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金華猫03





 暗い闇夜に煌々と輝く紅い月。まるでこの日を選んで昇ったかのような、お誂え向きの月である。
 私は普段の袴羽織を脱ぎ、墨色の忍び装束を纏った。
 屋根の上はひららかで、燦々と月光が降り注いでいる。その真中にあの青年が居た。
「白眉、覚悟してもらうよ」
 竹中様が羅針盤を構え、私も手にクナイを握り締めた。
 青年白眉は私達の方を一瞥すると、まるで嘲るような顔でふんと鼻を鳴らした。
「愚か者め」
 猫の鳴き声がするかと思いきや、その声はまさしく人語を語った。だが、わずかにウゥゥゥと猫が威嚇するような声もする。猫が尻尾の毛を逆立てるように、青年の髪がぞわりと膨らんだ。
「いくよ」
 竹中様は短く私に告げると、羅針盤を手に屋根の上を駆けた。高下駄が瓦に当たるカンカンカンという音が高らかに響く。
「せやぁっ!」
 声を張り上げ、竹中様の羅針盤が空を切り裂いた。猫は脇差をすらりと抜き、防御の構えで羅針盤の刃を受け止める。その隙をつき、私はクナイを放った。
 捉えた――――
 続けざまに放たれる羅針盤を防ぐ一方で、私のクナイを打ち落とす事はできない。これで猫を仕留めたと思いきや、猫の身体がふわりと浮かび上がり、高く跳躍した。
 化け物。その言葉が私の脳裏に浮かんだ。
 ウゥゥゥ――――
 猫の威嚇の声が一層強くなる。
 だが、白眉は切り込んでこなかった。じりじりと私達と間合いを取ると、
「吾はお前が好かぬ。だが主がため、命は取らぬ」
「どういう意味?」
「そのままの意味だ。吾の邪魔をするな。愚鈍な人間はそこで見ているがいい」
 そう告げたかと思うと、白眉は身を翻し、走り出した。
「待てっ」
 竹中様の放った羅針盤が白眉の肩を切り裂いた。が、白眉はわずかに振り返っただけで、逃げる足を止めない。
「竹中様、追いましょう!」
 瓦屋根を渡り、私達は白眉の後を追った。
 さすが化け猫といった所か、白眉の身のこなしは忍びも驚くほど俊敏かつ軽やかだった。屋根や塀をすいすいと上り下りすると、二階ほどもある高さからすらりと飛び降りた。私達もそれを追う。
 降り立った先は殿の寝所に面する庭だった。白眉の姿はない。が、狙いが殿であれば、この近くに潜んでいるのは間違いない。
 虫の音さえしない静寂の中、私達は視線だけを忙しく巡らせ、猫の出方を待った。
 と、途端に茂みから黒い影が飛び出した。
 反射的に放たれた羅針盤とクナイがそれを襲う。だが、その塊は避ける素振りすら見せずに、堂々とそれを受けると、まるで効かぬとばかりに勢いをつけて私達に突進した。
 竹中様は羅針盤で何とか耐えられたようだが、私の身体は思い切り吹き飛ばされ、屋敷の壁に叩きつけられた。
 痛みに顔をしかめつつ、黒い塊を見やる。
 それは獅子のように金の髪を逆立てた巨躯の男だった。白眉ではない。
「なにこいつ……」
 竹中様が苦々しげに呟いた。
 月光を浴びて爛々と輝く金の双眸。わずかに開いた口から、獰猛な禽獣のような牙が覗く。
 一目で人ではないと悟った。これも物の怪だ。
 グォォォと、まるで獣が咆哮するような声がしたかと思うと、男が岩のような拳を振り上げた。竹中様は羅針盤でそれを受け止めようとしたが、寸での所で地を蹴り横へ跳んだ。
 と、土塊を跳ね飛ばし、竹中様がいた場所に大きな穴が穿たれる。
 何という膂力だ。あんなものを受け止めては、四肢がばらばらになってしまう。
 男は緩慢な動きで拳を上げると、獲物を探すように首をひねった。
 こちらに来るか。
 私は懐より新たなクナイを手に構えたが、男は私の方へは向かってこなかった。
 屋敷の方へ、殿の寝所へとゆっくりと歩を進めている。
「ちっ、俺達には興味はないってわけ」
 竹中様は舌打ちと共に大きく回りこみ、屋敷の廊下に立った。男が巨躯を揺らしゆっくりと歩み寄る。
 何がなんでも、ここで止めなければならない。
 私は己が持ち得るすべての武器を男に向かって放った。避ける事すらせず、それはぐさりと男の背に食い込む。だが、まったく効かぬとばかりに、男は振り向きもせず歩を進めた。
 くっ、どうすれば――――
 竹中様の羅針盤も効いている風には見えない。これでは、直に殿の元へ至ってしまう。
 私が焦りを感じたその時、どこからともなく現れた白い塊が男の両眼を横切りに裂いた。
「半兵衛、喉を狙え! それがこやつの弱点だ」
 視界を奪われ、男が怯んだ隙に竹中様は男の懐へ飛び込むと、羅針盤を高速回転させ喉を切り裂いた。
 獣が呻く様な声が当たりに響き渡る。男は両腕をめちゃくちゃに振り回しながら、後ろによろけ、どうっと仰向けに倒れた。
 おびただしい血が庭先の地面を濡らす。月の紅い光を吸収し、その色は鮮やかな緋色に輝いた。
「ぐぅ……貴様、同胞を裏切るつもりか……」
 男の初めて口にする人語だった。ひゅうひゅうと喉から空気が漏れる音をさせながら、男は苦しげに告げた。
 血に濡れた脇差を手に青年、白眉が男の側に歩み寄る。
「裏切る? 何を言っているのだ貴様は。吾の主はただ一人。主に仇なすものは滅するまでよ」
 もう去ね、白眉が呟いたかと思うと、脇差を振り上げ、その喉元に深々と突き刺した。
 獣のような断末魔が響き渡り、噴出した鮮血が白眉の白い顔に飛沫を飛ばした。化け物の絶命に瞬きすらせず、冷ややかな瞳で見下ろす白眉。
 そして断末魔が途切れたかと思うと、男の身体がびくりと痙攣し、みるみるその姿が萎んでいった。
 血の海には一匹の茶虎の猫が横たわっていた。





 明くる日、まるで冬眠から目覚めるように殿は長い眠りから覚めた。聞けば金の髪をした男が夢に現れたと言う。それが殿をたぶらかしたあの金華猫の正体なのだろう。
 白眉は猫の姿に戻っていた。猫撫で声で殿にじゃれつく姿は、とても化け物を倒した果敢な青年と同一人物とは思えない。
 だが、確かに私達の前に現れたあの青年は、この白猫だったのだろう。
 ――――さて、ここからの話は蛇足である。
 殿が目覚めてからしばらく後、竹中様は白眉の元を訪れた。




 白髪の青年は縁側に座り、月を眺めながら、ちびちびと盃を舐めていた。
「何を飲んでるの?」
 尋ねた半兵衛に、白眉は盃の中身を見せた。
 透明な、だが酒よりはとろみのある液体である。
「魚の油だ。そこの行灯から拝借した。お前も飲むか?」
 さすが猫の化け物。半兵衛はうげっと顔をしかめると、遠慮するよと断った。
 しかし、それにしても猫のくせに月見酒――――もとい月見油とはなかなか乙なことをする。
「今回のこと、助かったよ。それと、疑って悪かったね」
 半兵衛が頭を下げると、白眉は詰まらなそうに鼻を鳴らした。
「まったくだ。悪いと思うなら、これから毎日、吾にかつぶしを寄越せ。あと主に不用意に寄るな」
「一つ目はともかく二つ目は無理かな」
 にっと半兵衛が笑うと、白眉は呆れたようにため息をついた。だが、元より冗談のつもりで口にした言葉だ。それ以上追求せず白眉はぺろりと油を舐めた。
 それにしても……、と月を見ながら呟く。
「あのような不細工に誑かされるとは、吾が主も見る目のない。誑かされるなら、せめて吾のような美男を相手にすれば良いものを」
「白眉がを誑かしたりしたら、今度は容赦なく叩き斬るよ。ま、俺にとっては邪魔者が消えて一石二鳥だけどね」
「貴様……実はまったく悪いなどと思っておらぬな? 主が気付く前に、ここで食らってやろうか」
 冗談のような言葉遊びを繰り返し、二人はどちらともなく不適な笑みを浮かべた。
「まあ、案ずるな。お前が主の敵とならぬ限り、吾も大人しくしていよう。お前のことは気に食わんがな」
「それはお互い様。に悪さをしないなら、化け猫でも側にいさせてあげるよ。ま、俺が居る時は気を利かせて、どっかに行って欲しいんだけどね」
「馬鹿な。吾は寝る時も、飯を食う時も、風呂も主と一緒だ」
 どうだ羨ましいか、と白眉が笑って、やっぱりこいつは気に食わんと半兵衛は認識を新たにするのだった。



end


猫と半兵衛の友情(?)が成立したところで、『金華猫』シリーズはひとまず完結です。
今までお付き合いくださり、ありがとうございました!
あんまり夢っぽくありませんが、書いてて楽しかったです。
またどこかで猫がしゃしゃり出てくるかもしれませんが、
その時はよろしくお願いします。