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君が夢中なあいつに嫉妬
ver.正則





「はっ……、はっ……、はっ……」
 息切れと共に生の気がゆるゆると、空気に流れ出てしまうような気がした。
 左腕が上がらない。肩のあたりに受けた矢傷から、鮮血がぽたりぽたりと滴り落ちる。
「どこだ! 探せーっ!」
 敵兵の声が四方から聞こえる。ここに留まっても、見つかるのはやがて時間の問題だろう。
 は両眼に力を込めた。翡翠色の光が双眸に集結し、あらゆる物体を透明に変えていく。この目があれば何者にも負けないと、どこかで驕っていたのだろうか――――
 の最大の武器である千里眼でもこの状況は覆せなかった。四方八方に広げられた敵の布陣は、まるで蜘蛛の巣のようだ。いくら退路を導きだそうとしても、どの道筋でも蜘蛛の子に見つかってしまう。必然の未来は、この目では覆せない。
 は木の幹に頭をもたれると、深く息を吐き出した。
 目が霞む。目の力を使ったせいもあって、体力はもうぎりぎりだ。
 が意識を手放すのが早いか、敵がを見つけるのかが早いか――――未来はいずれ、この二つのどちらかだろう。
「ここまで……か」
 戦場に出た以上、いつかは散る命だと覚悟は決めている。
 だが、実際にそれに直面すると、心は臆病だ。無くしたくないもの、失いたくないものが、脳裏に浮かんでは消えた。
 実の子のように愛してくれた秀吉とねね、兵法を授け戦う術を教えてくれた官兵衛と半兵衛、そして弟のように共に過ごしてきた、清正、三成、正則――――
 最後に一目、会いたかったなぁ……
 そんな事を、ぽつりと思う。
 叶わない願いにはふっと、苦笑を浮かべた。
 が、
! おい、!」
 名を呼ぶ声に驚いて、ははっと顔を上げた。背後の茂みから、盛り上がった頭部が覗いている。この奇妙な髪型は――――正則?
「正則っ、どうしてこんな所に!?」
 が驚いて声をあげると、正則が口に指を当てしーっと音を立てた。
「でかい声だすな。見つかっちまうだろ」
「ごっ、ごめん……」
 あわてて口を両手で塞いだが、敵が近づく気配はなかった。
 それに安堵しつつ、なぜ正則がこんな所にいるのだろうと疑問符を浮かべる。ここは危険だ。見つかれば袋の鼠同然。
「ねえ、正則。一刻も早くここを離れて。敵がすぐ側まで近づいてる」
は?」
「私は……ここを動けないから」
 言うと、正則の視線がつとの足に注がれた。血まみれの足にあっと声を上げかけて、声を押し殺す。
「走れないけど、囮ぐらいにはなれるよ。だから正則はその隙に」
 ふらりと立ち上がると、体中の血が一緒に抜け落ちてしまいそうな眩暈を感じた。だが、何があっても正則だけでも逃がさなければいけない。負傷した自分なんかより、正則の力は泰平の世に役立つ。ここで失っていい命ではない。
 だが、正則はもどかしげに頭を掻き毟ると、
「かーっ、囮になるとか馬鹿だろっ!」
 と、の身体を抱きとめた。
「まさ、のり……?」
 驚きの表情を浮かべるを背負うと、森の中へと飛び込んだ。
 木々の合間をすり抜けて、疾走する。
「ちょっ! 正則!? 離しなさい!」
 背の上でが暴れたが、正則は聞かなかった。うるせえよ! と騒ぐを一喝する。
「助けに来たのに置いて帰るとか馬鹿だろっ!」
「でも、このまんまじゃ見つかっちゃう! 私のいう事がきけないの!?」
「あー、聞こえねーな! 俺はを守る! 清正にも三成にも約束したんだ!」
「でもっ……!」
 は焦った。このまま走り続ければ、いずれ敵兵とぶつかってしまう。自分を背負った状態で、まともに戦えるはずがない。
「降ろして! 降ろしなさいっ!」
 必死になって正則の髪をぐいぐい引っ張ったが、正則は足を止めなかった。
 なんで……、とは力なく呟く。
「あったりまえだろ。は俺たちの大切なねーちゃんなんだからよっ!」
「そんな……」
 そんなつもりで姉と名乗ったつもりではなかった。三人が好きだったから、弟のように可愛かったから、守りたいと思ったから、ずっとそういう顔をし続けていたのに。
 いつの間にこの背中はこんなに大きくなったのだろう――――
 は正則の背中を抱きしめて、一筋の涙を零した。
「泣くなよ。泣くのは助かってからだぜ!」
「うん……ごめん」
 は手の甲で頬をぬぐうと、前を見据えた。
 生きよう。
 この心優しき弟のためにも、生きるのを諦めてはいけない。
 は再び瞳に力を込めると、敵兵の位置を脳内の地図に記した。
 絶対に活路を見出してみせる、と心に誓って。






 本陣に戻ったと正則を出迎えたのは、顔を涙でぐしゃぐしゃにしたねねだった。
「もうっ、心配したんだからね!」
 と泣きながらねねは二人を抱きしめてくれた。
 この人の前では、自分たちは何時まで経っても小さな子供なのだと思い知らされる。
 もう少しで、この人をもっと泣かせてしまう所だった。勝手に潔く諦めて、死のうだなんて――――
「ありがとうね、正則……」
 小さく呟いたかと思うと、はそのまま意識を手放した。
 正則を導くために千里眼を使いすぎたためだった。すぐさま軍医が呼ばれ、は天幕の向こうへと運び込まれた。
 その後姿を正則は呆然と見つめ、それから脱力するようにその場にどかっと腰を降ろした。
 もう一歩たりとも動けなかった。
 を抱えての逃走劇は、まるで丸腰で敵陣に突っ込むようなもので、とても生きた心地がしなかった。たった一本の弓矢でも受ければ、背に負った少女は絶命してしまうのではないかと思われた。一筋も傷つけるわけにはいかない――――そう思って、がむしゃらに走った。
「馬鹿にしてはやるではないか」
 顔を上げると、三成が手にした鉄扇で手の平を叩きながら此方を見下ろしていた。
「なんだよ、頭デッカチ」
「ふん。たまには褒めてやろうと思ったまでのこと。素直に聞け」
 三成が褒める?
 正則はうえっと顔をしかめ、鬼の笑い顔でも見るように三成の顔を見上げた。
は秀吉様の天下に欠かせない人材だ。馬鹿にしてはよくやった、とだけ言っておこう」
「なんだそれ」
 褒められているのか、けなされているのかよく分からない。
 だが、少なくとも自分は天下や泰平のためにを救ったのではなかった。
「そんなんじゃねー。惚れた女くらい守れなきゃ、男じゃねーだろ」
 三成は一瞬目を細め、それからふん、と鼻を鳴らす。
「やめておけ。貴様では釣り合わん。猫に小判だ」
 ついでに豚に真珠とでも続けるつもりだったのか、三成は呆れと揶揄を混ぜ合わせたような口調で言う。
 そんな事は言われずとも分かっている。は賢く、美しい。小さい頃から正則にはまるで天女のように映っていた。華奢な身体も、儚げな風情も、時折見せる寂しげな表情も、正則とは別の世界に住む生き物に見えた。
 そんなのにはきっと、三成のように小賢しくとも頭がきれ、顔の整った男の方が似合うのだろう。
 自分は相応しくない。そんな事はいくら馬鹿でも知っている。
 だが――――
 正則は立ち上がると、びしりと人差し指を三成に突きつけた。
「俺はまだ負けてねえからな! な!」



end



おおっ、奇跡だ。三話が書けた
『君が夢中なあいつに嫉妬』正則バージョンでした。
正則の口調、いまいちわからん……