最終的にはヒロインとくっつきますが、この話では半兵衛が遊郭通いをしています。
死にネタではありませんが、死を想起させる表現が多々あります。
それでも許せる方のみお進みください。
この指先はいつまであなたに触れることができるのだろう。
この唇はいつまであなたに、口付けることができるのだろう。
この瞳はいつまであなたの姿を映せるのだろう。
この腕は、この身体は、この胸は……いつまであなたを。
感じる事が、出来ますか――――?
祈り A面・前編
袖を濡らした血の色に、いよいよ死が近い事を知る。稀代の天才軍師も年貢の納め時かと自嘲した。悪い虫に身体を蝕まれていると気づいたのは、年の瀬の頃だ。思えばその頃から、己の命は長くはないのだと感づいていたのだろう。生きた証を残すようにがむしゃらに戦を起こし、がむしゃらに女を抱いた。
冷静を保っていた己がまるで熱に浮かされたようになる度、ふともう一人の自分が問う。
お前は名と子孫を残すことに、一体どれだけの価値を見いだしているのか…と。
この国が悠久の時を経て時代が歴史へと変わる時、後の史家が己の名を知っていることにどれだけの意味があるのだろうか。六道輪廻も信じていない自分が、後世に馳せる夢など泡沫のそれと大して変わらぬというのに。
「今を生きよ、か」
熱に浮かされたように生き急ぐ半兵衛に、官兵衛がそう告げた。病の事は伏せているが、おそらく半兵衛の中の何かしらの変化に気づいての事だろう。卿の目は今を見ておらぬ、心はどこか遠い彼方へあくがってしまったようだな、と。
遠い彼方を黄泉とするなら、あくがるとは言い得て妙である。死など望んでいないが、最近無意識の内に死後の世界を思う事が多くなった。
「半兵衛様」
厳しい声に、半兵衛は己の吐血を見咎められたのかと思った。だが、振り返ってそこに立つ少女は、本気で怒った形相をしている。どうやら違うらしいと安堵していると、再び張りつめた声が名を呼んだ。
「半兵衛様、また軍議をさぼったのですね……」
呆れたように放たれるため息。わずかに苛立ちを含んでいる。
お説教? と揶揄を含めて問えば、鳶色の瞳が鋭さを増す。
「半兵衛様がサボると官兵衛様の仕事が増すのです。半兵衛様は立派な名軍師殿なのですから、どうぞご自覚ください」
わざわざ――――感情を見せない官兵衛のために文句を言いに来たのか。その忠臣ぶりには恐れ入る。と官兵衛は師弟の関係にすぎないが、の傾倒ぶりはいささか度を超えていた。
それ故に――――側にいるのが苦しくなるのだ。
この手はに伸ばすことは出来ない。なのに、官兵衛は容易く――――いや、から手が伸ばされている。
男女のそれでないと知っていても、嫉妬してしまう自分の浅ましい感情が、半兵衛の知らぬ顔をあっさりと剥いでしまう。
感情がむき出しになる。
大好きな官兵衛を、を得るために遠ざけたいと暗い欲望に支配されそうになる。
だから、最近では極力二人と距離を取る様にした。
そうしないと――――自分はきっと正気を保っていられない。
が恐い顔で睨むので、わかったよ、と適当に返事をした。納得していないような顔をはしたが、
「それと……」
と呟いて、口を噤んだ。
「なに?」
半兵衛の訝るような視線に、は明らかに動揺していた。眉根をしかめ何かを言いかけたが――――やがて、何でもありません、とそれを打ち切った。
一礼して去っていくその背中――――
官兵衛の元に戻るのだろうか。
その背を、腕を引いて、引き止めたがったが――――虚空をもがいた指先は、に触れることは叶わなかった。
人間の身体というのは、よくよく上手く出来ているものだと最近思う。
「あぁ……っ、いい……あ、もっと」
濃厚な男女の匂いをさせて、暗闇の中に広がる甘い吐息。だが、身体が熱くなるのに反して、心は冷めていくように感じる。
死期を悟ってから、明らかに性欲が増した。
元々、淡白な方だと思っていたが、無我夢中に女を抱きたいと思ったのは最近になってからだった。
相手は問わない。屋敷の下女でも、行きずりの女でも、茶屋の遊女でも――――誰でも構わない。
この空虚な心を埋めて、己が性を受け止めてくれるなら誰でも良かった。
初めは屋敷の下女を相手に夜這っていたのだが、後が面倒な事に気が付いて、最近は盛り場で相手を探すようになっている。子を成して、それを竹中家の嫡子として迎えることは念頭になかった。そもそも稲葉山城を後にした時、家督は弟に譲ってしまったのだ。だから今更、自分が焦って世継ぎを残す必要などない。
だから――――これは単に己の生存本能がさせている事なのだろう。家や家督といった建前ではなく、一人の男として、己の子孫を後世に残したいと。
だが、子孫を残すために躍起になるのに反し、無意味に放った精は空しく散って、誰とも実を結ばない。自分は不能なのではないかと笑ってしまうほどに。
そのせいなのだろうか――――どの女も何故か二度は抱く気になれなかった。身分が卑しいからと軽視したつもりはない。だが、この手に抱くには何故か皆、空虚で実体のない空気のように味気ないのだ。
理由は分かっている――――
じゃないからだ。
どんなに似た風貌の娘を抱いても、所詮偽者とどこかで分かってしまっている。
「あんた、いい所のお侍さんなんだろ?」
情事のけだるさを纏ったまま、同衾した遊女が煙管をくゆらせた。口調は蓮っ葉な物言いだが、紅をひいた顔は意外と幼い。
伏せ目がちにする仕草がどことなくに似ている、と思った。
「ああ、勘違いしないどくれ。あんたが誰だろうが、御代さえしっかりもらえれば、あたしは構わないんだよ」
だけどね――――
「女を抱くのにだって作法っていうのがあるじゃないのさ」
まさか年下の遊女に、そんな事を説かれるとは思わなくて、半兵衛はぷっと笑みをこぼした。
「へえ、俺に講釈を垂れるんだ。俺、こう見えても、けっこう年上なんだけど?」
ついでに言えば、女遊びの経験もそこそこにあるつもりだ。
だが、遊女はそれがなんだと言わんばかりに、煙管の先を噛んで鼻を鳴らした。
「そのわりにゃ、余裕がないんだねぇ。ま、他人の事情に首を突っ込もうなんて思わないけれど――――抱きながら他の女の名前を呼ばれて、喜ぶ女なんていやあしないよ」
って言うのかい――――?
紅を引いた唇が、にぃっと歪んだ。
これはずいぶんな失態だ。心は冷静なつもりでいたが、知らぬうちにの名を呼んでいたのか。
「そうだよ。俺の大切な人。っていうんだ」
動揺を気取られないように、半兵衛は不適な笑みを浮かべる。
遊女はますます詰まらなそうに顔をしかめた。
「説教なんてあたしの柄じゃぁないんだけど、いい人がいるくせになんでこんな所に来たりするのさ。生き別れになったのかい? それとも戦で死んだのかい?」
遊女の遠慮ない追求に、半兵衛は一瞬口ごもった。死んだと答えて、この場だけの嘘を通すことも考えたが、何故かその時は素直に答えてしまった。
「息災だよ。でも……一緒になる事ができないからさ」
「へえ。身分違いの恋かね?」
「違うよ。俺……もうすぐ死ぬんだ。だから想いを告げられない。想いを告げたら、に辛い思いをさせてしまうから」
ふうん、と遊女は死の告白をさして大したものでもないという風に、紫煙をくゆらせて相槌を打った。その淡白さが半兵衛には有難かった。妙に驚いたり哀れんだりされるより、よっぽどいい。
「振られる事は考えちゃあいないんだ?」
遊女の予想外の問いに、半兵衛はきょとんと目を丸めた。
「だって、あんた。辛い思いをさせるって事は、自分がその子にとって大切な人間になるって自信があるんだろう? じゃなきゃ、あんた。そいつぁあ、自惚れってやつだよ」
まさかそんな返答が返ってくるとは思わなくて、半兵衛は思わず笑ってしまった。
そうだ。そのとおりだ。
自分ばかりが思いつめて、とてもの気持ちを確かめる余裕などなかった。
だが――――
「も同じ気持ちだよ。自信なんかじゃない……拒絶されたらって思うと怖くて悲しくて仕方ないけど、きっとも同じ気持ちでいるって、俺、信じているから」
これはきっと――――祈りだ。
自分勝手で我侭で傲慢な祈りだけれど、きっと届くと根拠のない確信がある。
遊女はご馳走様、と呟くとぽりぽりと頭を掻いた。
長くこの仕事に就いているが、閨で惚気られたのは初めてだ。
「その子は幸せだあね」
「そう?」
「あんた顔はいいもの。そんな美丈夫に一心に想われれば誰だって悪い気はしないよ」
性格もいいけどね、と冗談めかすと、遊女はいいや、あんたは性悪さ、と言って笑った。
end
半兵衛に女遊びをさせてすみません……。
でも、ヒロインに会うまでは結構プレイボーイだったかも、と妄想。