舌切り雀03
「そうかい。あれから一年も経つのだね……」
元就は感慨深げに呟くと、目の前に鎮座した黒衣の使者の憔悴し切った顔を見やった。
もともと不健康そうな顔をしていたが、この一年で病人のようにやつれてしまった。
が姿を消したあの日から、足しげなく毛利に通い、使者を四方に放ち、懸命にの行方を探して来た事を元就は知っている。その度に無駄な事をと思いながら、密かに嫉妬の炎を燃やして来たものだが、それも今日で終いだ。
この日、官兵衛が元就の元を訪れたのは、の捜索をついに打ち切る決意を告げるためだった。
一年も探して見つからぬのだから、もはや生きてはいないだろう。山道で賊に襲われたか、獣にでも喰われたか――――どの道、生きた姿で会う事は叶わぬと、断腸の思いで望みを断ち切るためだった。
「卿の協力には感謝する」
律儀なこの男はそれを告げるためだけに、馬を走らせ毛利へとやって来たのだった。
「力になれなくて済まないね」
元就は済まなそうな顔を作ると、憔悴し切った官兵衛を励ますようにその骨ばった肩を叩いた。
憔悴の官兵衛を案じて一晩泊まっていくかい、と尋ねたが、官兵衛は急ぎ帰らねばならないとそれを辞去した。
次の戦が近いのだ。軍師である官兵衛が、たとえ愛弟子とはいえたった一人の娘の捜索に付きっ切りになっていていいはずはない。官兵衛にとっては不本意だろうが、過去に消えて行った者にいつまでも心を割いている余裕はない。
無理やりにでも過去にしてしまわねば、この乱世は生き抜けぬのだ。
門まで送ろうと元就が先導して官兵衛の前を歩いていると、ふと庭に面した廊下で官兵衛が足を止めた。
石の海のように敷かれた玉砂利の向こうに、こじんまりとした離れが見える。
そこから唄が――――微かに漏れ聞こえて来た。
詩はなく音階だけで紡がれたその唄を、官兵衛は某然と聞き入り、まるで誘われるよにふらふらと庭先に降り立った。
どこか懐かしい響きを持つその唄に魅入られ、遠い海を渡るように玉砂利を掻き分け――――
ふいに力強く腕を引かれて、官兵衛は弾かれるように我に返った。
振り返ると元就が同じように裸足で庭先に降り立ち、官兵衛の腕を掴んでいる。
「いけないよ、官兵衛」
柔らかだが有無を言わさぬその声に、官兵衛は素直に非礼を詫びた。
「あ、ああ……済まぬ」
大人しく廊下に戻ったが、それでも官兵衛の視線は唄の聞こえる離れへと注がれていた。
よっぽど気になるのだろう。
「あれはね、末の孫娘なんだよ」
「輝元殿の妹御か?」
「うん、あの子とは別の母親だけどね」
「なぜ、あのよな場所に?」
閉じ込めているのだ、と聞きたいのだろう。
心ここにあらずと言う風なのに、しっかり窓にはまった格子と扉の錠に気づいていたのだ。
あの子はね、と元就は言いにくそうに口ごもった。
「心を病んでしまってね、人の区別が付かなくなってしまったんだ」
いいや、人だけじゃない。時間も、言葉も、何もかも認識出来なくなってしまったのだ。
まるで動物にように今があるだけなんだ、と元就は悲しげに告げる。
「……済まない事を聞いた」
官兵衛に謝られ、元就は慌てて首を横に振った。
「ああ、いいんだよ。ただこの事は黙っておいてももらえるかな? 心を病んでしまっても、私の大切な孫娘だからね。白い目で見られるのは可哀想だ」
「了解した」
「……それにどうかあの子を哀れまないでやって欲しい。時間も言葉も記憶も失ってしまったけれど、あの子はきっと――――幸せなんだよ」
だから唄を、あんなに美しい唄を歌えるんだよ。
「舌切り雀になってもね」
一瞬、元就が何と言ったのか分からず、官兵衛は驚愕の表情を作った。だが、元就は何事もなかったような顔で行こうと促すと、もはや振り返る事はなかった。
官兵衛は歌声を気にしながらも、元就の後を追い、そして去って行った。
まるで壊れた人形のように、繰り返される唄には詩などなく、ただ流れるよな音が延々と続いているだけだった。
「今日、官兵衛が来たよ」
耳元で官兵衛の名を囁いても、反応はない。
「君の捜索を打ち切ったようだ。まだ、未練が残っているようだったけれどね」
後ろから抱きすくめるようにして、その白い首元に顔を埋める。
首筋に歯をあてて、軽く噛み付いても、は痛覚さえ失くしてしまったように、何の反応も返さない。
ただ、延々と音を紡ぎ、終わりのない唄を歌う。
「ああ、これでやっと君は私だけのものだ」
元就は満足そうに微笑むと、の身体を強く抱きしめた。
言葉もなく、過去もなく、時間もなく、その瞳が二度と元就を見る事がなくても――――きっと幸せなのだろう。
唄を、こんなに美しい唄を、ずっと聞いていられるのだから。
「これからはずっと私のためだけに唄っておくれ」
私の愛しい舌切り雀――――
end
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
初のヤンデレ大殿でしたが、いかがでしたでしょーか?
少しでもお楽しみいただけたなら、幸いです。