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 いつの頃からか、官兵衛の居室に人形が居座るようになった。
 年の頃は秀吉のところの子飼い達と変わらないが、子供にしては大人しく、いつも凍りついたような硬い表情をしていた。
 自分も感情が乏しい部類に入るが、この娘は感情がごっそり抜け落ちている。
 笑ったところも、泣いたところも見た事がない。
 何をするでもなく、ただ部屋の隅で正座を組んでじっとしている。
 ともすれば呼吸さえもしていないのではないかと思えるほど、微動だにしない。
 何とはなく、退屈ではないのか、と尋ねた官兵衛に娘はこくりと頷いた。
「ですが何をすればいいのか分かりません。私には自由とは、持て余すだけのもののようです」
 そしてその日も日がな一日、地面に視線を落としたまま、一日を過ごした。
 そして次の日も娘は、呼吸と瞬きだけをして一日を過ごした。
 このまま何も与えなければ娘はそうして一生を過ごすような気がした。
 それでは意味はあるまい。
 官兵衛は戯れに娘に兵書を貸してやった。
 それを読んで兵法を学べと告げると、娘は数日も経たぬうちにそれを諳んじる様になった。『孫子』も『呉氏』も『六韜』も、まるで紙が水を吸うように娘は吸収していった。
 秀吉のところの子供達とは大違いだと、関心したものである。
 気まぐれに褒めてやると、娘はますます学に磨きをかけた。
 そしてその頃から、だんだんと娘の顔に感情が浮かぶようになった――――




過保護のすゝめ





「官兵衛様、秀吉様がお呼びです。……官兵衛様?」
 の訝るような声に、官兵衛は我に返った。
 今朝見た夢のせいだろうか。の顔を見てぼんやりとしてしまった。
 わかった、と短く答えると、は一礼して去っていった。小袖をたすきでたくし上げている所を見ると、家事の手伝いでもしている時に声をかけられたのだろう。
 初めてこの屋敷に来た時はまったく馴染まなかったが、月日とは不思議なものである。
 あれだけ怖がっていた子飼いに姉分の権威を認めさせ、人形のような顔は今では人一倍感情豊かに動く。非力で病弱な性質はそのままだが、それを補う知を身につけ、軍師として戦う術を覚えた。ただ成すがままにされていた小娘が、よくも育ったものだと関心した。
 座敷に向うと、床の間を背に秀吉が難しい顔であぐらをかいていた。その隣にはねねが、やはり難しい顔で座っている。
 秀吉は官兵衛の姿に気付くと、
「おおっ、官兵衛! 待っておったぞ。ささ、座れ、座れ!」
 と、死地で救援を迎えたような顔で向かいの丸茣蓙を勧めた。
 官兵衛が腰を下ろすと、秀吉はあのうそのうと口火を切る言葉を探した。
「そのぅ……まあ、なんだ……わしもねねも悩んだんだが、こういうのは官兵衛に話をするのが筋っちゅうもんじゃろ、と思ったんさ……」
「もちろん本人の気持ちも大切だけど、まずは親同士で話をしなくちゃって思ってね」
「そう! そこ! 親同士。いわばわしらは親も同然。その三人でまずはちゃんと話をせにゃならんって思ったんさ!」
「要領を得ませぬな」
 いつものことだが、秀吉の話は前置きが長い。深刻な内容であればあるほど、あれやこれやと相手が衝撃を受けないよう説明を入れるのである。相手を慮っての配慮なのだろうが、官兵衛に対してはそのような気遣いは無用である。
「ああ、そのなんだ……」
 秀吉はわざとらしくこほん、と咳をすると両手を膝の上に置いた。
「官兵衛はの事を、どう思っとる?」
 また核心には触れない所から話を始める。
「どう、とは?」
 官兵衛は呆れながらも質問を返した。
「色々あるじゃろ。可愛いとか放っておけんとか、目に入れても痛くないとか」
「戦においては多少役に立つ。あるいは軍師としてはまだまだ軍を任せぬには及ばない、という所でしょうな」
 官兵衛らしい答えに、秀吉はそうかと若干落胆したような顔を見せた。
「まあ、そのもな……嫁に行ってもおかしくない年じゃろ。それでなあ……」
「祝言の話ならば、利のある相手に嫁がせるべきでしょう」
 核心を突かれ、秀吉はううむと苦しそうに呻いた。
「いや、わしは無理強いはしたくはない。したくはないんだが……今回はちと断りきれん相手なんさ……」
 要領の得ない秀吉の説明によるとこうである。
 あの智謀にあの器量、年頃に成長したの評判は、織田家臣の中でもなかなかに評判である。秀吉の下にぜひ息子の嫁にと、打診する声がかかるのはしばしばであった。
 もっともその度に、は出自がはっきりしないからと断って来たのだが、今回ばかりはそれさえも力押しで押し切られてしまった。しかも相手は織田家の重鎮。家柄も申し分なく、簡単に袖を振るうにはいささか面倒な相手なのである。
「構わんでしょう。秀吉様が後見となられれば、釣り合わぬものではありますまい。それにかの家と縁続きになっておけば、今後もろもろ役に立ちます」
「官兵衛……本気で言っておるんか?」
 官兵衛の戦国乱世らしい物言いに、秀吉は驚きの顔を見せた。
 女は政争の道具となる。その考え自体を秀吉は否定するつもりはなかったが、自分が世の戦国大名と同じ事をするには抵抗があった。
 そもそもはゆくゆくは、自分の配下の誰か、が好いた男と添い遂げさせようと決めていたのだ。それをいくら相手が織田家の重鎮といえども、曲げるのは信条に反する。
「わかった。……だが、見合いだけだ! 見合ってが気に食わねば、この話は破談にする!」
 そう叫ぶと、秀吉はこうはしておれんと、ねねに上等な内掛けを作るように言った。
「可愛いの晴れ舞台じゃ! とびっきり上等な着物を作ってやるんさ!」
 と、破談にすると決めた見合いのわりには妙な意気込みぶりで、秀吉は座を立った。




end


お見合いネタ。
官兵衛殿は今のところ育ての親ポジションです。