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とりかへばや奇談06





 面倒なのが出てきたと、半兵衛は密かに胸中で毒づいた。
 忠誠心の強さと使命遂行のための強かさは、先の二人以上であり、冷静さと一度こうと決めたら揺らがない頭の固さは、半兵衛にとっては厄介でしかない。
 当然、袖の下も通じないだろうし、脅しも効かない。
 しかも今回、半兵衛の「誘惑」に冷静に対処し、抗ったのは、清正ただ一人だった。
 可愛くない奴――――
 半兵衛は半眼で清正の精悍な顔を眺めながら、これは早々に潰すべきだと判断を下した。詰まらぬからめ手は通じないだろう。ならば、正面からぶつかるまでだ。
「いい加減にして欲しいなぁ」
 半兵衛は肩をすくめると、深くため息をついた。
「いくらに頼まれたからって、過保護になりすぎじゃない? いい加減、姉離れするべきだとおもうけどなぁ、俺は」
 清正が眉間にわずかに皺を寄せる。
 この際、清正が幼い頃から共に育ったの事を、姉と感じているかどうかは関係ない。
 それが家族に対する親愛の情だろうと、ただの娘に対する恋慕の情だろうと、清正がそれを明らかにする事はないだろうし、またその必要もなかった。
 どちらにしろ、清正にとっては守るべき相手であり、それを使命として感じている以上、退く事はないのだ。
 たとえ、今――――半兵衛がそのの顔をしていても、どんなに柔らかな笑みと甘い声で誘ったとしても、清正にとってこれは守るべき相手ではない。むしろ、排除すべき敵なのだ。
 ここで清正が激昂してくれれば扱いやすい――――と、考えた半兵衛だったが、それはやはり無駄な期待に終わった。
 お前には関係ない、と清正は一蹴すると、冷ややかな視線を返してくる。
「お前も軍師なら詰まらない遊びで他人を巻き込むな」
「詰まらない遊びとは失礼な。俺はのためを思ってやってんの」
「自分のための間違いだろ?」
「ま、否定はしないけどね」
 歯に衣着せぬ半兵衛の言葉に、清正は軽蔑するように益々深い皺を眉間に刻んだが、半兵衛はそれを不適な笑みで受け止めた。
 どうせ何があっても子飼い達には嫌われているのだ。だったらわざわざ言葉を選ぶ必要もない。
「ま、見逃してくれないんじゃ、しょうがないよね」
 半兵衛がくるりと手首を回すと、その指先には幾本もの飛刀が握られていた。
 清正はわずかに目を細めたが、黙ったまま己の武器を構える。
 正則や三成と同じく、半兵衛が不埒な事をするならば、徹底的に叩きのめして構わないと、から言われているのだ。
 ほんっと融通が利かなくて、やになっちゃうよね――――
 半兵衛はにっと唇に笑みを浮かべると、空を凪ぐように腕を振り、清正に向って飛刀を放った。それを器用に打ち落としながら、清正が半兵衛の懐に飛び込んだ。
 至近距離からの一閃。
 半兵衛はすぐさま懐の短刀を構えて防御の姿勢をとったが、力ではまるきり及ばず、の身体ごと後方へと跳ね飛ばされた。
 偶々生えていた木の幹に叩きつけられて、その場に崩れ落ちる。
「っ――――!」
 半兵衛は痛みに顔をしかめながら、新たな飛刀を構えようとしたが、それよりも早く清正の構えた刃が、半兵衛の喉元に突きつけられていた。
「無駄だ」
 戦いに終止符を打つように、清正が告げる。
 力の差は歴然。普段の半兵衛でも清正の相手にならぬだろうが、の身体ではもっと状況は不利だ。
 そもそもは接近戦にはまったく向かない。得意とする飛刀は牽制のためにあるようなものだし、短刀は万が一の時のためのお守り程度にしかならない。の細腕ではそれ以上の武器は扱えず、つまり敵に隙がある内に始末するか、ひるんだ隙に逃げるかしかないのだ。
 今のように近寄られ力で押し切られてしまうと、どうしようもない。
 が――――半兵衛の顔から笑みが消える事はなかった。むしろ、それは先ほどよりも深い愉悦の色となり――――
「かかった」
 半兵衛がにんまりと口角を吊り上げたと思った瞬間。
「わああああああああああああん!」
 半兵衛は、泣いた。
「は?」
 顔を覆ってわんわんと泣き喚く、三十路の男。外見がの姿をしているのでそれほど醜悪な姿ではないが、みっともない事に変わりはない。
 ぼろぼろと大粒の涙を零す半兵衛を前に、清正は完璧に意味不明になって、呆然と中年男の泣き様を眺めていたが、次の瞬間はっと息を飲んだ。
 まずい――――
「おいっ、泣くのをやめろ!」
 清正は怒鳴ったが、半兵衛は泣き止まなかった。むしろ、泣き声が大きくなる。
「やめろ! お前が泣くと、あの方が――――!」
 言い終える暇さえ清正には与えられなかった。
 どこからともなく地面を駆ける足音が響いたかと思うと、
「こらぁぁぁぁぁ! 女の子を泣かせる悪い子にはお仕置きだよ!」
 両手に武器を携えたねねが、怒った顔で向って来たのだった。
 清正の唯一の弱点にして、絶対に逆らえない相手。
 半兵衛はひっくひっくとしゃくりあげながら、悪戯っぽくちろりと赤い舌を出したのだった。



end


おじさんの泣き落としに負けてしまいました。
ついに護衛三人を撃破!
次なる敵は……?