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 元より、戦力として大して期待しているわけではなかった。武芸の心得があると言っても名のある武将と拮抗させるには危うく、持久力も心もとない。かろうじてあの千里の先を見渡す千里眼が役に立つと判断したからこそ、従えていたまでだ。
 だからこそ、この敗走は予想範囲内のもの。
 では、あるのだが――――
「わあああああああ、官兵衛様! 負けました〜〜〜」
 散々に部隊を蹴散らされ、泣きながら敗走してきたこの馬鹿弟子を如何にすべきか。
 官兵衛は無表情のまま、深い深いため息を漏らした。




君が夢中なあいつに嫉妬
ver.官兵衛





「よもやあの程度の愚策にはまる愚か者がいようとはな。お前の眉の下に光っているのは硝子玉か?」
「……面目ありません」
「当たり前だ。罠にはまった挙句、味方を巻き込みそろって敗走。それで面目が立つとでも思っているならば、神経を疑う」
 ぐっとは口を噤んだ。
 官兵衛の口調はいつもどおりだが、その背後にはおどろおどろしい空気が立ち込めている。
 表情もいつもどおりだが、これは怒っている。間違いなく怒っている。
 原因は先の戦でのことだった。
 いつものように後方で戦の行方を見守っていただったが、官兵衛が本陣から離れた隙に、まんまと敵の挑発に乗って突進。敵に囲まれたて混乱したところで救援を発した挙句、駆けつけた清正、三成、正則と三人の部隊をも道ずれに敗走させた。官兵衛と半兵衛の策あって戦の勝敗には影響しなかったが、ここまでの失態に官兵衛は怒りが収まらないのだ。
 かれこれ二時間、ああして座敷に対峙しお小言が続いている。
 さすがに長いのでは……、と心配そうに遠目から見守る清正。
 その背後から、
「あーあ、官兵衛殿。まだやっているよ」
 と、声が響いた。
「半兵衛」
「もうだって反省してるんだから、許してあげればいいのに。ま、それだけ官兵衛殿も心配したってことだね」
「心配?」
 あの無表情で何事にも動じない軍師が、人並みに心配などするのか、と清正は驚いた。
「そうだよ。じゃなきゃ、あんなに怒ったりしないでしょ。官兵衛殿の柄でもないし」
 確かに……、言われてみればそうかもしれない。
 まったくの他人なら策も解さぬ愚物と切り捨てて終わりだろう。が、ことに関しては、さすがに官兵衛に責任がないとも言い切れない。
 秀吉の下につれて来たのは官兵衛であるし、不本意ながらも軍略の師と思われている。
 この失態の幾分かは官兵衛の育て方が悪い、とも言い切れない。
 それにもし運が悪ければ――――敗走だけではすまなかったはずだ。悪くすれば捕縛、最悪なら死んでいた。
 自分が目を離した隙にが討ち死にしていたら――――
 それを思うからこそ、怒りも収まらないのだろう。
「負けた上におめおめ泣かされて帰って来るとは、お前には軍師としての矜持はないのか。これで我が軍が万一負ける事でもあれば、腹を切るくらいの覚悟はあるのだろうな」
 つらつらと続く官兵衛の説教に、は涙目になりながらごめんなさい、申し訳ありません、と頭を下げる。
 官兵衛の気持ちも分からなくもないのだが、いい加減これ以上の叱咤は意味がない。
 半兵衛は仕方ないなぁ、と誰にともなく呟くと、ずかずかと座敷の中へと乗り込んだ。
「かんべー殿〜、そのくらいにしてあげたら? だって反省してるんだし」
 突如現れた半兵衛に、官兵衛は無表情ながらも迷惑そうな顔を、は助けを請うような顔を向ける。
「あんだけ怒られたら、もう無茶しないよね?」
 と、の頭をまるで猫にでもするように、ぽんぽんと撫でる。
「は、はいっ。この度は半兵衛様にも、とんだご迷惑を……」
「あー、いいって、いいって。どうせ俺と官兵衛殿がいれば負けなんてないんだから。でも――――
 ふと、半兵衛の目が細められた。
「今度、無茶なことしたら、俺も怒るからね? 官兵衛殿よりも、こっぴどく。説教とかじゃなくて、もっと直接的なお仕置きで」
 ぞくり、とは背筋を震わせた。
 すぐにそれはいつものあどけない少年のような顔に戻ったが、には十分な効果を示した。普段、温厚な顔をしている人間ほど、怒らせるとどれほど怖いかと、暗に思い知らされた気分だ。
「ま、俺も官兵衛殿もが大事ってことだから。だから、も自分を大事にしてね」
 と、半兵衛はの手を握り、にこりと微笑んだ。もっとも――――先ほど半兵衛が一瞬見せた鋭い眼光が恐ろしくて、とてもは微笑を返すような気になれなかったのだが。
「じゃ、もういいよね?」
 話をまとめ官兵衛に問いかけると、もはや話題を蒸し返すこともできず、官兵衛はただ、行け、と短く命じた。
 は官兵衛の無表情を気にしながら、二人にぺこりと頭を下げて、座敷を辞した。座敷を出た所で、清正がを迎え、二人はこそこそと何かを話しながら去っていった。






 と清正が去ったのを確認してから、半兵衛はふうっとため息をつくと、あぐらを組んでいた足を投げ出した。官兵衛が行儀が悪いと咎める様に、片眉を上げる。
「官兵衛殿もさ〜、もっと上手くやんなきゃ。叱るばっかりじゃ、が萎縮しちゃって育たないよ。元就公だって可能性の芽は摘むものじゃなくて、伸ばすものだって言ってんじゃん」
「卿はあれに甘すぎる。我等が咎を責めなくてどうするのだ」
「だ〜か〜ら〜。だって馬鹿じゃないんだから、どうして怒られるのかくらい分かってるよ。飴と鞭は上手に使い分けなきゃ」
 びしりと指先を眉間の間に向けられて、官兵衛は眉根をひそめた。
 鞭ならば容易いが、飴も官兵衛が与えろと言っているのか。
 性に合わぬ――――と言い捨てて、官兵衛はそれを一蹴した。
「そんな難しい事言ってるわけじゃないじゃん。ちょっと上手くできた時に、褒めてあげるとかさ」
「あれに褒める要素が欠片ほどにでもあるか?」
「だから〜、千里眼使って辛そうにしてる時に労ってあげるとか、策が上手くいった時に褒めてあげるとか。よく見てれば色々あるでしょ?」
 ふと戦場の様子を思い浮かべ、第一に半兵衛がを構っている姿が思い浮かんだ。
、辛いのに無理させてごめんね。でも、のおかげで俺たち絶対に負けないから!』
『やるじゃん、。俺も先輩軍師として鼻が高いよ』
 子供のように頭を撫でられて、緩みきった顔で笑う。
 そんな顔を、戦場で自分に向けた事があっただろうか――――
 自分に向けるのは、いつもどこか緊張したような張り詰めた顔か、びくびくと怯える小動物のような顔ばかりだ。
 官兵衛はすくっと立ち上がると、襖を開いた。
「ちょ、官兵衛殿――――?」
 話途中で慌てる半兵衛を尻目に、官兵衛は出てくる、と短く答え。
 そして――――
「飴は卿が与えればよかろう。私とあれの間には……そのような物は不要だ」
 ぱたんと閉められた襖に手を伸ばしかけ、半兵衛はその手で頭をがりがり掻き毟った。襖の向こうに消えた相棒に向って、独り言のように呟く。
「ったく。美味しい所持ってかれたって思ってんなら、普段からもっと優しくすればいいのに」
 が一番褒めてもらいたいのは、いつだって官兵衛殿なんだから――――



end



あれ? 官兵衛→半兵衛のはずが、最後に半兵衛→官兵衛が混ざったよ。
しかもだいぶ乙女チックなのが。
まあいいや。両兵衛はお互い知らない所では、自分に無い物を求めるといいさ(アバウト
さて、これにて嫉妬シリーズ完結でございます。
ようやく五角形が描けました!
今までお付き合いいただき、ありがとうございました!