残月03
「なりませぬ! 三成様! どうかお止め下さい!」
ずかずかと大またで座敷を越えて、三成はすぱんと襖を開け放った。
豪奢な内掛けを纏った秀吉の側女が、きゃあと悲鳴を上げて突然のおとないに身を縮めた。だが、三成はそれを一瞥するだけで、すぐにずかずかと座敷を渡り、次の間を解き放つ。
「三成様! そのような振る舞いは太閤様のお怒りに触れますぞ!」
青々とした月代の少年の域を抜け切らない小姓が、困惑顔で後ろから付いてくる。
何がお怒りだ――――
三成はくるりときびすを返すと、小姓の眼前に詰め寄った。
「ならばの所在を吐け。三成が会いに来たと伝えろ」
「それは……お会いにはなれませぬ! 妖しの君は今はご病気にて」
「何が妖しの君だ。そのふざけた呼び名を止めろ」
いつの頃からかに詰まらぬ渾名が付いたとは聞いていたが、それがすでに定着してしまっている事に三成は辟易した。
その由来は身体の弱いが、日の光を嫌って夜な夜な幽鬼のように城を歩き回るかららしいが、下らぬ名だと思う。これではまるで遊女か寵姫の名ではないか。
確かには秀吉に可愛がられていた。実の娘のように愛情を受け、それこそ眼に入れても痛くないほどの可愛がりぶりだったと三成は記憶している。
だが、それでもは家臣である。軍師としての任を果たし、一家臣として秀吉に仕えたのだ。そのように呼ばれるのはとて本意ではないだろう。
「その……殿はどなたにもお会いになりませぬ。太閤様がお許しになりません」
また太閤か。
この城の人間は二言目には太閤、太閤と、まるでそれ以外の言葉を知らぬように繰り返す。秀吉が真に何を考えているかも考えず、ただ与えられた命を馬鹿のように遵守しているだけなのだ。
「はどこだ?」
三成は小姓の胸倉を乱暴に掴み上げると、険しい顔で凄んで見せた。襟元を絞められ少年が苦しげに呻く。
「知り……ませぬ。本当に、知らぬのです……」
偽りではないだろう。
三成は突き飛ばすように手を離すと、ごほごほと咳き込む姿を冷めた目で見つめた。
干渉せぬのが一番の美徳か。下らん――――
三成は関心がなくなったように背を向けると、再びでたらめに長い座敷の襖を片っ端から開いていった。小姓が再び、お止め下さい! と叫んで後ろから付いて来た。
それにしても奇妙だった。
いくら贅を尽くして建てられた城といえど、座敷の数は決まっているのだ。こうして一つ一つ虱潰しにしていけば、やがては目標の部屋にたどり着くはずなのである。
だと言うのに、まるで無限回廊を歩むように一向に先が見えず、に会えそうな予感すらしない。無い物をずっと探し続けているような、不安感が胸の中に広がる。
三成は不安をかき消すように乱暴に襖を開け放つと、どすどすと足を踏み鳴らして座敷を渡った。
金箔の上に松の大樹が描かれた豪奢な襖に手をかけると、小姓が一際甲高い声で諌めた。
「なりませぬ、なりませぬ、その先は……!」
小姓の制止の声も聞かず、三成は乱暴に襖を開け放つ。
と――――開いた瞬間、むせ返るような香の匂いが肺腑に満ちた。
顔をしかめつつ座敷の奥を見やると、錦糸の内掛けを纏った女と、その膝の上に頭を乗せて横たわる秀吉の姿があった。
背後に立っていた小姓が、まるで床に引き寄せられるように叩頭の姿勢を取った。
「なんじゃ、騒々しい」
女の膝に頭を預けたまま、秀吉が口を開いた。
三成は下座に腰を下ろし、寝転がったままの秀吉に向って手を付いた。
「今日は秀吉様に伺いたい事があり、馳せ参じました」
鬱陶しそうな顔で、なんだ、と秀吉が短く問うと、三成は膝を擦って一歩前へと詰めた。
そして、
「残月の在り処を」
秀吉の目がすっと細められた。
「はこの城の中で養生しとる。なんも案ずる事なぞないんさ」
いつもの答えだ。幾度尋ねようと、秀吉はの所在を明らかにしようとしない。
「それは誠にございますか」
ほう、と秀吉が声を漏らし、更に眼を細めた。
秀吉は緩慢な動きで身体を起こすと、女に向って下がれ、という風に顎をしゃくって見せた。女は心得たもので、するすると内掛けの裾を引きずって隣室へと消える。いつの間にか背後の小姓も消えていた。
「わしが三成を謀ってどうするんさ」
秀吉の細められた双眸が、三成をじっと見据えている。
わからない。秀吉が三成を謀り、遠ざける理由など到底思い浮かばなかった。
だが、この城は異常だ。
人一人が消えたというのに、誰もその消息を知らず、疑問を持つことさえ禁忌とされている。ただの侍女ならいざ知らず、は天下泰平の立役者ではないか。それほどの人間が消えたというのに、なぜ誰もその在所を知らぬのだ。
「もしや、は……もう――――」
三成の呟きに、秀吉の双眸がカッと見開かれた。
「くどい!」
怒号と共に、秀吉は手にした扇を三成の顔面めがけて投げつけた。三成は咄嗟に片膝立ちになると、回転しながら飛来するそれを鉄扇で凪ぐようにして弾く。軌道が逸れたそれは、勢いをつけて襖にのめり込み、穴を穿った。
「三成……」
自慢の金の襖に穴が穿たれ、秀吉の表情が見る見るうちに険しくなる。
何より、三成が刃向かった、その事実が許せなかった。
「はどこです」
「お前が知る必要はない」
「何故、隠されるのだ。俺には秀吉様が何を考えておられるのか、さっぱり分かりません」
「知る必要がないと……言うたのが、聞こえなかったんか?」
「秀吉様!」
秀吉はもはや堪忍ならんとばかりに立ち上がると、床の間に置かれた太刀を掴み取り、すらりと刃を抜いた。
だが、白銀の刃を突きつけられても、三成の視線は揺らぐ事はない。
ここまで秀吉を激昂させる理由が、あると言う事はやはり――――
「最後に問う。お前はわしの味方か? 敵か?」
「秀吉様」
「お前もわしを……裏切るんか」
何を言っているのか分からなかった。ただ秀吉の携えた刃が、ぎらぎらと鋭利で凄惨な光を放っている。
もはやこれまでなのか。三成は手にした鉄扇を強く握り締めた。
その瞬間――――
「武器を収めなさい、三成」
殺伐とした空間に響いた凛とした声。
紅い内掛けを羽織った線の細い娘が、音もなくそこに佇んでいたのだった。
三成は驚愕の形相で、娘を見やる。
「……」
生きて――――いたのか。
は三成の側に膝を落とすと、鉄扇を握り締めたその手をやんわりと包み込んだ。
「秀吉様の御前です。武器を下ろしなさい」
常人よりも冷たいが、やわらかく温もりのある手の平は、まさしく生きた人間のそれで――――三成は己が想像していた愚かな考えの数々を、すぐさま脳裏の向こうに追いやった。
そうだ。ありえるはずがない。秀吉様がを亡き者にしたり、幽閉する意味など、はなからあるはずがない。
「、起きてもええんか。辛いなら横になれ」
秀吉の打って変わった優しげな言動に、三成は安堵する。
変わらない。どんなに厳しい人に変わってしまっていても、に対する愛情は今も損なわれていない。秀吉様は昔からには甘かった。時に行き過ぎにも思えていたが、三成は秀吉がそうしている様が嫌いではなかった。
「心配いりません。今日は気分がいいのです」
はにこりと微笑むと、秀吉の方へと居直った。
それに、と続け……、
「私が怠けていては、官兵衛様や半兵衛様に申し訳ありませんから」
カチリ、と音を立てるようにして。
歯車がわずかに食い違った。
「官兵衛様にはもう少しお休みいただかなければ、いずれお身体を壊されてしまいます。その分、半兵衛様には昼寝をお控えいただいて、真面目に取り掛かっていただきたいのですけれど」
何を言っている。
「昨日もまた軍議をサボって、裏庭で昼寝をされていたのでしょう? 本当に、困ったお人です」
何を言っているのだ。
「いずれ浅井との戦で出陣しなければならないのですから、今のうちに今期の政は終わらせておかねばならないのに」
馬鹿な――――浅井など、とうに滅びたではないか。
三成は具現化した絶望を見やるように、の病的で透けるような白い顔を凝視した。
何も変わらない。秀吉の優しさも、の真面目ぶった振る舞いも、在りし日のままで――――
変わらない。変わらない。変わらない。
まるであの日の情景を再現するように。
嗚呼、これは、残月なのだ――――
end
「残響」をお読みになった方なら、
ヒロインがどうなりかけているのかお分かりのはず。