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残月07





 武断派の清正や正則と三成の軋轢がより確かなものとなったのは、秀吉が亡くなったしばらく後の事である。
 共に求めたものは一緒であったはずなのに、どこで道を違えたのだろう。
 三成は霧の立ち込める関が原を、陣幕の中からじっと見据えていた。
 まるで本当の家族のように、秀吉がおり、ねねがおり、両兵衛が、清正が、正則が……そしてがいたあの頃。鬱陶しくもあったが、その馬鹿みたいな家族ごっこが自分は言うほど嫌いではなかったのだと、三成は今思う。
 多くの者が己の下から去り、その代わり多くの知己を新たに得た。
 今の自分は豊臣だけに拘るのではない。友と共にこの戦場に立っている。
「ついに決戦の時、ですかね」
 いつもの軽い調子で、左近が後ろから声をかけた。
 ああ、と振り返らないまま返す。
 落ち着きすぎている主人の事を、左近は胸中で密かに案じていた。
 もちろん心中に激情が滾っている事は知っているが、こうも綺麗な澄ました顔をされると逆に怖くなる。
 ま、それこそ、うちの殿らしいですけどね――――
 左近の不安の一つは、三成がの死をあっさりと受け入れた事にある。
 あの日、戻った三成に左近が問いかけると、三成は不可解と不機嫌を足して二で割ったような顔をした。
 そして、
「何を馬鹿な事を言っている。は死んだ。お前も知っているだろう」
 と、咎めるような口調で言ったのだ。
 やはり亡くなっていたのか、先日見た娘は影武者かと問うと、更に三成は不機嫌な顔をした。
「馬鹿を言うな。もう二年も前の事だぞ。今更、何を言っている」
 その時の奇妙な感覚を、左近は今も忘れない。
 まるで自分独りを置いて、世界が別の何かにすり替わってしまったような奇妙な心地。
 三成は正気だ。他の何もおかしな所はない。
 だが、に関する記憶だけが、二年前に死んだという『事実』にすり替わっている。
 自分にはの訃報を聞いた記憶も、葬儀を挙げた記憶もないのだ。だが、三成は頑なに『死んだ』と言う。
 そして、三成以外の者達もの消息を知らぬ、中にはすでに亡くなっていると思い込む者まで現れたのだ。
 自分が間違っているのか、世界が間違っているのか、左近には分からない。
 だが――――三成の軍師たる彼に取って、優先すべきは主である。主が迷わず、それを真実と受け入れるならば……もはや何も言うまい。
 清正と三成の違いを明確にするならば、過去に囚われたかそうでないかだ。
 三成は前を見た。過去の家に囚われるのではなく、これからの豊臣を見据えようと。それは過去との決別でもあり、死者との別れである。
は……この戦を、どう思うだろうな」
 静けさに覆われた関が原を見つめながら、三成がふと呟いた。
 左近はおや、と片眉を上げた。三成の口からの名を聞くのは、実に数年ぶりの事である。
「どうでしょうねぇ。殿の姉上ですから喧嘩はやめなさいと間に入ったか、それとも両兵衛のように神算鬼謀を巡らしたか……」
「そうだな」
 ふっと三成の顔に笑みが浮かんだのを、左近は見逃さなかった。それは哀愁なのか、追慕なのかは分からない。
 だが――――
「いずれにしろ、死者の考えなど生者には分からぬ。生者に出来るのは、己が信じた道を突き進むのみだ」
 はい、と左近は満足げに頷いた。
 その時、一陣の風が吹き、空を覆っていた霧が晴れた。
 白んだ空に浮かぶ孤高の月――――
 あの日、秀吉達と共に見た残月が、今も変わらぬ姿でそこに在る。
「お前はまだ……囚われているのか」
 三成は目を細めると、空に囚われた月をじっと仰ぎ見た。
 空に浮かんだ月は、殺すことも、解き放ってやる事も出来ない。人間に出来るのは、遠く離れた地上よりただ見上げる事だけだ。
 だが、相手が人間ならば――――
 三成は霧の晴れた関が原を見据えると、おもむろに立ち上がった。
 ばっと手にした鉄扇を開き、
「下らん呪縛など俺が解き放ってやろう」
 広大な戦場の向こうに立つかつての友へ、そしてその更に向こうに在る地上の残月へと告げた。
 空にはただ静かに、残月が佇む――――




end



記憶を消された三成は、過去に囚われず未来を見た。
それは今までのシリーズの人々とは、明らかに違う点です。
きっと関が原で勝ってくれると信じつつ終劇です。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!