時雨
しとしとと振り続ける雨音を、は縁側で膝を崩し聞き入っていた。
瞳は開いている。だが、視界はここを映していない。
煌々と輝く碧の瞳は、目の前の現実ではなく、どこか遠くの風景をに見せていた。
雨音に向けて腕を伸ばしたが、その指が雨に触れることはなかった。どこまで手を伸ばせばいいのか分からず、は上半身を徐々に伸ばして縁側の先に身を乗り出した。
もう少し、というところで、ぐらりと身体が揺れる。
落ちる衝撃に耐えようと一瞬は身体を固くしたが、衝撃は肩を支えるしなやかな腕に遮られ襲ってこなかった。
「何をしている」
と、不機嫌な声。
表情は見えないが、きっと当人は眉間に皺を寄せているに違いない。そう思うと、知れず笑みが零れた。
「雨を……触ってみたかったから」
「……なんだそれは」
丸々一拍――――思案を巡らし意味がわからなかったのだろう――――間を空けて、三成の不機嫌な声が続く。
「だって、ずっと座敷にいるのは退屈だから。たまには畳と布団以外のものに触れてみたいの」
「……だったら誰か人を呼べ。その目で落ちたらどうする」
縁側から地面までの高さはさほどない。落ちたところでの着物が汚れるくらいだろう。
が、その先は分からない。庭には池もあれば石灯籠も立っている。目の見えない人間が一人で散策するには、安全な場所とは言えなかった。
は詰まらなそうに唇を尖らせていたが、特に言い返しては来なかった。それでは誰かに迷惑をかける事になると思っているのだろう。
光を失った事に、一番絶望しているのはだ。
ある日唐突に、は目を患い現実の世界を失った。
千里眼は見えているが、思い通りの風景を視ることはもはや叶わず、無聊を慰めるためだけに開いているといった方が正しい。しかも、その千里眼の世界すら、徐々に縮まり、失われつつあるという。
の視界が完全に闇に閉ざされるのは、時間の問題と言って良かった。
視力を失ってからは、は日がな一日、この座敷の中で暮らしている。軍師の座は辞した。秀吉はせめて耳と口で出来る仕事だけでも、と勧めたが、はそれを辞退した。自分がもう、軍師として役に立たぬことを自身が一番わかっているのだ。
そしての元には何もなくなった。元々、泰平の世のために戦う事だけを、生きる目的にしていたようなものなのだ。そのから戦を取って、一体何が残ると言うのだろう。
退屈だろうとねねが琴や琵琶を持ってきたが、そのどれもの心を埋めることはなかった。すでに飽きられてしまったそれらは、部屋の隅で埃をかぶったまま、主人が思い出してくれるのを一心に待つ身となっている。
「また戦があったの?」
三成に背を向けたまま、が尋ねる。
「……何か視えたのか?」
「うん……。煙が……幾筋も天に昇る風景が視えたの」
答えながらその風景を探すように、の双眸がかちかちと光を放つ。三成はそんなを抱き寄せて目を塞いだ。
これ以上、視る必要はない。それはきっと遺体を焼く煙に違いないのだ。
もはや戦場に身を置かないに、そんな風景を視せる必要はない。
「三成……また、戦に行ってしまう?」
三成の胸に身体を預けたまま、が小さく呟く。
一瞬ためらってから、三成はああ……、と返す。の顔に寂しげな陰影が浮かんだ。だが、それは一瞬で消え、やがて穏やかな笑顔に変わる。
「大丈夫。三成は必ず帰ってくるって信じてるから、だから寂しくないよ」
御武運を――――
呟いて、は三成の首に腕を回し、ぎゅっと身体を抱きしめた。その温もりをいつまでも忘れないように、長い抱擁を交わす。
「三成……、ずっと一緒にいてね?」
祈るような言葉に応えるように、三成もの腰に腕を回し、その身体を抱きしめた。