名と共に手招きを。柔らかい顔で微笑まれれば、それに抗うことなどできず。
まるで子供のように頬を膝に擦り合わせ、柔らかい膝の上に頭を預ける。その頭を撫でる少女の手が心地よい。
少女の手が頬をすべり、顎の下を撫でる。気持ちよさげに目を細めると、少女が楽しげな表情で顔を寄せた。
逆向きのままその唇をぺろりと舐め上げると、
「ふふっ、くすぐったい」
と少女が身をよじる。
そんな事を気にせず、丹念に舐め上げた。くすぐったいのか、唇、頬と続く愛撫を少女はくすくすと笑いながら受け止める。それならばと身体を起こし、両手を胸元に当て、顔を寄せると――――
「フニャア」
そんな間の抜けた声が思わず漏れた。
何故か、身体が宙に浮く。何事かと顔を振り向かせると、白い衣を纏った子供のような男が自分の首根っこを掴み上げているのだった。
そして、
「猫のくせに生意気」
と、顔に青筋を浮かべ、自分の身体をぽいと投げ捨てた。
金銀妖瞳
吾は猫である。名前はまだない――――と言いたい所だが、この屋敷では「白眉」という名で通っている。
「白眉」とは三国時代の蜀の文官、馬良の渾名に由来する。眉に白い毛が混じっていたことから、「白眉」と渾名された彼だが、兄弟五人の中で最も秀でいたため、「馬氏五常白眉もっとも良し」と言われた。転じて、優れた人物の事を「白眉」と呼ぶことになったのだと言う。
賢い吾に相応しき名だが、いささか年寄りじみているのが難点だ。それに名付け親は吾の白い眉を見てその名を思いついたようだが、あいにく吾は身体のどこもかしこも真っ白である。
もっとも、その人物には感謝せねばなるまい。もし白眉の名が通らなければ、吾は今頃、玉三郎とか田吾作とか大変恥ずかしい名で呼ばれていたに違いない。一体、どこをどう考えたら、そんなセンスの欠片もない名前が思いつくのだ。
む――――ここの輩には、センスなどという、外来語は通じぬか。やはり人間というのは、猫より劣る生き物だ。
さて、主人のことを少し話そう。
吾の主人はという名の人間の娘である。幼き頃、山の中で腹をすかせていた吾を主人が見つけ、この屋敷に連れてきた。人間などに飼われるのはまっぴらごめん、と飯を馳走になった後さっさと逃げ出すつもりでいたが、この娘が夜な夜な吾の様子を見に来るので逃げる機会を失った。大方、吾が衰弱して死ぬとでも思ったのか――――確かにあの日は雨が降る寒い日であった――――娘は何日も吾に付きっ切りだった。
――――情に絆された、というわけではないのだが、いつの頃からかまあこの娘になら飼われてもいいか、と思うようになった。ここにいれば飯にも寝る所にも困らぬし――――それに、娘の事が心配になったというのもある。
この娘、敵があまりに多すぎる。屋敷の中に何人も、この娘を狙う輩がいるというのに、その事にまったく気付いていないのだ。
あまりに無防備。あまりに己の立場を楽観視している。
そのままでは、自然の中で生き抜けぬぞ――――?
吾はこれでも義理堅い。
一宿一飯の礼の代わりに、この娘に野生の厳しさが伝わるまで、共にいてやってもいいだろう。
そういう次第で、吾はここにいる。
――――と。
ああっ、言っている側から、食われかけているではないか!!
主人よ、一体いつになったら、周りは敵ばかりだと気付くのだ――――!?
唇を軽く触れ合うと、猫がフーッと毛を逆立てて威嚇の姿勢を取った。そのままもっと深い口付けを、と狙っていた半兵衛の目論見はまんまと外れ、の注意はそちらに持って行かれてしまう。
「白眉、どうしたの?」
名を呼ぶと、白猫は半兵衛を威嚇するように、遠まわしに睨み付けながら、の膝の上に降り立った。
そこは俺の場所――――っ
半兵衛の顔が一気に険しいものに変わる。と、それを意識してか、白眉は優雅に毛づくろいを始め、悔しがる半兵衛を馬鹿にするようにナー、と一鳴きした。
半兵衛の顔にぴしりと青筋が浮かんだ。
そもそも、出会った時からこの猫の事は気に入らなかった。人を小馬鹿にするような態度もそうだが、に近づく者あらば無遠慮に噛み付き、引っかくその凶暴性。そのくせこちらが反撃しようとすると、猫撫で声でに近づき、こちらが手を出せないように仕向ける。
まだ雌であれば多少は許せたかもしれないが、まごう事なき雄である。これはもはや敵と認識しても、問題あるまい。
「ほんっっっと、白眉は可愛いなあ。可愛すぎて握り締めて、そのまま池に沈めたいくらいだよー」
と、顔を引きつらせながらぐりぐりと頭を乱暴に撫でると、白眉が爪で応戦した。バリッと鼻の上を切り裂かれ、
「このっ、猫鍋にするよ!?」
と、半兵衛が羅針盤を持ち出す。
「は、半兵衛様! 猫のした事ですから、落ち着いて!」
の必死の懇願で何とか武器は仕舞ったが、猫のまるでにやにやと笑うような顔が憎たらしい――――そもそも猫が笑うはずなどないのだが、そう見えてしまうのはもはや末期だ。
薬箱を取って来ます、とが席を立った瞬間、二人は同時にぼそりと呟く。
「このバカ猫」
「ンナー(若造が)」
どうやら種を超えた嫌悪感というので、二人は結ばれているらしい。
end
猫の話でした。猫に嫉妬する半兵衛。大人気ない……
金銀妖瞳というのは、オッドアイのことだそうです。
なんかカッコいいね。目のこと、全然書けなかったけれど!
ちなみに猫は半兵衛を見た目でしか判断しないので、若造だと勘違いしてます。
(けっこう年食ってると知ったとしても、たぶん不遜な態度で馬鹿にすると思いますが)