とりかへばや奇談07
半兵衛は久しぶりの自由を手に入れ上機嫌だった。
自由とはこんなに良いものだっただろうか。
たった数日、子飼いに付きまとわれただけで、今はこんなにも開放感を感じている。
「ん〜」
半兵衛は大きく伸びをすると、まずは昼寝とばかりに、木陰にごろりと横になった。
目を閉じて眠りの世界へ向おうとすると、先ほどの一件の事を思い出し、つい思い出し笑いをしてしまう。
ねねに見つかった時の清正の、あのばつの悪そうな顔!
必死にこれは偽者だ、女じゃないと訴えていたが、ねねに
「言い訳しない!」
と一括されて、叱られた犬のようにしょぼんとしていた。
ねねも当然、と半兵衛の入れ替わりの件は知っていたが、ねねの過保護に関係はない。中身が半兵衛だろうと傷つくのはの身体なのだから、ねねにとっては「女の子」なのである。
散々がみがみと説教された上に、清正はねねに耳を引っ張られてつれて行かれた。これでしばらくは半兵衛に手は出せまい。
もしまた来たら、今度は秀吉に泣きついてやろう、などと意地の悪い事を考えながら、半兵衛はうとうとと舟をこぎ始めた。
ここの所、子飼い達の護衛のせいで、ろくに眠る事もできなかったのだ。
害虫駆除は昼寝の後にやればいい、と半兵衛が眠りの世界へ引き込まれようとした瞬間――――ごすっと、後頭部に鈍痛が響いた。
容赦ないかかと落とし。しかも何やらごつごつした物で蹴られた。
「ちょっ! 何すんのさっ!?」
さすがに怒りを覚え半兵衛が跳ね起きると、そこには両腕を組んで不機嫌そうな表情で見下ろす、半兵衛自身の顔があった。である。高下駄をはいた足で蹴り飛ばされたのだと理解する。
「あ、っと……おはよう」
早くも清正の事を聞きつけたのか、目が据わっている。半兵衛の誤魔化すような笑みを完璧に無視して、冷ややかな視線が向けられていた。
「半兵衛様、殴りますよ?」
と。
「いやいや、殴りますって言いながら蹴ったじゃん」
「いいえ、これから殴るんです」
物騒な事を言いながら、胸倉を掴み上げるに、半兵衛は両手を挙げて降参の意を示した。
「ま、待った、待った。俺が悪かったから、これ以上痛いのは勘弁して」
は一瞬黙り込んで、信用できないとばかりに顔をしかめたが、さすがに自分の顔をがんがん殴るのは気が咎めたのか、素直に手を離した。
まったく、とため息をついて、呆れたような顔を向ける。
「何のための護衛だと思ってるんですか。勝手に追い返すような真似をして」
「だぁってさぁ」
子供のように唇を尖らせる半兵衛に、は再びため息を付いた。
「もういいです……。それより、行きましょう」
伸ばされたの手の平を見つめながら、半兵衛は行く? と小首を傾げた。
「官兵衛様に元に戻していただきに行くのです。それだけぽんぽん叩かれて無事なら、多少の衝撃には耐えられるでしょう」
ぽんぽんと言うほど可愛い攻撃はなかったが、確かに今の体力なら官兵衛の鬼の手を受けても耐えられるかもしれない。当然一度で元に戻る保証はないのだから、何度か官兵衛の攻撃を受ける事になるのだろうが、それでもやってみる価値はあるだろう。
だが、半兵衛はううん、と歯切れの悪い唸り声を上げた。
「半兵衛様?」
「もう少し……このままじゃダメ?」
「はぁ?」
はそれはそれは厭そうに顔をしかめた。それは当然のことで、今まで半兵衛の悪戯に迷惑を被った事は一度や二度にあらず、また不可抗力とはいえ私生活を覗かれる屈辱――――耐えられるものではない。
ぐっと丸めた拳をかざして、怒りますよ? とは冷ややかに告げた。
「あー、いや、ほら、だってさぁ、こんな体験そうそう出来ないし。いざ、戻るって言われると名残惜しいような……。そういう感覚ない?」
「ぜんっぜんありません」
「それに俺、まだやる事あるんだよねぇ」
半兵衛との関係を公然の仲に仕切るには、まだ情報操作が足りない。この姿であるうちに、皆が疑いを持たぬほど徹底的に、が半兵衛に惚れていると思い込ませねば半兵衛の目的は達せられないのだった。
「今日のところは見逃してくれない?」
と、小首を傾げて可愛らしくお願いしてみたが、は駄目です、とあっさりと切り捨てた。
「これ以上、放っておくと碌な事になりません。今すぐ私の身体を返してください」
「え〜」
「半兵衛様。本当に怒りますよ?」
子供のように唇を尖らした半兵衛に、は冷徹な表情で凄む様に顔を寄せる。
もしの顔のままでこれをされたら、それなりに恐怖したかもしれないが、今はどんな表情であれ自分の顔だ。半兵衛はう〜ん、と首を捻っての顔を見つめると――――
ちゅ、と。
自分の顔をしたその唇に、口付けをした。
目を閉じる事も、瞬く事もないまま、至近距離で交わされる視線と視線。
「やっぱり自分の顔じゃ楽しくないなぁ」
などと悠長に感想を漏らした半兵衛に反し、はまるで魂が抜かれたように呆然と自分の顔を見返していた。
「な、な、なな、ななななな!」
言葉にならない。
自分の顔で半兵衛に口付けされた。否、この場合、口付けたのは自分なのか。だが、自分は今半兵衛で、半兵衛は今自分で――――
「う……うわぁぁぁぁ……!」
は後ずさると、転げるようにして地面に尻餅を付いた。
顔が耳の先まで真っ赤になっている。
これは是非とも元に戻った時にもう一度見せて欲しいと、そんな不埒な事を思いながら半兵衛はにっこりとに微笑みかけ、
「今度はちゃんとしようね」
などと冗談めかして、混乱し続けるを置いて、さっさとその場から逃げ出したのだった。
end
怒ったヒロインも退け、半兵衛の暴走は続きます。
次回、最終話。最後の敵はあの方で。