「残像」の外伝、官兵衛サイドの話です。
「残像」のネタバレがあるので、未読の方は先にそちらをお読み下さい。
全体的に悲しいテイストの話なので、それでも許せる方のみお進みください。
残響03
「お願い、これを壊さないで……」
ねねの懇願の声は、走馬灯の光が輝くこの異様な空間に静かに響いた。
官兵衛は妖気球を降ろすと、無言で格子に歩み寄りその組み木を手で触った。文様が刻み込まれているだけでなく、木の組み方も通常の格子とは異なる。この格子自体が何らかの呪術的な意味を持っているのだろう。おそらく、半兵衛のような死者や、この中に閉じ込められたある物を拒む力を持っているはずだ。
「おねね様……」
半兵衛が呼びかけたが、ねねは半兵衛の方を見なかった。
見えていない――――死者である半兵衛の存在を感じる事が出来ないのだ。
「この中に何があるのか、知っておられるのですな」
官兵衛の問いに、ねねは戸惑いの表情を見せたが、やがて小さく頷いた。
官兵衛はふうと、深いため息を吐いた。
今回の一件はすべて秀吉が原因かと思っていたが、よもやねねも共犯であったとは――――
「あれは奥方様の事を母と慕っておりました。よもや子をこのような場所に閉じ込めるとは……」
「違うよ!」
官兵衛の声を遮るように、ねねの悲痛な声が響く。
「あたしは……こんな事、望んでなかった! こんなの間違ってるって言ったもの! でも、あの子は優しいから、だから進んで……」
言いかけて、ねねは感極まって顔を覆うと、その場に崩れ落ちた。
地に伏して泣き崩れるねねの背は、ひどく小さく見えた。
夫の暴挙を止められず、黙って座敷牢の中に囚われた娘を見届ける事しか出来なかったねねの苦悩が、その嗚咽の声に染み込んでいた。
今や家族はばらばらになり、秀吉の権威を示す大阪城は危うげな均衡の上に建っている。
その均衡の犠牲に、が囲い閨に囚われる事になったのに、心を痛めぬはずがなかった。
だが……
家に、かつての家族に拘泥し続けた末に、親と慕ってくれた娘を犠牲にするなど、どのような理由があろうと正当化できようはずがない。
この人も、在りし日の残像に囚われているのか――――
半兵衛は哀れみとも付かぬ瞳で、ねねを見つめた。
その時、ふいに屏風の後ろから、凛とした声が響いた。
「おねね様、そこにどなたかいらっしゃるのですか……?」
懐かしい――――柔らかな声に、一同は格子の向こうに顔を向けた。
打ち掛けの袖がわずかに揺れている。だが、姿は見えない。
「。そこにいるのか?」
官兵衛は問いかけた。答えはない。
だが、突如として部屋中の走馬灯がくるくると回転を早めた。灯篭に描かれた、四季折々の花々や胡蝶が閉ざされた地下室に鮮やかな光を放って広がる。
そして、回転が最高潮に達したと思われた瞬間、白い小さな人影が部屋の中から飛び出してきた。
小さな、小袖を着た少女が、格子をすり抜けねねの胸に飛び込む。
そして、
「おねね様、正則が意地悪をするのです!」
と、悪事を言いつけるように、唇を尖らせた。
幼い顔にはうっすらと涙が浮かんでおり、苛められたのか今にも泣き出しそうな表情だ。
「これは……」
官兵衛にも覚えがある。ずっと昔、まだ秀吉の家に慣れなかった頃、は度々子飼いたちにちょっかいを出されて泣いていた。その時のの姿が、そこにあるのである。
ねねは小さな子供をあやすように、幼いの背を撫でた。すり抜けると思われたその手は、の小さな背中を撫でさすり、確かな感触をその手の平に伝えた。
確かに、そこにいる。
呼吸もすれば体温もある。涙を流してねねの内掛けを濡らす。
だが、これはまやかしだ。
この姿は、こんな風にねねに縋り付いて泣いていた姿は、過去の残像でしかないのだ。
「あり得ぬ」
官兵衛が驚きの言葉を漏らすと、小さなは暗闇の中に霧散するように消えた。
だが、走馬灯の回転は止まらない。
くるくると、ぐるぐると、鮮やかな影を広げ、その光は再び集まりの姿を形作る。
そして、
「官兵衛様」
官兵衛の背後から、声が響いた。
音もなく佇むように。だが、それは確かにそこに在り、懐かしい顔を、声を、官兵衛に向けて微笑むのである。
「官兵衛様」
もう一度。それは嬉しそうに。
大好きな師を見つけ、まるで仔犬か仔猫がまとわり付くように、なつっこい声で呼ぶのだ。
「よせ……私の名を呼ぶな」
官兵衛は振り返らなかった。
その姿を見たくなかった。
在りし日の――――まだ、半兵衛も健在だった頃の、あの愚かしいほど穏やかで満たされた日々を。夢の中で幾度も繰り返し、憧憬と惜別の念で思い描き続けたあの日々を。否応もなく思い出させてしまうその姿を見れば、己も過去に囚われてしまう気がした。
「失せよ。残像に用はない」
厳しい声音で告げると、は微笑を浮かべたまま、闇の中に消えた。
ねねと官兵衛を惑わした走馬灯の光は、回りながらもゆっくりとその速度を落としていった。
「面妖な業を」
官兵衛は忌々しげに呟くと、妖気球を掲げた。それに気付き、ねねが止めようと必死にそれに縋り付く。
「この囲いを解いちゃだめ! お願い、を殺さないで!」
「もう死んでおりましょう。死者をこのように辱める事こそ、冒涜かと存じますが」
「違う……違うよ。は、ここに、」
泣き崩れるねねを心配するように、小さながひょこりと顔を覗かせた。
「おねね様……?」
碧に輝く双眸が、心配そうに見つめている。
ねねはの身体を抱き寄せると、声を上げて泣いた。
「分かってる。間違ってるって……でも、温かいのに。息もしているのに……もう一度、この子を殺すの?」
官兵衛はの幼い顔を睥睨した。は不思議そうな顔で、官兵衛とねねを交互に見ている。
「これを生きていると言うならば、生者の傲慢に過ぎぬ。このような姿で生かされたまま、ずっと貴女方に幻を見せ続けるのですかな」
幻と、偽りと、知りながら見る夢は果たして幸せなのか――――
官兵衛は緑の光の球を宙に浮かび上がらせると、ねねに抱きしめられたままのの頭上にかざした。
の煌々と輝く碧の瞳が、不安げな眼差しで官兵衛を見つめている。
「おねね様、怖い……」
がねねの内掛けをぎゅっと握り締めた。
「止せ。惑わすな」
「おねね様……官兵衛様……いや、いや、いや……私を――――殺すの?」
官兵衛に追い詰められたは、恐怖で今にも泣きそうな顔だった。ねねがの身体を庇うように、きつくその小さな身体を抱きしめる。
「失せよ。亡霊」
官兵衛の緑の球が交差するように落下した瞬間だった。
放たれた球が容赦なくに叩きつけられたと思われたその時――――何者かの力が官兵衛の攻撃を弾き飛ばした。
end
次回、最終話です。