舌切り雀02
「今日も織田から遣いが来ていたよ」
まるで定期報告をするように、元就はそれを告げる。
が帰らぬ日から、捜索隊が出されたと聞く。もちろん、元就の元へもの行方を尋ねに来たが、彼は知らぬ存ぜぬで通したらしい。
当然だろう。舌を切って屋敷に閉じ込めているなどと知れたら、せっかく結んだ和議がご破算になってしまう。
「丁寧にお持て成しして、お帰りいただいたよ。今頃は山道でも探しているのではないかな。君の行方など知れないはずなのにね」
残酷な事をいっているのに、元就の柔らかな笑みは変わらない。
は睨みつけるように元就を見やると、手元の和紙に筆を走らせた。
『こんなこと赦されません』
「だろうね」
『いずれ、官兵衛様がお気づきになります』
「そうかもしれない」
だが、元就の顔には動じた様子はない。官兵衛が動けば、織田との同盟が危うくなり、毛利の存在を脅かすというのに――――なぜ、こうも平然としていられるのか。
「不思議かい?」
の胸中を読んだかのように、元就が問う。
元就はにこにこと、好々爺然とした柔らかな笑みを浮かべながら、
「もしかしたら、官兵衛はとっくに気付いているかもしれないよ?」
は目を見開いて、元就の微笑を浮かべた顔を見返した。
まさか、との音を発さない唇が微かに動いた。
気付いているならば、官兵衛が動かぬはずがない。これは毛利の裏切りだ。使者を監禁し、両家の和議を脅かす――――赦されない行為。
だが、
「官兵衛は君より毛利との和議を取ったのかもしれない」
嘘だ――――
の音のない唇が、言葉を紡ぐ。
「考えてごらん。織田にとっても毛利と交戦を続けるのは得策じゃない。せっかく成った和議を、わざわざ壊すような真似をするかな?」
嘘、嘘、嘘、嘘――――
はそれを否定するように、ぶんぶんと首を横に振る。
だが、元就の声は――――毒のように染み入る言葉が、の脳裏を絶望で埋め尽くして行く。
「知っていて君を見捨てたんじゃないのかい? そもそも――――君を遣いにやったのは、すべて承知の事ではないのかな」
では、何もかも仕組まれていたと言いたいのか。
元就が狂うのも、が捕らえられるのも、すべて予定調和の中での事だと言うのか。
有り得ない。そんなはずない。官兵衛様はそんな事をしない。私は見捨てられたりなんかしていない。
そう思うのに、心のどこかで疑っている自分がいる。
なぜ三月も経つのに、官兵衛様は私を見つけられないのだろう。なぜ、毛利の屋敷に踏み入らないのだろう――――と。
初めから人身御供に差し出されていたのだとしたら、これは全て茶番なのだ。
周りの人間に疑いを持たせないために、見つからぬと知りながら捜索隊を派遣し――――
嘘……うそ、違う――――
ひどく傷ついたを慰めるように、その身体を元就は抱き寄せた。
「官兵衛の事なんて忘れてしまいなさい」
甘く、毒を誘うような、柔らかな声。
もしその毒を煽ったら、舌だけでなく、喉まで焼けて永遠に言葉を失ってしまいそうな――――そんな錯覚に陥らせる。
「官兵衛は君を見つけられない。救わない。君を愛さない」
憧憬は憧憬に過ぎず、幻想は幻想の枠からはみ出る事は無い。
「もし、ここで官兵衛の元へ帰ったとして、君に何が残るんだい? 官兵衛が君に抱く気持ちに変わりがあるだろうか」
忘れてしまいなさい――――
子供を諭すような声音で、元就は告げる。
美しい打掛も、綺麗なかんざしも、白粉も舶来の菓子も、兵書も絵巻物も――――欲しいものは何でも揃う。戦に怯える心配も、戦場で戦う不安もない。安穏で平和な籠の中。
ここに居なさい――――
元就は再び説き聞かせる。
涙で濡れたの睫毛が、ぱしぱしと瞬きを打った。
何もかも忘れてしまえば楽になれる。それは魅惑的な毒の言葉。
だが、受け入れられるはずがない。どんなに届かなくても、憧憬に違いなくとも、想いを――――失くしてしまう事など出来ないのだから。
元就は冷めた瞳で、の拒絶を見ていた。
ひとつ、深々と嘆息を漏らして呟く。
「本当はこんな事はしたく無かったんだけれど……仕方がないか」
柔らかだが、鋭さを残したその瞳が、獲物を捉えたように細められ、元就の大きく骨ばった指先が、ゆっくりとの細首に絡みついたのだった。
end
怒らせたらけっこう怖いと思う。