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「このっ、アホ則―!!」
 怒号と共に飛び出す無数の飛刀。
 跳ね返ってこちらにも飛んでくる刃の数々を、呼び出した鬼の手で防御しつつ、官兵衛は文机の上の書物から顔を上げた。
 不肖の弟子・と頭部の盛り上がった青年・正則が、何やらぎゃあぎゃあとやりあっている。
 理由は知らぬし、興味もない。
 どうせまた、つまらぬ原因でしかないのだから。
 それにしても――――狭い室内で暴れるなと、何度言ったらこの馬鹿共は理解するのか。
 正則は仕方がない。あれは頭部の盛り上がりと共に、知恵と言うものをどこかに置き忘れてしまったのだと、早々に諦めている。
 が、は腐っても軍師の端くれ、官兵衛を師と仰ぐからには無様な真似など許せるはずがなかった。
 幼き頃より兵法という兵法を叩き込み、それなりに使える頭に成長したはずなのだが――――
 官兵衛は深く嘆息を漏らすと、静かに立ち上がり、妖気球を掲げた。
 ここで官兵衛の挙動に気付き、自ら詫びるならば許してやったものを――――二人は一向に気付かず、真剣を使って追いかけっこに興じている。
「愚か者が」
 官兵衛は凶相を更に不吉に歪ませると、二人に向って巨大な拳骨を見舞った。
 残念ながら、これが名軍師・黒田官兵衛の日常の一コマである。




黒田官兵衛のオカンな日常





 黒田官兵衛は軍師である。
 竹中半兵衛と共に両兵衛と称される智謀の持ち主であり、その冷徹かつ徹底的な策謀は、味方でさえも震え上がらせる事はまれではない。
 表情は常に固く無表情。基本的に感情は表さない。が、まれにその凶相に冷笑を浮かべる事があり、それがますます官兵衛の顔を不吉に、禍々しく彩るのであった。
 子供に近寄れば必ず泣かれ、動物には何故か警戒され、それはそれで傷つく事もあるのだが、官兵衛の表情からそれは一切うかがえないため、周りの人間からは『あ、また官兵衛殿が子供/動物を泣かせている』と誤解を与えるのだった。
 あのように恐ろしい顔をしてはいるが、実は面倒見がよく、良く気付き、変わり者ばかりの秀吉一家の中では貴重な常識人である。
 そのため、ごく少数ではあるがその本性を知る人間には、とても頼りにされており……
「官兵衛どのー、俺の春画知らない?」
 と、半兵衛は座布団を片っ端から裏返しながら、うろうろと執務室の中を行ったり来たりしていた。
「まず聞くが、なぜ執務の場に春画が落ちている」
「んー? いやさぁ、新しいの買ったから、正則に貸してあげたんだけど……あれぇ、どこやったっけなぁ」
 すでに大人としても軍師としても間違った発言を幾つかしているのだが、相棒の白い軍師はまったくそれに気付かず、無いなぁ、なとと呟いている。
「困ったなぁ、に見つかるとヤバいんだけど」
 当然だ。職場で春画とは、いったいどんなセクハラだ。
 半兵衛が変態扱いされるだけならまだ良いが、それが原因でが引きこもりでもしたらどうしてくれる。そもそも半兵衛にはまったく働こうと言う意欲が感じられないし、その上まで欠けてしまっては、官兵衛の執務が致死量に至ってしまう。
「机の上は探したのか」
 と、呆れ顔で半兵衛の汚い文机を見やった。
 使い終わった資料やら書き損じの紙が山積みになったそこは、整然とした執務室の秩序を乱す混沌の淵である。
「最初に見たよう。でも、無かったって」
「卿は取りあえず書物を適当に積む癖がある。もう一度、山を崩して探してみろ」
 えー、と半兵衛は面倒くさそうな声を上げたが、官兵衛に睨まれ渋々と文机の上の書物を下ろし始めた。
 と、
「あったー!」
 半兵衛が歓喜の声を上げるのに、それほど時間はかからなかった。
「資料の間に挟まってたんだねぇ。ありがとっ、官兵衛殿!」
 感謝されるもそれを素直に喜べるはずなどなく。いいからさっさと仕舞って執務に励めと苦言を呈したが、半兵衛はそれを軽やかに無視して、ほら見なよなどと春画を見せ付けてきた。
 大人としても、軍師としても、色々駄目である。
「これ、この娘! に似てると思わない? 肉付きがちょっと良すぎる気もするけど、こういうのもありだよねー」
「ほう」
「俺は細身の方が好みだけど、ま、男って助平だからさぁ。あ、官兵衛殿も見たい? でも、順番ねー。次は三成に貸すって約束してるん、」
 そこまで言いかけて、半兵衛はハッと己の失言に気付いた。
 の名を語らねば、まだ下らぬと一蹴され、許されたものだろう。
 だが、半兵衛が春画の女と自分の愛弟子を重ねて見ているなどと、官兵衛が知れば許されるはずもなく――――
「卿はあれを視線で犯し、そのように男共の慰み者にしているのか」
 官兵衛の背後から妖気のような禍々しい空気が立ち上った。
「や、官兵衛殿、ジョーダンだって! 別に俺たち、に対して下心を持ってるわけじゃなくって……これただの紙だから! 落書きみたいなものだから! だから機嫌直して? ね、ねっ!?」
 何とか誤魔化そうと言葉を並べるが、そのどれも官兵衛の怒りを静める力は持たず、官兵衛はただ静かに、相手を凍死に至らしめるような冷たい殺意を纏って言った。
 激せず、動じず、ただ静かに――――官兵衛はいつもの凶相で、告げたのだった。
「乱世の火種、潰えよ」
 轟音と悲鳴が響き渡って――――
 残念ながら、これも黒田官兵衛の日常の一コマである。





 このように黒田官兵衛の日常は、主にしつけと害虫駆除に追われる日々である。
 が――――、決してそればかりに始終しているわけではない。
 夕暮れの差し込む執務室で、はすーすーと寝息を立てていた。
 千里眼の影響で、力を酷使しすぎると睡眠状態に陥ってしまうのだ。無防備な姿を狙って頭部の尖がったのやら一眼レフを持ったのやらが現れるため、出来るだけ睡眠中は側にいるようにしているが――――今日はもう、変な輩は沸かないだろう。
、起きろ。風邪をひく」
 官兵衛が揺り起こすと、は眠そうな目をこすりながら、のろのろと起き上がった。
 そのままふらふらとした足取りで自室に戻ると思いきや、は官兵衛の背後に腰を下ろすと、背にもたれかかるようにして寝入ってしまった。
 まったく何をしているのやら――――
 官兵衛が揺り起こそうと手を伸ばしかけると、足元で猫がにゃおんと鳴いた。の飼い猫である白猫が、官兵衛の膝に甘えるように頭をこすり付けている。
 滅多に子供や動物に好かれる事のない官兵衛だが、この二匹だけは妙に懐いていている。官兵衛自身さえも不思議なほどに、すっかり安心しきって寝入ってしまうのだ。
 猫は官兵衛の膝上に乗ると、そのまま丸くなってごろごろと喉を鳴らした。
 背後にの体温を、膝の上に猫の温もりを感じながら、官兵衛は静かにため息をついた。
 起こしてやっても良いが、今しばらく寝床を提供してやろう――――
 穏やかな気持ちで縁側から差し込む夕日を眺める、それも黒田官兵衛のオカンな日常。





end



オカン官兵衛。
特に食事の作法には煩いです。
好き嫌いするな、肘を突くな、三十回以上咀嚼してから食え、などなど。