とある事件簿03
月の光を受けて、その方は夢際の人物のように儚げな姿を現した。陽光の下で出会うのとは違う――――一瞬、人をどきりとさせるようなお姿である。
ならばこそ、このような事件も起こり得ようか――――
どきどきと騒ぎ立てる胸を黙らせ、私はその方の前へと進み出た。
「やはり……あなただったのですね」
犯人を追い詰める探偵役というのは、この一言にすべてを捧げているのであろうが、私はとても愉快な気持ちにはなれなかった。その方はびくびくと小動物のように身体を震わせ、頼りなさげな顔で私を見返していたからだ。
ただ、煌々と輝く碧の瞳だけが――――私に否応無く真実を伝えていた。
通りすがりの軍師見習い・戊こと殿は、伏せ目がちに目を細めると、はい、とか細い声で答えた。
『いの十七号文書』が無くなって最も得をする人物――――それは彼女である。
そもそも自分の私生活がそのように暴かれていた事だけでも衝撃なのに、そんな書物を宝物庫などに安置する事を許せようか。限られた人物のみ閲覧を許されるとはいえ、出来るならば消し去ってしまいたい、と願うのは当然の事だろう。
それに証言の際に、彼女だけが福島殿襲撃事件の事を盗難事件と称した。それは福島殿が実際に怪我などしていなかった事を知っていた故である。
本当はあのぼやで燃やしてしまうはずだったのです、と殿は静かに語り始めた。
「でも、うまく燃やす事ができなくて、そればかりか皆に文書の存在を知られてしまいました。誰かに見られるのは恥ずかしいから、いっそ宝物庫から盗む出してしまおうと思って……」
「しかし、二度目の事件はあなたではないはずです。あなたはあの時、軍議に出ていらした。犯行は不可能です」
私の言葉に、殿はきょときょとと視線を泳がせた。
と、そんな彼女を助けるように、暗闇より様、と名を呼ぶ声が響く。
「桔梗」
殿が振り返ると、闇の中からすうっと長身の女が姿を現した。墨色の忍び装束――――くのいちか。
「後はわたくしが。様はどうぞお戻りください」
「でも、桔梗が……」
「わたくしは心配ございません。さあ、どうぞ。奥方様が心配なされます」
殿は戸惑っていたが、桔梗という名のくのいちが力強く頷くと、申し訳なさそうな顔で頭を下げ、去って行った。
正直言ってこの展開はありがたい。これからの話を殿に聞かせるのは私としても忍びない。それはおそらく、このくのいちも同じ事であろう。
「さあ、ここからはわたくしがお相手いたしましょう」
と、桔梗はまるで敵将に物申すように、挑むような顔で言った。
「福島殿を襲ったのはあなたですね?」
私の問いに、桔梗は違いますわ、と幾分呆れたような声で答えた。
「襲ったのではございません。勝手に卒倒されたのです」
あの日――――、と桔梗は語り出す。
下女に化け宝物庫に忍び込んだ桔梗は、『いの十七号文書』を盗みすぐにその場を離れるはずだった。だが、他の下女達がいなくなったのを見計らい、いざ行動を起こそうとした時、思わぬ人物が宝物庫に現れた。福島正則殿である。
どうやら福島殿もこの清掃日をかねてより狙っていたらしい。福島殿は桔梗の存在に気付かぬまま、抜き足で『いの十七号文書』の元へ行くと、我慢できぬとばかりにその頁をめくったのだった。
実物を目にしたわけではないので、ここは想像で補うしかないが、殿の赤裸々の日々が記されたそれはそざかし刺激的な内容であったのだろう。
福島殿はみるみる顔を赤らめ、途端にブッ! と鼻血を噴出して卒倒してしまった。かなりの血液が流出したのか、血溜りに浮かぶ福島殿はまるで死体のようだったと桔梗は語る。
そのまま福島殿が卒倒している隙に『いの十七号文書』を盗み出してしまおうとしたが、それでは福島殿に濡れ衣がかかってしまう。困った桔梗は近くにあった金の仏像で、軽く福島殿を殴りつけると、形ばかりの襲撃事件を装ったのだった。
さすがに自分も盗みに入った事を明かせなかった福島殿は、まんまとこの事態を利用し、悲鳴が聞こえたと嘘の証言をし、襲撃事件を取り繕ったのである。
さて、表向きの件の真相はこれで全てだが、まだいくつか謎は残っている。
殿に文書の存在を明かしたのは誰か。そしてぼやの件をそそのかしたのは誰か。『いの十七号文書』は今誰の元にあるのか。そして、そもそも『いの十七号文書』をしたためる様に命じたのは一体誰なのか。
これらの人物はすべて同一人物である。
そもそも一つの書物を焼くのに、書庫ごと燃やそうとするのはいささか乱暴ではないだろうか。それに、書庫は火よけ対策として、燃えにくい木材が使われている。書物の中に火を放つならばまだしも、外からの火で燃やせるものではないのだ。
つまり、その人物はぼやで燃やせない事まで、あらかじめ計算に入れ殿をそそのかしたのである。
勿論、一つ目と二つ目の直接的な犯人は桔梗であろう。が、桔梗は傀儡にすぎない。その背後に、この事件を操る黒幕が存在するのである。
「あなたは一体誰なのですか?」
私の問いに桔梗はにっこりと微笑んだ。まるでその問いを待っていたとばかりの笑みである。
「奥方様の率いるくのいち隊の一人ですわ。主な任務は諜報や潜入ですが、様が戦に立たれる際は護衛を仰せつかっております」
つまり個人的に殿と近しい人物、という事になる。
「ですが、あなたの桔梗という名前は本名ではないはずだ」
「勿論。本来、忍びは名など持たぬもの。便宜上の呼び名です」
「便宜上の呼び名であっても、その名を初めて呼んだ人がいるはず。あなたの真の主は、誰なのですか……?」
桔梗は微笑を浮かべながら、目をわずかに細めたようだった。三日月のような二つの瞳が私を見ている。
「黒田官兵衛様です」
と。風に乗せて、桔梗の声が届く。
「表向きは奥方様に従っておりますが、真の主は黒田様でございます。故に、此度の一件は皆、黒田様のご命令ですわ」
end
だらだらと読みづらい文ですみません。
結局は黒幕は官兵衛でした。
次回、真相編です!