秀吉の晩年の豊臣家の話です。
最終話の舞台は大阪の陣、死にネタエンドです。
全体的に悲しいテイストの話なので、それでも許せる方のみお進みください。
残像04
ぱちぱちと舞い散る火子がまるで幻想の世界に誘うように、視界を覆い尽くした。
不思議と熱くはない。
は紅い打ち掛けを引きずって誰もいない城内をひた歩いた。
あの後――――秀吉が病没して、大阪城の均衡は見る見るうちに崩れた。武断派の清正と文治派の三成の対立が表面化し、その隙を付くように徳川が攻め寄せた。官兵衛の子が率いる黒田家は徳川に付き、日本中の武士が東西に分かれて争った。そして、戦の結末は三成の死と共に豊臣という家を危うくさせた。
そして、今――――火の粉の上がる城の中で、まさに豊臣の命運は尽きようとしている。
幾人もの武士が城に立てこもり応戦したが、徳川の圧倒的な物量の前ではなす術はなく、次々と戦場に命を散らせて行った。
見知った顔も多くあった。豊臣方にも徳川方にも、共に生き、家族と慕った人々が倒れていく。
はただ、崩れ行く城の中でその様を見つめていた。
「くそっ、ここはもう駄目だ。、逃げろっ!」
火の粉を掻き分けて、顔を煤だらけにした清正が駆けて来た。激しい乱戦を繰り返したのか、体中に傷や火傷を受けている。
は碧の瞳をゆっくりと清正に向けると、かぶりを振った。
「私は……ここに残る」
「なんだとっ!?」
「三成と……約束したから。最後まで見据えるって」
「この非常時に何言ってやがる!」
清正は掴みかからん勢いでの身体を抱き上げると、火の粉を掻き分けて退路を探した。
ずっと病に伏していたの身体は驚くほど華奢で、現実味のない重さをしていた。空気すらも毒であるかのように、苦しげに呼吸を繰り返し、時折袖口を口にあてて咳き込む。
「待ってろ。すぐ外に出してやる」
清正は片手に掴んだ武器で燃えた柱を切り崩しながら、退路を作った。だが、火の回りは速く、どこもかしこも炎に囲まれている。
「いいから……私のことは置いていって」
が力なさげに告げたが、清正にそれが了承出来るはずがなかった。
「生きろ! 諦めるな!」
怒号ともつかない叱咤の言葉を放つと、腕の中のがわずかに笑んだ。寂しげな笑みだった。
「清正もそう言って……秀吉様と、三成と同じ事を言って……私を死なせてはくれないのね」
笑っている場合か、と言いかけて、清正は炎の中に黒い影を感じ取った。咄嗟に身体を反転させると、強靭な化け物の腕が清正のいた空間を穿った。
ほむらの向こうに黒い軍衣の男が立つ。
「官兵衛……!」
清正は怨敵を見るように、黒衣の男を睨み付けた。
「火種を集めてくれて卿には感謝する。これで一気にカタをつけられよう」
官兵衛の言葉に清正はぎりぎりと歯軋りした。この男は豊臣の家に仇成す逆賊だ。ここで討たなければ死んだ秀吉に顔向けもできない。
「、お前だけ逃げろ」
清正はにそっと耳打ちすると、の身体を降ろした。を庇う様に片手鎌を構え、早く逃げろと促す。
だが、は俯いたまま動かなかった。
「何やってやがる! 早く、」
言いかけて、官兵衛がそれを遮るように嘲笑った。
「何が可笑しい」
獰猛な虎のように、清正が唸り声を上げる。
「卿こそ命が惜しいのなら、それを捨てて早く逃げるのだな」
「なんだと? てめぇまで手にかけようって言うのか」
「火種であるならば相手は選ばぬ。……が、わざわざ私が手を下すまでもない」
何を言ってやがる、と益々険を増す清正を無視して、官兵衛は輝く緑の光をに向かって放った。
清正が弾こうと鎌を振りかぶった瞬間、それよりも早く見えない何かが官兵衛の球を弾き返した。
「な……っ」
絶句する清正の前で、官兵衛は再び攻撃を繰り返した。緑の光が四方からを襲い、鬼の手が押しつぶさんとばかりに頭上から降り注ぐ。だが、そのどれもの元に届く事はなく、不可視の力によって跳ね返されるのだった。
「なんだ、これは……」
驚愕する清正に対して、予測範囲の出来事だったのか、官兵衛に驚くそぶりはない。ただ、思案げな表情で、やはりか、と呟く。
「どういう事だ」
混乱する清正の前でがゆっくりと立ち上がった。火の粉がまるでの動きにあわせるように、ひらり、ひらりと揺れる。
「それは死なぬ」
官兵衛の声に、が表情を曇らせ俯いた。
「如何なる現世の理も、それには届かぬからだ」
だから――――再び放たれた光の球も、は眉を動かす事すらせず跳ね返した。傷つかず、揺れず、害されず――――まるで見えない壁に拒まれるように、には届かないのだ。
清正は恐る恐ると言った風に指先を伸ばした。
の頬に触れる。
確かにここにある。温かい。なのに、官兵衛の攻撃は一切当たらない。
「何人たりとも、害する事あたわず」
なぜだ、と清正は戸惑いの表情を作った。
「それは……もう死んでいる」
官兵衛の言葉に、清正は目を見開いてを見やった。
は震えていた。
まるで極寒の地に立つかのように、灼熱の炎を感じぬように。
雪のように白い白面。蛍の輝きに似た碧の瞳。頬と唇は桜色に色づき、豊かな亜麻色の髪は鮮やかな打ち掛けの上を流れる。
これが死人であるものか。
生きた人間の感触もあれば、体温もある。呼吸もしている。
はいつまでも変わらぬ姿で、変わらぬ姿――――――――で?
清正は力を失って、膝をついた。
火の粉を浴びているというのに、なぜ内掛けが燃えない。
官兵衛の攻撃が、なぜ届かない。
なぜ――――いつまでも、少女の姿のままでいる。
「まさか……いや、まさか……」
やっと気が付いたか、と官兵衛が呟いた。
「それは幻だ。残像だ。亡霊だ。卿らが造り上げた、豊臣という時代を象った妄執にすぎぬ」
「妄……執……?」
「なぜ、疑わぬ。なぜ、気付かぬ。なぜ、それが如何なる時もそこに居ると信じる? 卿らはそれに生きろと言う。死ぬことを禁じ、己らの望みを、願望を押し付ける」
「だから……ずっと、居てくれたっていうのか?」
は悲しげな顔を向けて、こくりと頷いた。
秀吉も三成も、死ぬなと言った。生きて、次代を見据えろと言い残し、自分達は散っていった。
だから、は――――いや、の形をする自分は、ここに居続けた。
皆が信じた、この家に。
「私は……自分がいつ死んでしまったのかも分かりません。信長様が生きていらした頃に? 秀吉様が天下を獲られた時に? それとも、本当はもっと前に死んでいた?」
わからないのです――――
呟きながら、はゆっくりと官兵衛に向かって歩み寄る。
「もう……いいのでしょうか」
の両眼から透明なしずくが零れ落ちた。
「ああ。役目、大儀であった」
官兵衛はの頭上に手をかざし、かつて幼き頃にそうしたように頭を撫でた。
は瞳を閉じ、官兵衛の身体に縋りついた。
そして、別れを告げるように清正を振り返る。
「清正。次代は……あなたに」
「っ!!」
清正の叫びと、の身体が蒼い炎に飲み込まれるのは同時だった。
「最後の火種よ、潰えよ」
官兵衛の声と共に炎はさらに勢いを増し、足元から揺らめく髪の端さえも包み込んだ。
は炎に包まれながら空を仰ぎ、
「これで……やっと、側に……」
最後に一粒の涙を零した。
豊臣が大敗を喫した戦より数日の後、二つの奇妙な怪談が実しやかに噂されるようになった。
一つは焼け焦げた大阪城の地下より見つかった、女性の屍についてである。
死後何十年も経っているにも関わらず、身体は瑞々しく、まるで眠っているかの如き美しさを保っていたらしい。地下の環境が自然に死蝋を作り出したのだと推察されるが、その顔が亡き秀吉公の家臣・に酷似している事が噂の理由である。
かの者は秀吉公の軍師を勤めたが、生来身体が弱く、秀吉公が天下を平定した後、病没している。
だが、いつ没したかは記録になく、秀吉公の寵臣であったにも関わらずどこに埋葬されたかも知られていない。そのため生死の狭間が曖昧で、地下の遺体は彼女の物で、亡くなった後も城で暮らしていたという噂が後を絶たない。
元より幽鬼のように白い肌と、夜桜のように儚い美貌を兼ね揃えた姫であった事から、そのような噂が立ったのだろう。その噂に尾ひれ目ひれがついて、妖しの君などと呼ばれるようになるが、彼女が死後――――死蝋を彼女の遺体と仮定するならば――――活動した記録など、どこにも残ってはいない。
そしてもう一つの怪談は、秀吉公の元軍師・黒田官兵衛についてである。
すでに官兵衛が没してから十年の月日が流れるが、此度の戦で彼の名軍師が戦場に現れたという噂が、兵を中心に広がっている。あの黒衣を纏って炎上する大阪城に入っていくのを見たという証言がいくつも挙がったが、彼の嫡子・黒田長政の言によれば、父は先祖代々の墓に弔われており化けて出る理由がないと一笑に付された。
ともあれ、このような荒唐無稽な噂が流れるのは、豊臣という家が人々の心にそれだけ大きな影響を与えていたからに他ならない。
織田、豊臣、そして徳川へと時代は流れ、その濁流に飲み込まれていった者達は歴史の中で語り継がれるのだろう。
だが、妖しの君と称された少女だけが、史書の類から一切の姿を消し、ただ人々が語り継ぐ物語の中にだけ生きるようになる。
それこそまるで亡霊のように、いつまでも色あせる事無く、美しい少女の姿で人々の口上に現れるのだった――――
end
ヒロインは危うげながらも均衡を保ちたいを願う人たちの願望によって、
この世に残った残留思念のようなものです。
これにて「残像」完結です。ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
官兵衛サイドの話として、このあと「残響」に続きます。