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駄目な大人





 きっとこういうの駄目な大人って言うんだろうなぁ……
 そんな事をぼんやりと考えた。
 その人はきっと駄目な大人の典型なのだ。
 悪いところを上げればキリがない。
 仕事はサボるし、軍議はふける。人の話は半分以上聞いていないし、同じ所に半刻たりともじっとしていられない。部屋は片付けられない。すぐ物はなくす。
 平気で同じ服を何日も着続けるようなずぼらな性格で、身だしなみという物に一切気にしない。金勘定に疎くて、適当。そのくせ賭博はするし、廓遊びはするし、そういう己の嗜好を隠すという事すらしない。
 適当で大雑把な性格なくせに、小ずるい所ばかりはしっかりしていて、嘘はつくし、嘘泣きはするし、目下の者をからかっては退屈しのぎにするような――――つまり、けっこう最低な大人だ。
 育ての親である官兵衛も、くれぐれもあんな大人の真似をするなと再三言っていた。
 だから、の半兵衛に対する判定は、常にいささか厳しいものなのである。
 どうして片付けられないんですか、なんで昼間っから遊び呆けてるんですか、仕事はどうしたんですか、少しは私の身にもなってください――――と。
 口うるさい小姑みたいになって毎日小言を連ねるものの、半兵衛の生活に改善は見られない。
 というより、この男は自ら変わろうなどという意思はないのだ。いつもぼりぼりと頭をかきながら、ごめんごめん、と軽い口調で謝るばかりで、体よくをあしらっているのである。
 人のこと、年下だと思って馬鹿にして――――
 幼い外見に似合わず、半兵衛はれっきとした大人である。妻子がいてもおかしくない歳で――――つまり、居ないと言う事は嫁に来てくれる殊勝な女性が見つからなかったのかもしれないが――――それなりに、地位もあるのだ。
 そんな半兵衛からして見れば、など官兵衛の庇護を抜け切らない小娘でしかない。
 わずかだが、半兵衛の方が背が高いのを誇ってか、ごめんごめんと謝る時まるで子供にそうするように頭をぽんぽんとするのである。
 はそれが不満だった。
 確かに自分は未熟だ。軍師としても、人間としても、まだまだ半兵衛の域には至らない。
 それでも日々努力しているし、成長している。軍師としても、人としても、女としても――――半兵衛に釣り合う様にと、いつも半兵衛の飄々とした背を、見ていたのだ。



「半兵衛様?」
 縁側に横になった背に声をかけたがいらえはなく、側によって聞き耳を立てると軽やかな寝息が聞こえて来た。
 まだ日が昇っているというのに、執務もせず高いびきとはいい身分である。半兵衛が働かない分、軍師見習いである自分にどれだけのしわ寄せが来ているのか、一度せつせつと説明してやろうかとは拳を震わせた。
 まったくもって、駄目な大人――――
 は半兵衛の寝顔を眺めながら、ため息を付いた。
 こうして眠っていれば、可愛い顔をしているのに。なぜ、口を開いたり動いたりすると、残念な結果になってしまうのだろう。
 けっこうモテるのになぁ――――
 は長い半兵衛の睫毛を見つめながら、屋敷の女たちが皆、半兵衛を陰から眺めてきゃあきゃあと黄色い声を上げているのを思い出した。
 とりあえず頭はいいし、顔も悪くない。性格も一応は外面は良くできているし、家柄も身分もそれなりに揃っているのだから、当然の結果かもしれない。
 正体バレたら、幻滅するだろうなぁ――――
 そんな事を思いながら、半兵衛の鼻先をちょんとつついてみた。
 わずかに眉根をひそめて呻いたかと思うと、むずむずと鼻先を震わせ、ぶえっくしょいと盛大にくしゃみを放った。
 うわぁ、正真正銘のオッサンだ――――
 と、可愛い容貌に似つかわしくないそれに、は苦笑を漏らした。
 本性を知った後も、こうして変わらぬ想いを抱いている自分は、殊勝な人間の一人なのかもしれないと思った。
 だが、戦の時のみ発揮される怜悧な智謀が、まれに見せる大人の顔が――――の心を掴んで離さないのだ。
 単に憧れで片付ける事が出来たらどんなに楽だったろう。
 寝起きに掠れる低めの声が、兵書に見入った時の真面目な横顔が、軍議で放たれる鋭い一声が、朝方に見せる気だるげな相貌が――――いちいち心を刺激して、胸の高鳴りを煩くさせる。
 これはきっと幼い恋に違いないと知っているのに。
「半兵衛様」
 名を、呼んだ。
「半兵衛……さま」
 もう一度呼んだ。
 固く閉じられた瞳や、薄く開いた唇や、柔らかそうな頬に――――触れてみたいと、魔が差した。
 ゆっくりと指先を――――指先を伸ばし、
「  」
 半兵衛の唇から零れた、聞き慣れぬ女の名に、ははっと我に返った。
 むにゃむにゃと聞き取れぬ寝言を呟いて、それからふっと笑みを浮かべた。
 夢の中に、半兵衛の心の中に、の知らぬ誰かがいる――――
 頭が混乱して、その意味をよく理解できなかった。
 ああ、そうだ、この人は大人なんだ。廓遊びはするし、女性にも人気があるのだ。だから、奥方がいなくても、心に決めた人がいてもおかしくないのだ。そんな事はわかっていた、いまさら傷つく事でもない。
 自分はただの、ただの――――





「んー、よく寝たぁ」
 半兵衛は大きく伸びをすると、凝り固まった肩をこきこきと鳴らした。
 どれくらい寝入っていたのか、日はすでに西に傾きつつある。
 腕を真上に上げて伸びをしていると、
「よく寝たじゃありませんよ」
 と、聞きなれた声が背後から響いた。
 が膝に置いた書物から顔を上げ、いつもの如く呆れ顔で自分を見ている。
「あー……えっと、おは……よう?」
「おはようでもありません。まったく……ぜんぜん今日、働いてないじゃないですか。官兵衛様に怒られるの私なんですからね?」
 まったく、とため息を付いて、は冷たい眼差しをぶつけて来る。
 ああ、これはまた株が下がっただろうな、などと半兵衛は思いながら、ごめんごめんと頭を掻いた。
「今日こそは本気出そうと思ったんだけどさぁ、なんかここの陽だまりがいい感じでね」
 ここ、すご〜く昼寝には持ってこいなんだよ、などと言い訳すると、
「そういうのは聞き飽きました」
 と、ぴしゃりと言い放たれて撃沈した。
 やれやれ、今日も殿はご機嫌ななめのようだ――――
 どうにかして機嫌直してくれないかなぁ、と半兵衛が思案していると、ふとの頬で何かきらりと光るものがあった。
……どうかした?」
 半兵衛が尋ねると、は眉間に皺を寄せたままで怪訝そうな顔をした。
「だって。泣いてるよ、
 はっと気づいて頬に手をやると、冷たい雫がぽろぽろと零れ出していた。
 まるで傷を受けた箇所から血がじんわりと浮かぶように。痛みの感覚はなくても、開いた傷から血は溢れるものなのだと、はぼんやりと思った。
「なんでもありません」
 ごしごしと着物の袖でぬぐって、何でもない顔をする。
「や、でもさぁ……」
「半兵衛様に関係ありません」
 そう言い放つと、半兵衛は困ったような笑みを浮かべたようだった。
 ごめん、にだって色々あるよね、もう詮索しないからさ、だから元気出して、そうだ美味しい物でも食べに行こう、今日は俺がおごってあげるからさ、城下町に美味しい甘味処が新しく出来てね――――
 半兵衛の口から零れる言葉は、ただ諾々と流れる水のようにするする、するするとの心をすり抜けていく。
 は怒ったような顔をすると、
「半兵衛様のくせに、生意気です」
 精一杯の虚勢を張った。





end



半兵衛様は駄目な大人なくせに、一人前に色男みたいな事をするなんて
何だか気に入らないし生意気です、の略。
珍しくヒロインが追うタイプの話です。