思いは伝わらない・後編
それからしばらくして、半兵衛は寝たきりの生活となった。病の進行は早く、今はもう起き上がることさえ億劫になっている。
何かをしていないと、余計なことばかりが頭をよぎる。の泣き顔、正則の怒った顔、三成の冷えた言葉、清正の拳の痛み。
大して好きでもなかった執務も、今ならやってもいいとさえ思える。何でもいい。この頭を別のもので埋め尽くせるのなら、何でもいい。
はどうしているだろう。あれから一ヶ月近くが経った。
もう泣いてはいないだろうか。食事はちゃんと取っているのだろうか。
誰か……慰めてくれる男はできたのだろうか。
自分で望んでおきながら、胸がちくりと痛んだ。
きっともう会うことはないのだろう。最後に見た顔が泣いている顔だなんて最悪だ。あの子は笑った方が、絶対に可愛いのに……
と、その時、障子の向こうに誰かの影が浮かび上がった。
「誰?」
声をかけると、人影はぺこりと頭を下げた。
そして、
「お久しぶりです……半兵衛様」
半兵衛は驚いて、思わず飛び起きた。
会いたいと焦がれた人物が側にいる。それだけで、胸は高鳴り、呼吸が苦しくなる。
だが、迎え入れることはできなかった。そうしてしまえば今までの何もかもが無駄になってしまう。
「何の用?」
できるだけそっけなく、気にも留めていない素振りを見せた。障子の向こうで、がわずかに俯くのが分かった。
「半兵衛様に……お聞きしたい事があって参りました。入ってもよろしいでしょうか?」
正直にも、心が揺らいでしまった。
逢いたい。顔を、声を、間近で感じたい。
だが、それは許されないことだ。想いを押し殺し、半兵衛は厳しい声音を搾り出す。
「駄目だよ。俺の病は人に伝染るんだ。そこで話して」
しばし間を置いてから、わかりました、と声が返ってきた。
「清正達が――――弟たちが半兵衛様に無礼を働いたと聞きました。まずはそのお詫びと……半兵衛様の真意をお聞かせください」
「真意って……?」
「何故、清正たちをわざと怒らせるような態度を取ったのですか? 話しに聞く半兵衛様は……半兵衛様らしくありません」
半兵衛は瞑目し、ぎゅっと布団の端を握り締めた。
「らしくないって……? に俺の何がわかるの?」
「半兵衛様は……徒に人を怒らせる方ではありません。そうするのには何か意味があるのだと、思っています」
「そんなのないよ。俺が言ったのは全部本当のこと。俺のこと……買いかぶりすぎだよ」
再びしばしの間があって、そうですか、と障子の向こうから声が返ってきた。
そして、
「今日は恥を忍び、覚悟を決めてきたのです。お聞かせいただけないのなら……ここで喉を突いて死にます」
突然のの宣言に、半兵衛は言葉を失った。
「なに……冗談いってんの……?」
乾いた笑いをあげたが、障子の向こうからは何も返って来なかった。かわりにの影が細い尖った何かを、両手に持ち、ゆっくりと喉に近づける。
「え、ちょっと、冗談……」
半兵衛はアハハ、と笑いかけ、そして刃がの喉元に近づくのに耐え切れなくなり、スパンと勢いよく障子を開いた。
そこには今まさに喉を短刀で突こうとしているの姿。
半兵衛はかっと怒りに我を忘れ、乱暴な手つきでの手から短刀を奪った。
「一体なに考えてんの!? 死ぬとか簡単に言うな、馬鹿!!」
「馬鹿は半兵衛様です! 自分だって勝手に……勝手に死のうとしてるじゃないですか!!」
「勝手にって……」
「半兵衛様は自分勝手なんです。自分の事ばっかり考えて、私のことなんて、全然分かってくれない……私、そんな策にはまるほど、中途半端な気持ちで好きになったんじゃありません」
ぽろり、との双眸から涙が零れ落ちた。
ああ、どうして自分はこんな顔ばかりさせてしまうんだろう。笑った顔が好きなのに、泣かせてばかりだ……
ただ、彼女の幸せを願っただけなのに。これではまるで策の意味がない。
「泣かないでよ。が泣いたら、俺が三発も殴られた意味ないじゃん……」
半兵衛はの涙をそっとぬぐうと、その身体を強く抱きしめた。
ああ、これでは策が全部台無しだ。悲しませないように、寂しくないように、ずっと遠ざけていたというのに。
それでも、まるで悲願が叶ったかのように、体中が喜びを挙げている。
もうきっと、この手を離すことは出来ない。きっと、死んでも――――この手を離しはしない。
「情に絆されて策をべらべら喋るとは愚の骨頂だな」
容赦ない官兵衛の言葉に、勘弁してよと半兵衛は苦笑を浮かべた。
愚の骨頂と言われてしまっては身も蓋もない。
確かにたった一度きりの涙で、今まで積み重ねてきた策を台無しにしてしまったのだから、官兵衛の目からは愚か者に見えるのだろう。それは半兵衛も否定しない。
だが――――
「俺はちょっと、気が楽になったよ」
官兵衛がふん? と片眉を上げる。
「正直いって未練たらたら、あのまま死んでたら本当に化けて出てたかもしれないしね。俺に残された時間はわずかだけど……精一杯、夕重の事を幸せにするよ。それが俺の、最後の望みだから」
明日の命をも知れぬ身なのに、望みなど分不相応だと半兵衛は自嘲的な笑みを零した。
だが、生も死も達観したような日々よりは活力が沸いてくる。
竹中半兵衛の人生に残された使命は、まだ尽きていないのだと、そう思えるからだ。
「半兵衛様、お加減はいかがですか?」
障子の向こうから聞こえる、優しい声音。
官兵衛は愚か者、と去り際に悪態を付きながらも、二人の逢瀬を邪魔せぬよう早々にその場を立った。
「だいぶ気分がいいよ。おいで。話をしよう」
半兵衛は穏やかな声でいらえを返すと、祝言も契りも遂げていない妻を寝所に招き入れた。
end
最後はハッピーエンドで。
手放しの幸せではないけれど、ささやかな喜びを分かち合うように。
これにて「思いは伝わらない」シリーズ完結です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!