深淵・表
妙にまぶしい。
まるで太陽と月が同時に昇ったようだ。
は目を細めて、空を見上げた。
ここはどこだろう――――
赤い曼珠沙華の花が風に吹かれて揺れている。
道なりに沿ってあぜ道を進むと、二又に分かれた辻に差し掛かった。六道地蔵が祠の中にちょこんと座っている。そのどれもが目を瞑って微笑んでおり、見るだけで心が穏やかになった。
「お地蔵様、どちらへ行ったらよいでしょう?」
物言わぬ地蔵に声をかけても答えはない。はふむと腕を組むと、落ちていた小枝を拾い、先を地面につけて手を離した。枝は右の道を指し示している。はそちらへと足を向けた。
が、
「そっちは駄目だよ」
足を伸ばしかけたところで、誰かに袖を引かれた。振り返ると、半兵衛が心配げな顔で立っている。
「半兵衛様?」
「そっちは生きている人間が行っちゃ駄目なんだ。おいで。俺が出口まで案内してあげる」
言って、半兵衛はの手を取ると、元来た道を戻り始めた。
空にはとんびの鳴き声が響き、穏やかな風が吹いている。こんなに心地よいのに、半兵衛の足取りは速く、一刻も早くを出口まで連れて行こうとしているようだった。いつもの半兵衛なら、昼寝でもしようと言い出しかねないのに。
ねえ、と振り返らないまま半兵衛が名を呼ぶ。
「は官兵衛殿のこと、好き?」
聞かれている意味が分からなくて、はきょとんと目を丸めた。
「ええと……好きか嫌いかで聞かれたら、好きです」
「俺より?」
再び半兵衛が何を言わんとしているのかわからなくて、は言葉に詰まった。
「半兵衛様の事も好きですよ?」
それでは答えになっていないと分かっているが、そういう風にしか答えられなかった。
二人を比べた事など、今まで一度もなかったのだ。
苦笑を浮かべた顔で半兵衛は振り返る。
「はずるいな」
「はあ……」
「でも、ま、しょうがないか。そういう風に育てられちゃったんだもんね。君には恋愛感情が欠如してるから」
は呆けた顔で半兵衛の言葉を聞いていた。わからない? と半兵衛がの顔を覗き込む。
はい、と正直に答えると、半兵衛は破顔した。
「官兵衛殿もひどい事するよね。一体、どれだけの男が君の事を独占したいと思っているのか――――なのに、当の君は俺たちの気持ちなんて分からないんだ。そういう物を理解する心を、意図的に抜かれている。だから、君は皆が好きで、同時に誰も愛さない。例外があるとしたら――――官兵衛殿だけかな」
でも、と半兵衛は暗い瞳で続けた。
「結局、官兵衛殿も手を出せずにそのまんま。自分がそうしたくせに、今更や俺に対して罪悪感を感じてるんだ。もう……そんな事したって無駄なのにね」
半兵衛の寂しげな、影を負った表情に、はすっと胸が冷えていくのを感じた。だが、半兵衛がなぜそんな顔をするのかには理解することができない。
そういう物を理解する心が抜けている――――
意味は分からないが、自分は何かが欠けている。そのことには思い当たる節があった。
「俺はね、のことが好きだったんだよ」
ふいに半兵衛に抱きしめられた。
私も、と答えたが、半兵衛は悲しげな顔で首を横に振る。
「の知っている好きと、俺の言っている好きは同じじゃない。たぶん、には分からないよ」
そして、自分の唇をのそれに重ね合わせる。
口付けの最中、は目を閉じる事もなく、不思議そうな顔で半兵衛を見つめていた。
ああ、まるでこの子は子供のままだ――――
男女の情愛など、まるで理解していない。
その感情に蓋をして、心を閉じて、目を塞いで。
まるで呪いだ――――
官兵衛のかけた呪いが、今もの心をがんじがらめに縛り付けている。
「官兵衛殿の呪いは強力だから……だから、俺も呪いをかけることにするよ」
俺の目を見て?
半兵衛の暗い海の底を映したような瞳が、の鳶色の瞳を捉える。瞳の奥を覗き込まれ、まるで視線から半兵衛が流れ込んでくるようだった。
「俺はで、は俺だよ。忘れないで、俺はいつでもここにいる」
そう言って、の胸の中央をちょんっと押した。
触れられた所から、じんわりと光が溶けていくような温かみを感じた。
「さあ、出口だよ――――」
示された道ははやり何もない道だった。だが半兵衛は、そこを進むように力強く頷く。
「官兵衛殿に伝えてよ。官兵衛殿は偏食になりがちだから野菜もちゃんと食べなって。あとは守りが弱いから戦では突出しちゃ駄目だよ?」
「半兵衛様は?」
一歩進んでから振り返ると、半兵衛は悲しげな顔でかぶりを振った。
「俺は一緒に行く事ができないから……。でも、いつも一緒だよ。の側に俺はいるから」
だから忘れないで――――
その言葉が別れの言葉だとでも言うように、半兵衛の姿はもうそこにはなかった。空からまばゆいばかりの光が注ぎ、は目を覚ました。
昨晩、半兵衛様の夢を見たのです、と――――
墓参りの途中で官兵衛に告げた。
「半兵衛は息災だったか」
と、死者に対するにはいささか奇妙な物言いで尋ねられた。
「はい、お元気でした。私や官兵衛様の事を、とても心配されていましたよ」
「心配?」
「ええ。 は守りが弱いんだから戦では突出しないように、官兵衛様は偏食になりがちだから野菜も食べるように、だそうです」
「なんだそれは」
まるでおねね様みたいですよねえ、と は笑った。
だが、官兵衛の表情は暗く何かを思い出すように呆然と佇んでいる。
どうされたのです――――と、は尋ねるつもりだった。
だが、口から出たのは、
「どーしたの、官兵衛殿?」
と。
まるで半兵衛のような物言い。
はぱちりと瞬きをしたが、それは決して夢などではなくて。
忘れないで、俺はいつでもここにいる――――
呪いの言葉が響いたかと思うと、は半兵衛がそうしていたように、にやにやと知らぬ顔で笑みを作っていた。
end
本当に半兵衛が祟っていたら、の話です。
官兵衛が挙動不審な理由は『深遠』をお読みください。