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思いは伝わらない・中編





 仏頂面で襖を開けた半兵衛を、官兵衛は無表情で見つめていた。
 顔に残った殴られた痕を観察する分だけ、普段より長くそうしていたかもしれない。
「帰ったのではなかったのか」
 声をかけると、半兵衛は不機嫌な顔でそうなんだけどさぁ、と答えた。
「途中まで帰りかけたんだけど、なんだか苛々して仕方がなかったから帰って来たの。こんなんじゃ寝れないし、働いていた方がましだよ」
 半兵衛の口から働くという言葉が出るとは……、官兵衛はわずかに眉をあげてみせる。
 それに気づかず、半兵衛はどかりと文机の前に腰を降ろし、途中だった書簡を雑な手つきで広げた。
「今日は誰だ」
「清正。まったく困っちゃうよね。いつまでも姉離れができなくって」
「ついに三人目か。懲りずによくやってくる」
 半兵衛の元を最初に訪れたのは正則だった。事情もよく知らないまま、一方的に半兵衛が悪いと決め付け食って掛かってきた。その次は三成だった。正則よりは多少落ち着いてはいるものの、生意気な口ぶりから沸々と怒りを感じているのがわかった。そして今日は清正だ。
「明日あたりはおねね様が来たりして」
「その時はどうする」
「変わらないよ。俺はとは一緒になれないんですって、正直に言うだけ」
 もっとも、こんな下らないことを騒ぎ立てするのは、単にあの三人がに恋慕しているからだ。好いた相手が違う男にひどい振られ方をした。それを自分が慰められればいいが、それができなくて、勝手に逆恨みしているに過ぎない。
「まさか官兵衛殿は俺を殴ったりしないよね? 官兵衛殿にまで責められたら、俺どうしたらいいのか分からなくなっちゃうよ」
 おどけるような口調で言うと、官兵衛は下らぬ、と一言で一蹴した。
 そうだ。それでいい。
 男女の情など、所詮子孫を残すための言い訳にすぎない。好きだの惚れたの何だのと、そんなものは一時の感情に過ぎない。
 きっとも……いつか自分の事を忘れる日が来る。
 ごほごほと咳き込むと、胸にずきりと痛みが走った。
 官兵衛がいつもの無表情で、だが心配げにこちらを見ている。
 半兵衛は安心させるように、ごろんとその場に寝転がって、両手を顔の上で組み合わせた。
「あーあ。なんで俺は死んじゃうんだろう……」
 病の事は官兵衛にしか話していない。他の者たちはきっと半兵衛の飄々とした姿から、病魔に冒されている事など想像も出来ないだろう。
 だが、この胸には確実に毒が広がっている。そしてその毒が広がりきるのが、そう遠くない事を、半兵衛は気づいてしまった。
「なんて間が悪いんだろう……。せっかくが俺のこと、好きになってくれたのに。好きな子に好きって言えないのが、こんなに辛いなんて……」
 本当は、が想いを伝えてくれた時、嬉しさで頭がおかしくなってしまいそうだった。ずっと密かに想いを募らせていた相手が、同じ気持ちでいてくれた時の嬉しさ。そして同時に、その言葉に応じてはいけないという切なさに、心が張り裂けそうだった。
 わざとひどい言葉でを遠ざけた。二度と自分に近づかぬよう。早く自分の事を忘れるように。
 自分は死んでしまう人間だから、誰かの未練になってはいけないのだと、必死に言い聞かせた。
 は泣いていた。瞬きもせず、顔もしかめず、ただ雫のような涙をぽろぽろと流した。
 なんて綺麗なんだろうと……不謹慎にもそんな事を思ってしまった。
 その涙を拭いてやる事ができたらいいのに。その肩を抱きしめる事ができたらいいのに。
 でも、何度願っても、それは叶わない……
 半兵衛に残された時間は、もう僅かしかないのだ。
「ねえ、官兵衛殿。俺のわがまま聞いてくれる?」
「……断る」
 官兵衛らしい返答に、半兵衛はくしゃりと顔を綻ばせた。
「聞くだけでいいからさ。……俺ね、のことが大好きなんだ。だから、俺が死んだ後も、誰にもあげたくない。もしかしたらに近づく男を、悪霊になって片っ端から祟り殺しちゃうかも知れない」
「……はた迷惑な死人だな」
「そう言わないでよ。だって……俺も本当に好きだったんだよ。何度、可愛いねって褒めても、は本気にしてくれなかったけど……でも、本当に好きだったんだ。本当だよ」
 知れず、半兵衛の瞳からぽろりと涙が零れ落ちた。まるであの時、が流した涙と同じように、大粒の雫が静かに流れ落ちた。
「……泣くくらいなら、なぜこんなややこしい真似をする」
「だって、好きな子の前ではかっこいいままでいたいじゃん。俺、本当の事を言ったら、きっと弱音を吐いちゃうよ」
 だから官兵衛殿が代わりに聞いてよ。そう言って半兵衛は、音もなく泣いた。
 いい年した大の男が情けない……、そう思いながらも流れる涙は、いつまでも降り続く雨のように、しとしとと半兵衛の頬を濡らした。



end


ありがちな展開ですが、実は両思い。
死を前にして踏み切れない臆病者。