「残像」の外伝、官兵衛サイドの話です。
「残像」のネタバレがあるので、未読の方は先にそちらをお読み下さい。
全体的に悲しいテイストの話なので、それでも許せる方のみお進みください。
残響04
一瞬、官兵衛は半兵衛が手を加えたのかと疑ったが、そうではなかった。
ねねに庇われるように縮こまっていた少女は、一瞬の内に姿を変え、紅い打ち掛けを羽織った娘に変貌していた。
「官兵衛様……」
官兵衛の名を呼ぶその姿は今までのような虚ろな幻とは異なる、確固たる意思を持っていた。幼い頃の童女でも、官兵衛に師事した頃の少女でもない、この城に入りこの家が崩れていくのを目の当たりにした、現在のだった。
はねねの腕の中からするりと抜け出すと、官兵衛の足元に膝を付き深く叩頭し、
「どうか……どうか、お赦しを」
沈痛な面持ちで赦しを請う。
「私が自ら望んだのです。自ら望んでここに留まりました」
「それでどうする? 過ぎた夢を見続けても、壊れた物は元に戻らぬ」
死んだ人間が元に戻らないのと一緒だ。
「分かっています。皆、分かっているのです。泡沫の夢に過ぎぬのだと。でも……それでも……私も、あの頃を取り戻したいのです」
あなたがそう願ったように――――
官兵衛は、答えなかった。
だが、には見抜かれていたのだ。官兵衛もまた、在りし日への憧憬を捨てきれぬ一人であるのだと。
「……下らぬ。如何に願おうと覆水は盆に帰らぬ」
わかっています、とは頷く。
「私には何の力もありません。夢を見せ続ける事しか出来ないのです。でも、せめて……終わるその時まで、私はこの人達といたい」
だから、どうかお赦しを――――
は再びこうべを垂れ、透明なしずくを零した。
こんな事に何の意味がある。
意味などないのだ。感傷だ。妄執だ。惰弱さの生み出した哀愁に過ぎぬ。
だが――――
「……愚か者が」
官兵衛は呟くと、妖気球を静かに下ろした。
が涙で濡れた顔を上げた。
「豊臣の天下は長くは続かぬ。お前が如何に願おうとも、一度入った亀裂は元には戻らぬ。それでも滅びの一幕に付き合いたいのならば好きにせよ」
そう言い捨てて、官兵衛はに背を向けた。
もはや用はないとばかりに、地下室の外へと歩を進める。
「ありがとうございます……官兵衛様」
の安堵に満ちた感謝の声が、背後から届いた。
そして――――
たったった、と小さな足音が響いたと思うと、
「おねね様、正則が意地悪をするのです!」
いつか見た光景を、再び繰り返す。
何度でも、それを望む人間が居る限り、は在りし日の夢を見せ続けるのだろう。望む姿になり、望む光景を、何度でも。
官兵衛はもはや、振り返らなかった。
客間へ戻る間、ずっと半兵衛は口を利かなかった。
ずっと押し黙ったままで、官兵衛の後を付いて来る。
同じ亡霊と言えど、のあり方には何か思う所があったのかもしれない。
客間に着いて、官兵衛が床に付くと、ようやく官兵衛の様子をうかがうような顔で口を開いた。
「ねえ、これでいいわけ?」
「いいも何も本人が残ると言うならば仕方あるまい。私は除霊の才は持っておらぬ」
そもそも今回のようなこの世の理を飛び越えた事情は、官兵衛の手に余る。無理やり成仏なり浄土に向わせるならば、それこそ半兵衛が力づくで連れて行く方がまだ可能性があると言えよう。
だが、半兵衛は依然、渋い顔を作り顔を俯かせていた。
「何か提言があるなら聞くが?」
発言を促すと、半兵衛には珍しく言うのを躊躇うかのように言葉を濁らせた。
「あのさ……官兵衛殿は気付いていないの? それとも、俺が、そうなのかな」
「何をだ」
はっきりしない物言いの半兵衛に、官兵衛は片眉を上げた。
「ねえ、官兵衛殿。地下室での事だけど――――一体、誰と話をしていたの?」
官兵衛は目を見張った。
「何を言っている。卿には……見えていなかったのか?」
「何のこと?」
あの出来事の一切が、回りだした走馬灯も、幼いの姿も、ねねの腕より飛び出して官兵衛に縋りついたも、すべて――――見えていなかった。
官兵衛は手の平で顔を覆い、深く、深くため息を付いた。
「そうか……」
何かを悟ったように、官兵衛は重苦しい声で呟く。
「私も……つまらぬ情に縛られた者の一人か」
半兵衛は屏風の向こうの、紅い打ち掛けしか見ていない。その時、屏風の向こうから響いた声も聞こえておらず、ただ動かぬ打ち掛けに向って声をかけたに過ぎなかった。
あのもまた、ねねと官兵衛の作り出した幻に過ぎなかった――――
最後に現れたでさえも、己を納得させるために自ら作り出した妄想ではないかと思え、官兵衛はひやりと肝を冷やした。
だが――――
「いや、それはこの際、問わぬ」
もしあれが本物であろうと偽者であろうと、豊臣の家が崩れるのは必定である。
その時、この家が崩れ、囲い閨の呪縛が放たれたその時には――――自らの手で、迎えることにしよう。
たとえ時が来るまでに、己が命が朽ちたとしても。
私は夢を見ている。
懐かしい光景の中に在りし日の仲間の姿を、思い描いている。
呼ぶ声も、微笑みかける顔も、あの日のまま。
だが、私はそれが残像であり、残響である事を知っている。
それでも、夢を夢だと知っている私は、同じ日の夢を繰り返し見続ける。
それが泡沫の夢に過ぎないと知りながら――――
end
唯一死者であり、夢を見ない半兵衛だけが、ヒロインに会う事が出来ません。
なぜなら、それが現実であり真実だからです。
冒頭と結びにある「私は夢を見ている――――」のくだりは、
ねね・官兵衛・ヒロインの誰にも当てはまる言葉です。
「残像」より続いた本シリーズもこれにて完結です(たぶん)
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!