖く感じるのはそのためだ。




春一番





「半兵衛様……、半兵衛様!」
 ゆるゆると目を開くと、の怒ったような困惑したような顔が頭上にあった。
「んあ?」
「んあ、じゃありません。またこんな所でサボって」
 ぼんやりとした頭で身体を起こすと、空の彼方に暮れる夕日が浮かんでいた。
 いつの間にか寝入ってしまい、夕方になってしまったようだ。の表情から判断するに、官兵衛に言われて探しに来たところ、屋根の上で爆睡する半兵衛を見つけておかんむり、という所か。
「ふあ……よく寝た〜」
 ぐぐっと両腕を伸ばして、伸びをするとの表情が呆れ顔に変わった。
「もう……、また仕事もしないで。何度、私に起こされれば気が済むのですか」
「まあまあ、軍師の仕事なんて半分は戦の準備なんだしさぁ。仕事がないならないで、平和って事じゃん」
「詭弁です。あと、仕事がないのではなく、官兵衛様や私が代わりに働いているのです!」
 腕を組んで怒る姿は、ねねのそれに瓜二つである。そして、文句の内容は語調は違えど、官兵衛に似ている。
 ごめんごめん、と頭を掻きながら、半兵衛はの呆れ顔を見上げて頬を緩めた。
 自分は意外とのこの顔が嫌いではない。実はに叱られて、はいはいと笑いながら応答するそのやり取りが好きだったりするのだ。
 卿はどうして学ばないのだと前に官兵衛に叱られたが、好きな子に構って欲しいんだろうねと冗談半分に答え、大変不可解――――を通り越して、不愉快そうな視線を受け取った。
 まあ、いい年した大の男が、小娘に怒られてへらへらしている図というのは理解しがたいものだろう。ついでに言えば、保護者の立場から、娘に変なちょっかいを出すなとでも思っているのかもしれない。普段、冷徹軍師然としているくせに、こういう所で官兵衛は過保護だ。
「とにかく。お仕事たくさん溜まってるんですから、明日はちゃんと働いてくださいね」
「うん、わかったって。明日、ね……明日」
 相槌を打ちはしたが、その明日という言葉が半兵衛には途方もなく頼りないものに感じられた。
 明日、明後日、明々後日――――連綿と続くはずの未来が、ふいに一陣の春風に遮られて、かき消されてしまいそうな現実味のない不安が胸を過ぎる。
「半兵衛様?」
 また、サボる算段でもしてるんだろうか――――と、は半兵衛の顔を眺めながら邪推していると、ふいに半兵衛がすくっと立ち上がった。
 夕日を背にして立つ半兵衛の姿は、妙に大人びて見えた。
「ねえ、は……春は好き?」
 遠い目をして尋ねる。
 はぱちりと不思議そうに目を瞬いた。
「好き、ですけど」
「俺も好き。でも、なんでかな……少しだけ怖いよ。あったかいし、気持ちいいし、すっごく昼寝にぴったりな季節なのに……、なんか吹き飛ばされてどっかに行っちゃいそうで」
 それはきっと、春一番を恐れるのと同じ理由だ。
 あの突風が、物凄い勢いで何かを攫っていってしまいそうで――――それを不安に感じている。
 誰かが言っていた。春は死と再生の季節なのだと。
 新しい何かが生まれる傍らで、古い何かが静かに天に昇っていく季節なのだと。
 だから、少しだけ怖くなる。
「あー……ごめん、変なこと言っちゃったね!」
 あはは、と照れ隠しに笑い声を上げて、半兵衛はくるりとに背を向けた。
 戻ろう、お腹すいちゃったよ――――そんな事を呟いて。
「大丈夫です!」
 はしっ、とが半兵衛の羽織の先を掴んだ。
「どこにいても、絶対見つけますから!」
……?」
「明日も、明後日も、半兵衛様のこと探しに来ますから!」
 驚く半兵衛の視界の中で、目の前の少女は懸命に半兵衛を繋ぎとめるように励ました。
 半兵衛が何を直感的に恐れ、春と結びつけているのか無意識のうちに察したのだろう。
「だから……もしも半兵衛様がどこかへ行ってしまっても、ちゃんと迎えに行きます」
 の両眼が、千里の先も見渡す瞳が、きらきらと強い意思を宿して瞬いている。
 半兵衛は驚愕の瞳でをしばし見つめ、それからくしゃりと顔をほころばせた。
「そうだよね。に探せないものなんてないもんね」
 ありがと、と半兵衛は微笑むと、の身体をぎゅっと抱きしめた。突然の抱擁には目を白黒させて身体を強張らせたが、半兵衛は気にせずの頬に自分のそれを寄せた。
 春の甘酸っぱい匂いを鼻腔の奥で感じながら、
「探しに来てね、きっと」



end


はんべが乙女すぎた。
春って綺麗だけど、ちょっと怖いよねという話。