「残像」の外伝、官兵衛サイドの話です。
「残像」のネタバレがあるので、未読の方は先にそちらをお読み下さい。
全体的に悲しいテイストの話なので、それでも許せる方のみお進みください。
残響02
大阪城への登城の機を計っていた官兵衛だったが、それから数日の後に大きな地震により彼の地が災害にみまわれたと聞き、それを登城の理由とする事にした。
だが、駆けつけた官兵衛を前にして、秀吉は冷ややかな視線を向け、「わしが死ななくて残念じゃろう」と皮肉った。
秀吉の官兵衛へのあたりは厳しく、やはりの所在を確かめる事は叶わなかった。
は息災だが気の病にかかっており、人に会おうとしない。官兵衛にも会いたくないと言っている。官兵衛に代わりにはよろしく伝えておくから安心せよ、という通り一遍の説明をなされただけで、それ以上の質問も詮索も許されなかった。
用が済んだのならさっさと帰れと言わんばかりの勢いである。
通された客間の中で、予期していた通りの対応に官兵衛は嘆息を漏らした。
「半兵衛」
縁側の外に広がる闇夜に声をかけると、先日と同じく一匹の蛍がすうと姿を現した。行灯の光のみで照らされた薄暗闇の部屋の中で一回転すると、官兵衛の足元に降り、姿を現す。
「秀吉様、変わったね……」
かつての主の変貌した姿に、少なからず衝撃を受けているようだった。
半兵衛が軍師として従事していた頃の彼は、どんな相手にでも傲慢に成ることなく、誠意を通し、その生来の愛嬌さと実直さで人を惹きつけて止まなかった。
それが、権力を手にした末がこの有様か。
「人は老いれば変わるものだ。落胆するほどの事ではない」
すでに慣れているのか、それとも諦めているのか、官兵衛の言葉は淡々としていた。
それより、と官兵衛は話題を変える。
「卿の言っていた入れぬ場所とはどこだ」
長くはここに留まれない。今晩中に件の場所を暴こうと官兵衛は考えていた。
「地下だよ。来て。俺が案内する」
半兵衛は再び蛍に姿を変えると、先導するように襖の向こうへと飛び立った。
豪華絢爛な城内と異なり、まるで別の空間のように地下は質素で寂しい造りになっていた。見張りの男に無理を通し階段を下りると、ひんやりとした冷気が漂っていた。
壁際に立てかけられた行灯だけが、ぼんやりと頼りなさげな光を放っている。
半兵衛の案内で歩を進めると、重々しい黒い扉が行く手を阻んだ。頑強な雰囲気の扉には鉄のかんぬきが挿されており、虫一匹さえ通りできぬほどにぴったりと閉じられている。
そして扉の合わせ目には、何か得たいの知れない札が幾枚も貼り付けられていた。
「これが卿を阻んだ物の正体か」
官兵衛は呟くと、札を一枚、一枚と剥がして放り捨てた。
すでに死人である半兵衛には何らかの効果を発揮するのかもしれないが、生身の人間である官兵衛には利かない。だが、神社や寺で見るような札とは違う、禍々しい文様を綴ったその札は触れるだけで何か悪い気が流れ込んで来る様だった。
札をすべてはがし終えると、官兵衛はかんぬきを取り外し扉を開いた。ぎぃぃと重々しい音を鳴らし、観音開きの扉が開く。
部屋の中はひんやりと冷たく、まるで氷室の中のようだった。薄暗いが奥の方から紅い光が漏れている。
ゆっくりと歩を進めると、そこには黒い格子が四方を囲み、だだっ広い部屋の中に大きな座敷牢を造り上げていた。
「これは……囲い閨」
半兵衛が呆然と佇んだまま呟いた。
文献やの話しから聞き及んでいた、常世姫の寝所である。
格子で四方を囲まれた、窓のない部屋。床は緋毛氈が敷かれ、四隅には雪洞が点り、まるで雛壇のような印象を見るものに与える。
だが、そこに広がる囲い閨は、半兵衛の聞いていたものよりもずっと豪奢で大規模だった。
広い部屋の中には小川が流れ、鯉が泳ぐ小さな池に注がれており、所々には作り物の桜がちらちらと花びらを舞い散らせていた。灯りは雪洞の他にも走馬灯が立ち並び、蝶や花などの色鮮やかな影を、緋毛氈の上に放っていた。
まるでこの世の雅な物をすべて閉じ込めたような、異様な空間に半兵衛は顔をしかめた。
と、四季を描いた金色の屏風の端から、赤い内掛けが覗いていた。
「!」
半兵衛は格子に近づき黒い組み木に手を伸ばしたが――――瞬間、ばちりと火花が散って半兵衛は咄嗟に手を引っ込めた。
驚愕の表情で格子に顔を寄せると、木々の一本一本に先ほどの札と同じ文様が刻まれていた。どうやらこの格子自体が半兵衛の存在を拒み、遠ざけているらしい。
「私がやろう」
官兵衛は妖気球を手に取ると力を込めた。
戦に出なくなって久しいが、鬼の手を呼ぶ力は衰えてはいない。
格子ごと粉々にしてくれん、と官兵衛が妖気球を掲げると、
「やめて!」
後方から悲痛な声が響いた。
振り返ると内掛けを羽織った壮年の女が立っていた。
女は官兵衛を押しのけるように格子の前に立つと、両腕を開いてそれを庇った。
「お願い、やめて。これを壊さないで!」
その顔は双眸から零れだした涙で濡れていた。
「おねね様……」
半兵衛が驚愕の表情を浮かべて、女の名を呼んだ。
髪は白くなり始め、肌も潤いを失ったが、その姿はまさしく秀吉の妻、ねねのものだった。
end
なお、秀吉がいたのは正しくは大阪城ではなく伏見城ですが、
ここでは大阪城で進めさせていただきます。