世界が終わる02
策は概ね成ったと言っていい。
は官兵衛の予想以上に役立った。
秀吉幕下の情報収集に、子飼いたちの懐柔、そしてあの千里眼による諜報能力。あの日、を降した日に考えた以上に、はよく働いたと言える。
それはひとえに泰平の世のためと言えるだろう。
常世姫としてしか生きられなかったに、泰平という大義名分を与え、半ば盲目的にそれを信じさせた。よりどころのないはすぐさまそれに傾倒し、官兵衛に尊敬と敬愛の念で接するようになった。
元々、何かの支えなしには生きられない、不幸な娘だ。今まで家のために死ねと言われていたのを、泰平のために生きよと言い換えるだけでいい。の中でその二つは入れ替わり、それこそが自分の使命と信じるようになった。
時折、があまりに子飼い達に心を許しているので、いざという時に役に立たぬのではと案じたが、それも杞憂に終わった。
は命じられた通りに正則を討ち、今また新たな敵に向けて刃を向けていた。
「どうして、あんたが殿を裏切るんです?」
苛立ちと共に吐き出された言葉も、の心には届かなかった。
裏切る? と首を傾げて、左近の前に対峙する。
「私は最初から裏切ってなんかない。私はずっと官兵衛様の命に従って来ただけよ」
「じゃあ、あんた達の仲睦まじいあれは、ただのごっこ遊びだって言うんですかい。こいつぁ亡くなった殿が浮かばれませんねえ」
殿はあんたの事を本当に想っていたのに――――
左近の双眸に怒りと憎しみの色がありありと表れた。だが、それに対しての目元は涼しい。
「私も三成の事は大切な弟だと思っていたよ。でも、あんな戦を起こして――――馬鹿な子」
刹那、左近の斬馬刀がに向かって斬り付けられた。それをかわし、袖下の飛刀を投げつけるが、その全てを打ち落とされる。
内心焦りつつも、それを表情に出す事はない。剣戟の中で左近の神経を逆なでするように、言葉を選び突きつける。
「三成が清正と袂を分かたなければ、今こんな戦は起こってない。それを止められなかったのは何故、左近?」
「互いに信じるものと譲れないものがあった! あんたもその中の一つだったからだ!」
「そんな事、知らない。私は私の意志でここにいる。想っていたとか守りたいとか、そんなものは相手に伝わらなければ意味がないのよ」
一振り、二振りと、刀を振るたびに左近の動きは鈍くなった。今になっても、まだこの男は迷っているのだ。主人が守ろうとした者を、己に殺せるのかと心算を続けている。
甘い。軍師ともあろう者が、心の隙を敵に見せるなんて。
「三成は刑場で散った。あなたの主人はもういない。なのに、なぜあなたは生きているの、左近?」
「殿の悲願を果たすためですよ!」
「悲願とは何? 三成が守ろうとした私を殺すこと?」
「それは……」
その一瞬の隙をは見過ごさなかった。
煌々と輝く碧の瞳が、左近の心臓の位置を捉えた。袖を振るような仕草でが右手を薙ぐと、何十という刃がその袖口から飛び出した。
まるで同じ傷口を何度も刺す様に、無数の刃が左近の胸を穿った。
斬馬刃を地面に突き立てて、左近の身体が崩れる。
こつこつとかかとを鳴らして、はゆっくりと左近に近づいた。手にした短刀には正則の血がべっとりと付着している。
「あの世で三成に伝えて。馬鹿なことしたね、って」
「はは……さすが姉君は手厳しいですな。それにその顔……まるで鬼みたいだ」
爛々と光を放つ瞳に、左近はただ目を奪われた。今際の時でさえ、鬼のような――――ぞっとするような美しさに見蕩れてしまう。
主人もきっと、この娘の鬼の顔に取り憑かれていたのだ。
「でもね……このまま殿のところへ行ったら、怒られちまうんで……」
せめて一太刀受けてくださいよ?
がはっと息を呑むのと同時に、左近の渾身の一撃が放たれていた。
常世の瞳のおかげで致命傷は免れたが、左肩を袈裟切りにされ、はその場に膝を付いた。
「へへ……さすがに……顔は切れないか……」
そして、どうと倒れこみ、左近は静かに息を引き取った。
はしばらく左近の屍を見つめてから、余計な感情を打ち消すようにかぶりを振った。
ここは戦場だ。心の隙など見せれば、たちまち敵に付け入られる。左近が隙を見せたのは甘かったからだ。たとえ主君の家人であったとしても、その手を緩めることなどしてはならない。
は左手の袖を破ると、無造作に肩口に巻いた。赤い衣をますます紅く染めるそれは、包帯としての役割すら果たして居ない。
左手はもう使い物にならない――――
いっそ腕ごともぎ取ってしまいたかったが、片手ではそれすらも叶わなかった。
戦はもう終盤を迎えている。
それまでもってくれれば……
は立ち上がると、眩暈を痛みで打ち消して、足を引きずるように次の戦場へと向かった。
end
VS左近編。